8話-②:潜入
空がいまだ暗黒につつまれるなか、エイダは両手と両足を広げ、地球の物理法則に逆らわず降下していった。位置エネルギーが運動エネルギーに変換され、空気抵抗と重力の釣り合いがしだいに取れた結果、終端速度は秒速60mに到達し、すさまじい風力が身にまとった戦闘服をたなびかせた。
自由落下を続けること2分30秒、地上から1,500フィート(500m)に到達した時点で、エイダはパラシュートを開いた。通常、民間のスカイダイビングであれば、安全性を考慮し一般的に3,000〜5,000フィート( 900〜1,500メートル)でパラシュートを展開するが、自由落下に逆らったゆったりとした降下時間を減らすため、敵地潜入ではより低高度での開傘をするのだった。
姿勢制御(姿勢が安定していないとメインパラシュートの索が絡まって巧く展開しない)と予備減速(高速時にいきなりメインパラシュートを開くと裂けて破損する)のため、クラゲと大差ない大きさのドローグシュートが射出された。ドローグシュートが予備減速させつつ、メインパラシュートを収納部から引き出した結果、自由落下の速度は急激にその運動エネルギーを失い、その代償として、エイダの体には約150kgほどの負荷が肩口から上半身にかかった。
遊覧降下をすること3分後、パラシュートがふわりと収束し、一瞬の浮遊感から地面に柔らかく足をつけた。腰と背骨にかかる降下の衝撃を流し、迅速に体勢を整え、パラシュートをパージし酸素マスクを外す。ホルスターからM17拳銃を抜き構え、槓桿を引き薬室に弾丸を送り込むと、周囲に警戒の視線を巡らせた。音一つしない静寂の中で、エイダの呼吸がかすかに響いていた。闇に覆われた山岳地帯は、冷たい風と湿った草の香りで満ちている。
よし、敵影はなさそうだな。目視範囲に敵の気配がないことを確認したエイダは、M17の下に沿えていた左手を、そのままの位置でわずかに動かし、スライドをずらすことで薬室に装填されているはずの弾薬を確認した。拳銃も異常なし。
ホルスターにM17を収納したあと、パラシュートを手早くたたみ、草むらの奥へと慎重に隠していると、降下してきた隊員の一人が、木の生い茂った箇所に飛び込んでいくのが見えた。50メートル先だ。エイダは、隠密行動の鉄則である非魔法のまま、走って現場に駆け付けると、すでにドクが駆け付けていた。
「おい! 意識ははっきりしているか? 自分の名前を言ってみろ!」ドクがカーターの頬を叩いた。
どうやら、降下の際に木に阻まれて少しばかり衝撃を受け流しきれなかったようだ。鼻血を垂らしたカーターが自身のコールサイン『エム・フォー』を告げた。
「作戦実行に支障なさそうか?」駆け寄ってきたホークスが聞くと、「大丈夫であります」とカーターが返答した。コールサインを覚えているあたり、頭はしっかりしていそうだ。
ホークスがドクに顔を向けるとドクが頷きながら、「少し頭を打ったようですが、大丈夫でしょう」と返した。
「よし、装備を確保する。 ロドリゲスが保持中だ」
先に降下させた棺桶のような箱はすでに開かれ、ロドリゲスが装備を確認していた。分隊支援火器MK 48を装備するロドリゲスは、部隊火力の中核を担う存在だ。黒光りするMK 48は、小銃よりも一回り大きい。装弾数、威力ともに頼もしさはあるが、本ミッションの性格を考えると、これを使用しなければならないシーンはあまり想像したくないものだった。
ドクとエイダがカーターを引っ張って立ち上がらせ、箱に近寄っていった。カーターが布に包まれた銃を取り出し広げた。通常の小銃よりも銃身の長いMk14であった。大きめのスコープを覗きながら周囲を見渡している。バトルライフルとスコープの様子を確認しつつ、周囲に気を配っているのだろう。
エイダもまた自身の使い慣れたSCAR-Lを取り出し、肩に引っさげ、コッキングしつつ、薬室に弾薬が装填されていることを確認した。黒塗りのSCARを構え、すでにゼロインが済んでいるEOTech社製512.A65ホロサイトの電源を入れのぞき込んだ。ホログラフィックフィルムに立体的に記録されたレティクルがレーザーによりスクリーンに描画されていた。こちらも異常なし。
