7話:重責

 ──東京 霞が関 外務省内の一室──


「突然の訪問を受け入れていただき、まことにありがとうございます」コールマンは日本式の謙虚さでもって英語で挨拶をしつつ、日本国外務大臣、鈴村敬一氏にそういった。


「いえ、我が国最大の友好国軍人の訪問は、私の何よりも大事にするところです」鈴村氏は微笑を浮かべつつ椅子をすすめて言った。「とくに、我が国のマナシンクロナイザーを取り巻く現状がこのようでは」


「感謝の言葉もありません」コールマンはエイダとともに腰を下ろしつつ書類を手渡し言った。


「本国、国防総省より、閣下へ本年度の『同盟強靭化予算』総計をお知らせするよう下命をうけました」


「同盟強靭化予算? ほう」鈴村氏は表情を崩さず、日本的紳士さで答えた。


 エクスキューズだった。


 思いやり予算の別名をもつ同盟強靭化予算は、日本の経済規模に対して軍事面の負担をしないことに不満をもったアメリカ合衆国の要請により始まった、在日米軍駐留経費、その一部を日本人が負担する取り決めだった。


 鈴村氏の紳士的な表情は、思いやり予算が表向きの用件でしかないことはすぐに感づいたからであろう。キレるやつだ。


 なぜなら一国の大臣にアポイントメントを取ってまで伝えることではないし、何より同盟強靭化予算は、日本の数ある省庁の中でも防衛省が負担するものであったからだ。伝える相手が間違っている。


 ゼロの記載された書類を確認したであろう鈴村は言った。


「ご用件はいじょうで?」


「少し雑談をさせていただいてもよろしいでしょうか」


「構いませんよ」


「かかる東アジアの情勢において、貴国とアメリカはいささか難しい立場にたたされています」


「友人だと、そう言っていただけるので?」


「正直にお伝えすると、アメリカ政府は割れているのですよ」


「米日安保に基づき貴国が参戦するか、一方的に破棄して参戦しないか、で?」


「日米安保を根拠に自衛隊を指揮下に置き、マナシンクロナイザーを獲得しようとする勢力と貴国と共同歩調を取ることを望む勢力、で割れているのです」


「あなたがた国防総省は真の友人であると?」


「貴国とアメリカが真の友人であり続けるための話ですよ」


 外交武官、もとい特務連絡将校と化したコールマンは、日本国外務大臣である鈴村氏は大いに厄介な人物であると、獣のような直感で感じ取っていた。


 鈴村氏は無能、という意味で話が通じないわけではない。


 CIAによると、鈴村氏は大いに有能ということだった。日本的教育環境が作り上げた鈴村氏の態度は、その成果が実っていることを告げており、その表情は常になごやかで、発言内容は明確さと陽炎のような不明確さを行き来するような知性であふれている、コールマンにはそういう御仁に思えた。


 つまりアメリカのダブルスタンダードに腹を立てている……ということもなさそうだ。落ち着いた頭で会話の主導権を取ろうとしている冷静な動きだ。


 コールマンは現在、下手にでなければならない立場だ。どうしても欲しいものがある、そういう側のほうが交渉は難しい、シンプルな理屈だ。傍らにいるレヴィーン少佐の存在がその難しさを助長させている、恥ずかしながらそういう風に感じた。部下を前にして、上司として醜態をさらすわけにはいかない。彼を知る多くの人がその外見や普段の姿勢からは感じ取ることができない、まことに人間味のある感情がそうさせていた。コールマン大佐もまた一人の人間、そういうことだった。


「腹を割って話しましょう」


 コールマンは同時に一人の軍人でもあった。外交の長である外務大臣と腹芸で競っても埒があかない、そう腹をくくった。


「国防総省は」コールマンは言った。「あらゆる意味において、貴国側にたって協力する用意があると明言しました」


「大胆なものいいですが、我が国は貴国の参戦を望んでおりません。 意味はおわかりになるでしょう?」


 アメリカの参戦、すなわち世界大戦の勃発と同義語であるそれを望んでいない。つまり、日中有事が発生してから動くのではなく、有事が発生しないように歩調を合わせてほしいと、鈴村はそう言外に言っているのだ。