装備を確保したm分隊は、それぞれが五十㎏ほどのリュックを担ぎ上げ、エイダもまた登山用のような見た目のリュックを担いだ。五十㎏の重量がズシリと肩にかかってきた。
「レディオチェック。 テスト123」ホークスが分隊系の無線通信に設定されたマイクに告げた。
「チェック」異常なしを確認したロドリゲスが答えた。
「無線良し。 総員、目標地点まで上りの地形を四時間だ。 急ぐぞ。 まず俺が先導する」ホークスが告げると、m分隊全員とエイダは頷き合い、ロドリゲスとドクが箱を草むらの中に隠したのち歩き出した。
エイダは少佐としてホークス大尉より階級が上だが、この任務ではm分隊の一員でありつつも、あくまで同行者という微妙な立ち位置だった。現場での指揮権はホークスにあり、任務遂行における指揮統制上、エイダはホークス大尉に従い、いざというときの次席ということで合意していた。エイダの役割は主に意見を述べることや、任務の大方針に関わる重要な場面での意思決定だった。海軍の艦隊における艦隊司令官と戦艦の艦長の関係といえばわかりやすいだろう。艦隊司令官は与えられた作戦目的を達成するため艦隊行動に関する意思決定をするが、艦隊に属する一戦艦がどのような武装を使用するといった細かいことには口出ししない。それは艦長の裁量だからだ。この場合、艦隊司令官はエイダ(その先にはコールマン大佐)で、艦長はホークス大尉というわけだった。
生い茂る森の中を黙々と歩き続ける。特殊部隊というと、少数精鋭の戦闘部隊というイメージが強いが、実際の任務の大半は歩くことに費やされる。確かに、局地戦での戦闘力は一般部隊を上回るものの、敵勢力内での非正規戦という性質上、主な任務は目標に向かって歩くことなのだった。
魔法による身体強化を用いれば容易な行軍となるだろうが、探知を避けるため魔法に頼らない行軍を選択し、タイムスケジュールもそれに合わせて立てられていた。身体強化程度の魔法は感情調整魔法と同様、探知される危険性はかなり低いものの、万全を期すための判断だ。
エイダたちは慎重に足音を抑えつつ、山道の急勾配を進んでいった。時折木々の間から覗く空は夜闇に覆われ、薄雲が星明かりをぼんやりと霞ませていた。彼らの足音が小さな石や枯葉を踏む音とともに響く中、無言の行軍が続く。重たいリュックが肩に食い込み、全員の呼吸は次第に荒くなっていくが、隊員たちは意識を集中させ、ゆっくりと一定のペースを保ち続けた。
進行するにつれ、湿気を含んだ空気とともに、かすかに潮の匂いが漂ってきた。海岸線から数キロの範囲に近づいた証拠だった。ホークス大尉は拳を上げて足を止め、指をさしてルート確認の合図を出した。カーター伍長が即座にスコープを覗き込み、遥か先の地形をチェックした。カーターは低い声で、「前方、視認できる範囲に異常なし」と報告を上げ、ホークスが静かに頷いた。
現在時刻はAM二時ごろ。秋の寧波市の日の出はAM五時半から六時ごろだ。明るくなり始める前に人民解放軍の海軍基地である寧波基地にたどり着く必要がある。そこで李国家主席と魔法派『東海艦隊』周少将が接触し、そのまま艦隊の演習を観戦するはずであるからだ。
ホークスが指を二本立て、前方に腕を突き出した。全員に合図を送り、周囲の警戒を怠らないよう、隊が二列横隊に分かれて躍進するためだ。ホークスが引き続き先導し行軍を再開した。目標地点である寧波海軍基地に近づくにつれ、静けさの中に低いうなりのような音が聞こえ始めた。それは寧波海軍基地や船の活動音であった。
エイダたちは遠くかすかに見える建物群の輪郭を捉えた。寧波海軍基地だった。霧が立ち込める山道の先に窓から光を漏らした建物群がぼんやりと浮かび上がっていた。視線を前方に集中させながら、彼らは歩みを進めた。
そのとき、ホークスが手を挙げ、全員が一斉に立ち止まりしゃがんだ。少し前方の木々の間に、人民解放軍の歩哨らしき影が見えたのだ。スコープを覗いたカーターが低い声で報告をした。