「閣下。 私は、あらゆる意味において協力と、そう申し上げました」


「日本人は、情の深さにおいて、どの国にも引けを取りません。 しかし、そんな我々でさえ、貴国の『あらゆる意味での協力』という申し出の前では、その情の深さで応えきれるかどうか、はなはだ心もとないですな」


「あらゆる意味での協力、についてご説明しても?」


「プリーズ」


「こちらをご覧ください」


 鈴村は、実子から送られてきた孫の写真を取り扱うような様子でコールマンからの書類を受け取りった。同様の仕草で眼鏡をかけ、たっぷり数分をかけ眺め始めた。


「どうでしょう。 興味深い内容であると自負する次第ですが」


「たしかに」


 鈴村は大きくうなずいた。


「それで、貴国が見返りに望むものは?」鈴村は腹を割ったような直接さで尋ねた。


「マナシンクロナイザーを複数」コールマンもまた、くくった腹に違えぬもので答えた。


「そうでしょうな」鈴村はまったくもって得心したというようにうなずいた。


 コールマンが手渡した書類、そこには国防長官からはじまり、統合参謀本部議長、各軍参謀本部の議長や作戦本部の部長の名がサインとして連ねられていた。確固たる証拠になる書類だ。


 そこには、日米共同防衛協定を新枠組として、在日米軍の運用を、日米両軍の合議制へ移行し、米国内にも自衛隊基地を誘致する、高度な防衛技術をバーターとして供与する用意などさまざまな条件が記されていた。交渉次第では、食料や石油といった戦略資源すら恒久的な担保を得られるような内容だった。


 さらには、人民解放軍『東海艦隊』の演習に際して、もし日中有事にいたってしまったとしたら、今回に限り在日米軍を自衛隊の指揮下とする旨すら盛り込まれていた。有事の際には、問答無用で自衛隊を米軍の指揮下に置くげんざいの安保条約からすると、はかくの変化と言えた。


 鈴村は書類を丁寧に閉じると、軽く指で叩くような仕草をしながら、ゆったりとした声で言った。


「非常に魅力的なご提案ですね。 しかし、大佐、ご存じの通り、我が国の決定的国益に関わる問題は、一大臣だけで動かせるものではありません」


 コールマンは表情を変えずに聞いていたが、鈴村の発言は本題を回避しつつ、結論を後回しにするための常套手段であることは明らかだった。


「議会の承認が必要、ということですか?」


「我が国は世界に恥じない民主主義国家ですからな。 加えて、政府内でも慎重な検討が求められます」


 政府内での検討がすでに行われていないわけがない。結論すらでていてもおかしくないだろう。かかる緊急事態においては、議会の承認などあとからなんとでもなるはずだ。ここかしかない、コールマンは思った。


「率直に申し上げて、このたびの緊張は貴国が引き起こしたものであると、私どもの一部は考えているのですよ。 いやなに、私個人としては、貴国の自立した防衛力の強化を喜ばしいと思うのですが」


「いいがかりはよしていただきたい」


「防衛力の強化が、誤った解釈や意図しないエスカレーションを引き起こすことをあなたがたも重々承知でしょう。 特にそれが敵国内への攻撃手段であるのなら尚更。 我々の中にも、もはや枕を高くしては眠れない、という者すらいるのですよ」


 マナシンクロナイザーを用いた魔法使いの強化により、自衛隊が東アジア一帯の攻撃能力を持ったことを知っていると、そう言ったのだった。つまりは、マナシンクロナイザーの平和利用を唄っていたにも関わらず、アメリカにも知らせずマナシンクロナイザーを軍事転用している矛盾を突いているのだ。さらに言うと、そういったレベルでの弾道ミサイルの運用は、ゆくゆくはアメリカに対してすら向きうる牙であると承知しているということも。