「前方十時方向、歩哨二名。 武装している、警戒中の様子」
「ここはやり過ごす。 隠れろ」
ホークスが状況を見極め言った。無力化も可能だが、歩哨が帰還しない、もしくは定時連絡が途絶えることにより、目標基地に警戒されるわけにはいかなかった。時間にはまだ余裕があり、ここで騒ぎを起こすのは得策ではないとの判断だった。
m分隊は特殊部隊員らしい機敏さで、息を潜め、手近な茂みや岩陰に身を隠し、リュックを下ろした。歩哨の二人が徐々に接近してくる。暗闇の中、兵士たちの影がゆらめいた。エイダたちの隠れる草むらから五メートルほどのところまで、歩哨が近づいてきた。
エイダはナイフを取り出し構えた。闇夜で目立たぬよう刃の部分が黒く装飾されていた。いざとなったらこのナイフで音もなく無力化しなければならない。義務の履行を辞さない光を瞳に宿しつつエイダは思った。頼む、早くここから立ち去ってくれ。できれば殺したくはない。
そのとき、兵士の一人が懐からタバコの箱を取り出し、隣の相方に勧める様子が見えた。もう一人の兵士が嬉しそうに笑みを浮かべ、二人で火をつけると、歩みを止めて一息つくように、立ち話をし始めた。
エイダはナイフをしまい、端末に指を滑らせ音声翻訳AIを起動し、収音マイクを向けた。二人の会話が広東語から翻訳され、薄暗い端末の画面に文字が浮かび上がり始めた。万が一にも光源で気づかれぬよう、遮光性の布で遮ってある。
「寒くなってきたな。 退屈な哨戒に立たされるとは」
「ホルダー(マナチャンネルを先天的に有し、魔法を使える者の俗称)は俺たちを見下しているからな。 頭の高い連中だ」
「早く終わってくれ」
「考えない方が楽だぞ」
「しかし、いいのかな」
「何がだ」
「だってこれは——」
「しっ、そんなことを口に出すな。 癖になるぞ」
「とはいえよ」
「命令だ、仕方ない」
「それを言っちまったら……」男は言葉を濁し、口をつぐんだ。
二人は再び煙草を吸い込み、まるでそれ以上は口にしてはならないかのように沈黙した。その会話の内容が何を意味するのかはわからなかったが、彼らが単なる歩哨でないこと、そして基地内部で何かが進行していることを察するには十分だった。
しばらくして、歩哨の二人はタバコを吸い終えると、再び警戒態勢に戻って歩き出した。ホークスが、二人の歩哨が十分に離れたことを確認するとエイダに顔を向けて言った。
「少佐、やつらさっき何を話してたんで?」
エイダは端末をホークスに手渡し言った。
「よくありそうな非魔法使いの愚痴だろう? しかし、通常の警備態勢とは異なる様子も見受けられる」
ホークスは端末をスクロールし会話内容を確認しつつ言った。
「具体的な内容まではわからないですが、何かは起きてそうですね。 急いだほうが良さそうだ」
ホークスは右手を上げ、部隊集合をかけつつ言った。
「よし、総員注意を払いつつ目標基地に接近する。 敵との接触は避けるぞ。 カーター、先導してくれ」
m分隊とエイダは無言でうなずき、カーターが先導しつつ慎重に躍進を続けた。木々の間を縫うように進みながら、エイダは周囲の気配に神経を尖らせた。遠くから聞こえてくる海の音が、彼らの足音を僅かに掻き消してくれる。そして基地の輪郭がより鮮明になってきた。
エイダたちが目標地点である寧波海軍基地まであと一キロの地点に到達したときに、カーターがグーにした右手を上げた。総員がしゃがみこんで停止する。スコープをのぞき込んでいるカーターにホークスが近づくと、カーターは指を指した。ホークスがその先を双眼鏡で確認し言った。
「よし、十時方向、一〇〇メートル先にある高台を監視場所にする。 総員、気を抜くなよ」
カーターを先導に再び移動を開始した。エイダ含め、m分隊は各自少し距離を開けながら続く。
万が一の探知を避けるため、マナチャンネルを研ぎ澄ませることはできない。しかしm分隊は特殊魔法作戦群である。魔法がなくとも、非魔法使いの特殊部隊と同等レベルの能力を発揮できるよう訓練されていた。つまり、魔法がなくとも非常に機敏でよく気が付く、そういうことだ。