「我が国もまた、こんにちの世界情勢を憂慮しているのです」鈴村は言った。


「お察しします」


「自由と民主主義の門番たらんと、国民とともに日夜心血を注ぐばかりです。 貴国であればおわかりになるかと思いますが?」


「わかります」第二次大戦からこんにちまで、まさに自由と民主主義の警察としてあったアメリカ合衆国、その国の軍人であるコールマンは続けて言った。


「であるならば、閣下。 アメリカ人の立場もお察しいただけるでしょう。 付け加えるのであれば、実のところ国防総省内でも意見は割れているのですよ。 それは『なぜ我々が他国のために血を流す必要があるのか』というものです。 いや、自らが言葉にするのはお門違いであると重々承知してはいるのですが。 しかし、国外の戦闘に自衛隊を派遣したことのない貴国であれば、よくおわかりでしょう?」


 鈴村は思った。


 こいつ、どこまで俺のことを知っている?


 日本国外務大臣である鈴村敬一は、外務省官僚を卒業したあと、衆議院議員選挙に出馬し、国会議員となった男だった。1990年、彼が外務省、北米局の一課長であったときの話をしよう。借金の帳消しと石油資源の獲得を目論んで、イラクはクウェートに侵攻を開始した。そのことに端を発する湾岸戦争のおり、世界はクウェートへの支援と中東に向けた多国籍軍派遣、そのムード一色となっていた。


 鈴村は日本の支援を取りまとめるタスクフォース、その一員だった。


 各国が軍隊を派遣し、実際に命を落としている中で、日本人だけが人命を金銭で代替するわけにはいかない、鈴村はそう感じていた。これは、日本人の命が他国民よりも貴重だと主張しているかのような印象を与えかねない。つまり、日本人以外の命に金銭的価値を付けているようにも見え、命を金で買っているかのように解釈されてしまう、そういう理屈だった。


 彼は、「同盟国として武力行使を伴わない派遣に踏み切るべし」と主張していたが、結局のところ、掃海艇や自衛官の派遣は省内で受けいれられなかった。


 世界中は日本に対して、「世界一の金持ち国家は一体何をしてくれるんだ?」と期待の目を向けていた。もちろんアメリカもそうだった。


 であるなら、どこよりも金を出すしかないと鈴村らは動いた。


 優柔不断な首相と首相の席を狙う大蔵大臣による複雑怪奇な権力闘争の結果、外務省の要請した支援予算『10億ドル』に結局、大蔵省は首を縦にふらなかった。結果、首相のステートメントには、『1000万ドルをヨルダン難民救済に使う』という一文がのり、それが唯一の数字として受け止められ、世界から嘲笑を浴びたのは、まさに鈴村らにとっての屈辱的な経験であった。(実際には、その後長期にわたってそれをはるかに上回る金銭的・物質的支援をしたものの、世界一の金持ち国家が出す最初の数字が1000万ドル、というのはあまりに印象が良くなかった)


 太平洋戦争での大きな敗北から、戦後日本の根底にこびりついてきた、人命に対する超のつく安全の二文字。人命と他の原則のどちらを選ぶか、表面的には後者を選びつつ、実質的には前者を優先する、日本人は自由に対して銃を取ることはしない。鈴村は、日本が世界からそう思われている現状を変えたいと思っている一人だった。日本を変えなければならないと、そう思っていた。


 日本は戦争や紛争に際して金銭的・物質的支援は行うものの、実際の戦闘に人員を派遣してこなかった。そんな日本人が、戦争の瀬戸際に立たされた時だけ人的な援助を求めるのは筋が通らない。危惧していた長年の外交姿勢の代償が返ってきてしまった、そう痛感した鈴村は言った。


「轡をならべられる真の友人をえる、それは互いの血でもって贖う、そういうことですな」


「同意します」


「轡を並べ続ける、ということも」


「まさに」


「ここに記載されている防衛技術、こちらで全てですか?」


「記載できるものはすでに載せられています」


「未来に開発される兵器、そちらも条件に加えていただきたい」


「というと?」


「貴国で開発中の新型兵装、強化外骨格ARESといったものですよ。 そう言ったもの含め、恒久的な意味合いでの未来、ということです」


 なぜ極秘の兵装に関する開発を鈴村が知っているのか、コールマンにはそのことを気にする暇はなかった。ここで述べられた重要なことは、まだ先行量産すらされていない新型などという些末な話ではない。今後、アメリカがマナシンクロナイザーを上回る何かを開発したとしても、それを日本に供与しなければならないという、将来に禍根を残しかねない条件ということだ。


 卑屈ともいえる謙虚さを纏い、現状の結果に決して満足せず、絶え間ない改善を追求する姿勢の隠れ蓑とする——まさに日本的な機会主義の極みといえる姿勢だ。鈴村はここにきても外務大臣としての矜持を捨てていなかった。


 どうする?いまここで、マナシンクロナイザーを手にする千載一遇の機会を逃すわけにはいかない。この薬剤を手にできないことこそが、アメリカの将来の禍根になりかねない、それはいま目に見える禍根だった。


 コールマンは、戦場において培われた果敢な士官としての決断力でもって答えた。


「善処しましょう」


「文書に記載いただけると?」


「お時間をいただきますが」


「それはこちらも同様です。 本国と連絡を取る必要があるでしょう、今いる部屋をお使いください。 30分ほどで戻ります。 鈴木君、行くぞ」


 1時間後、エイダとコールマン大佐は在日本・横須賀基地つきの車に乗っていた。結果から言うと、コールマン大佐と鈴村外務大臣は固い握手を交わし、その顛末として、エイダ両膝の上には、マナシンクロナイザーのシリンダーが複数入った銀のアタッシュケースが乗っていた。


「私たちの仕事は終わっていない」コールマン大佐は言った。


「了解しています」エイダは内心の興奮冷めやらぬといった様子で答えた。


「貴官はこのまま横須賀から三沢空軍基地に行きたまえ。 私はブルー・リッジに飛び、そこから指揮を執る」


「了解です」


 アメリカの誇る空母打撃群。そのうちの一つである第7艦隊、その旗艦である揚陸指揮艦艇から、コールマン大佐はマーヴェリックの指揮を取るというのだ。ジョージアからペンシルベニアにかけてまたがる青みがかり、雄大な山脈の名を冠する彼女の名がブルー・リッジだった。


「期待している」


「イエス・サー」


 豊かな国だ。エイダは窓の外を見ながら思った。


 窓の外に見えるのは、赤と白に塗り分けられた東京タワーだった。平和の願いを込められた世界的スポーツ式典、1964年東京オリンピックの開催を電波に乗せた堂々たる姿は、日本の戦後と繁栄の象徴にふさわしい出で立ちだった。過去の焼け野原から立ち上がり、今や世界有数の経済大国となったこの国の歩みを象徴するランドマーク。そのふもとには、ビジネス街のオフィスビル群が連なり、日々の生活を営む人々が忙しなく行き交っていた。あのワシントンのナショナルモールのように、ここにもたくさんの生きた生活がある。


 ここにいる人たちの生活を守りたいと、エイダは強く思った。それはまさしく、アフガニスタンで表出したエイダの性質だった。


 アメリカや日本、21世紀において、最も経済的に繁栄したといっても過言ではない国であっても、飯を食わねば生きていけない。


 国家、それは国民が明日も飯を食えること、その安全を守り続ける存在だ。その歯車であることに、エイダは強い誇りを感じていた。


 日本を守ることがアメリカの国益に直結するという事実と、目の前の命を守りたいという正義感を兼ね備え、エイダはまさにアメリカ魔法軍士官のユニフォームを纏うべく生まれてきた女だと言えた。


 そしてこれから、エイダは戦場に向かう。

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