カーターの勘が冴えわたり、手で指示を出し、次の隠れ場所を指し示す。エイダやホークスを含む隊員たちは、その指示に従い音もなく移動を繰り返した。暗闇の中、数十メートル先に見える歩哨の姿が徐々に遠ざかっていき、m分隊は無事に高台の監視地点に到達した。
エイダたちは高台の周囲に迷彩ネットを設置し、その中でm分隊の面々はそれぞれの役割を果たし始めた。ドクは望遠機能のついたカメラで基地の写真を撮り情報を記録し始め、ロドリゲス軍曹はベテランにだけ可能な軽やかな手つきでスケッチをし始めていた。高台から寧波海軍基地までの地形や寧波海軍基地の特徴を描き出しているのだ。よどみなく流れる手の先で、画用紙上には目立つ木や建物が描画され、現在位置との距離や海抜が記載されていった。いざというときにはカーター伍長が狙撃手、ロドリゲス軍曹がスポッターとなり射撃目標の指示を出すため、地形を把握しているのだった。また、スケッチした地形情報はチームにも共有することができ、一石二鳥であった。
息を潜めていると、静寂を破るかのように望遠鏡をのぞいていたカーターから報告が入った。
「寧波海軍基地に複数の車両が到着。 周辺に高官らしき人物と兵士が整列して待機中」
「少佐、ずいぶん豪勢ですね。 CIAもたまには良い仕事をするようだ」望遠鏡から目を離したホークスは、リュックから収音マイクと録画用カメラを取り出しつつ言った。
「そう言わないでやってくれ。 今の私は諜報将校だからね。 彼らの苦労をわかるようになったよ」エイダはリュックからラップトップと望遠スコープを取り出し、ケーブルで接続しつつ答えた。
「少佐は遠いところに行ってしまわれたと」ホークスが真面目と陽気のうち、陽気を表出させ言った。
「そんなに私に会いたかったか?」エイダはあまり慣れない陽気さを出して答えた。
「また一緒に仕事ができて嬉しいですよ。 っと、人が車から降りていますね。 確認お願いします」
ホークスは収音マイクと録画用カメラを、エイダは望遠スコープを車両群に合わせつつ、スコープに連動させたラップトップで車から降りてくる人物を顔識別AIにかけ始めた。彼らの周囲には約二十名の兵士が厳重な態勢で待機しており、遠く離れたここからでも緊張感が漂っているように見えた。
車から降りた人々のうち、ひときわ豪勢な服装をした人物を識別にかけると、数秒後、端末上に『李志強 国家主席』の名前が浮かび上がった。九十五%以上の確率でヒットしていた。
エイダは、ほれ見てみろと言わんばかりに顎でしゃくって画面を見せると、ホークスはその結果を確認し、「間違いない、奴は本物ですね」とつぶやいた。エイダはうなずき、さらなる情報を得ようと視線を再び車列の方へ向けた。
「少佐、あの少将らしき高官を確認してください」エイダは指し示された人物にすばやく顔識別を行った。結果が出た。画面には『周玄武 少将 東海艦隊司令長官』と表示され、周少将が国家主席に敬礼をしているのが見えた。李国家主席は笑みを浮かべ、敬礼を返しながら応えていた。うるわしき同士たちのなんとやら、というわけだ。
その結果を確認したホークスがm分隊総員に言った。
「総員、ひな鳥が巣に舞い降りた。 繰り返す、ひな鳥が確認された。 ピクニックが無駄にならずに済んだな。 帰りたくないと駄々をこねるお前らの願いを誰かが叶えてくれたようだ。 ひな鳥の監視を継続する」
この場で司令部に対する通信報告は行わない。それは決定的な場面で意思決定が必要なときにしか行われない。先進国の軍隊が相手ともなると、長距離通信のための電波を探知されかねないからであった。
エイダたちが収音マイクと録画用カメラを向け監視する中で、李国家主席と周少将は整列する兵士たちに囲まれながら、少将の案内でゆっくりと建物内へと入っていった。
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