第4話:追撃を超えた山道

 森の静寂が一瞬にして破られた。鋭い金属音が木々の間に響き、フリード・エグナーが冷ややかな笑みを浮かべながら姿を現した。


「見つけたぞ……これ以上逃げられると思うな」


 カイは即座に弓を構え、一行に短く指示を飛ばした。


「リサ、ディラン、カリナとミナを守って先に行け!」


 リサがミナを抱き寄せ、ディランが後方を守る体勢を取る中、カリナは一瞬カイを見た。その瞳には不安が浮かんでいたが、カイの冷静な目がそれを受け止める。


「俺が奴らを引きつける。急げ!」


 森の中、セレナが一行の後方を警戒しながら低い声で言った。


「音が近づいてる……東側の茂みから回り込まれてるわ」


 その言葉に、カイは振り返りながら短く指示を飛ばす。


「リサ、セレナとミナを守って先に行け!俺とディランで時間を稼ぐ!」


 セレナは微かに頷きながら、カリナの肩に手を置いた。


「ミナをしっかり守って。私たちもすぐに追いつくから」


 彼女の声には冷静さが漂い、カリナは小さく頷くと妹の手を強く握りしめた。


「カイ……大丈夫だよね?」


 カリナの心に浮かぶ疑問を振り払うように、彼女はリサと共に走り出した。


 フリードの剣が森の薄明かりを反射し、鋭く振り下ろされる。だが、その刹那、カイの放った矢がフリードの手元を掠めた。


「くっ……やるな」


 フリードがわずかに眉をひそめた瞬間、カイは次の矢をつがえた――。


 その直前、カイの放った矢が鋭く飛び、フリードの手元を掠めた。攻撃が逸れた瞬間、フリードの顔にわずかな苛立ちが浮かんだ。


「お前の腕前は認めるが、矢などでこの俺を止められると思うな」


 その低い声が、まるで森の空気に緊張の刃を突き立てるようだった。


「やるじゃないか……だが、それでは俺は倒せないぞ」


 フリードの声には余裕があった。だが、カイは怯むことなく弓を捨て、狩猟用ナイフを手に構えた。


 接近戦が始まる。フリードの剣は容赦なく迫り、カイは茂みや倒木を巧みに利用して攻撃をかわす。剣の切っ先が風を切る音が響き、その度にカリナは恐怖に身を震わせた。だが、彼女はミナをしっかりと抱きしめ、振り返らずに前を向いた。


「こっちよ!」


 カリナはリサとディランに声をかけ、道を先導する。木々の間から見えるかすかな抜け道を見つけ、走り出す彼らにミナの小さな声が聞こえた。


「お姉ちゃん……カイさん、大丈夫かな……」


 カリナは答えなかった。ただ心の中で、「無事でいて」と祈りながら、震える手で妹の手を握り直した。


 森の中に響く追手の足音が、さらに大きくなってきた。一行は木々の間を縫うように走り続けるが、その動きは次第に乱れていく。


「リサ、ディラン、こっちだ!」


 カイの低い声が一瞬響くと、リサとディランはそれに従って別の道へ進んだ。


 だが、カリナは振り返る余裕もなく、ミナの手を引きながら茂みを掻き分けて進む。


「カイ、どこ……?」


 彼女の声は薄暗い森の中でかき消された。


 唐突に木々がざわめき、金属の擦れる音が森を切り裂いた。カリナは剣を構え、足元の草が微かに揺れるのを見逃さなかった。≪剣技:風刃の斬撃エアカッター≫を振るうと、光の刃が飛び出し、草木をざわめかせながら敵の足元を鋭く薙ぎ払った。切り裂かれた地面から土煙が立ち上り、敵の視界を奪う。彼女はミナの手を引き、煙が立ち込める中を一気に駆け出した。


「絶対に会える……カイは必ず戻ってくる」


 震える声でそう言うと、自分にもそう信じ込ませるようにぎゅっと目を閉じた。




 しばらくして、静寂が訪れた。セレナが足を止め、周囲を見渡すと、湿った空気の中に敵の気配を感じ取った。彼女は腰から小さな霧袋を取り出し、そっと手に握りしめた。


「これで少しでも足止めできる……!」


 セレナは霧袋を追手の気配を感じる方向へ投げ込む。地面に触れた瞬間、袋が破裂し、≪薬霧術:消匿霧ステルスミスト≫が発動。霧が静かに広がり、視界を遮りながら森全体を包み込んでいった。


 濃密な煙幕が追手の動きを鈍らせ、森の静寂を取り戻していくのを確認すると、セレナは静かに先を促した。


「急ぐのもいいけど、無闇に進むと危険よ。少しだけ落ち着きましょう」


 カリナが苛立ち混じりに振り返った。


「でも、母さん、追手が迫ってるのに!」


 セレナは微笑みながら首を横に振る。


「冷静さを失えば、負けるのは時間の問題よ」


 その言葉に、カリナは思わず口を閉じた。セレナの声には、不安を鎮める力があった。追手の音は聞こえなくなったものの、森の暗闇と静けさが二人を包み込み、不安を煽る。カリナは息を整え、ミナの頬を撫でながら言った。


「大丈夫だからね。きっとみんな無事に集まれる」


 ミナは小さく頷いたものの、その瞳には涙が浮かんでいた。


 そのとき、遠くからカイの短い笛の音が聞こえた。カリナの胸が一瞬にして高鳴る。


「カイ……カイだ!」


 彼女はミナを抱き寄せると、音のする方向に慎重に進み始めた。


 数分後、カイが姿を現した。その目には疲労の色が浮かんでいるが、その冷静な態度は変わらない。


「全員無事だな。もう少しで安全な場所に着ける」


 その短い言葉に、カリナの緊張が一気に緩んだ。


「あなたがいなければ、私たちはここまで来られなかった」


 カリナがそう言うと、カイは少しだけ視線を逸らしながら低く答えた。


「俺の役目だからな」


 その言葉を聞いたディランが微かに微笑み、リサもほっと息をついた。分断されていた一行が再び集結し、彼らは森の出口を目指して歩き出した。


 その背後では、森の風が追手の痕跡をかき消すように静かに吹いていた。




 森の出口が近づいている。森の出口が見えたその時、セレナがカリナの隣に立ち、静かに語りかけた。


「カリナ、よく頑張ったわね」


 カリナが息を整えながら振り向くと、セレナの目には確かな信頼の色が浮かんでいた。


「逃げるだけじゃない。あなたなら、きっと守れるわ」


 その言葉に、カリナは頷き、改めてミナの手を握り直した。


「……ありがとう、母さん」


 木々の隙間から見える薄明かりが、山道への希望を示しているかのようだった。一行が足を進める中、カイの表情が急に険しくなった。


「待て」


 カイは短く言うと、身を低くして周囲を見回した。


 その直後、森の向こうから槍兵エヴァルト・ガンスが姿を現した。冷徹な目で一行を見据えながら、槍を構える。


「ここから先には行かせない」


 その声には一片の揺るぎもなく、一行に緊張が走った。


「リサ、ミナを守れ」


 カイがそう言うと、ディランが彼に近づき、小声で話しかけた。


「カイ、俺にもやらせてくれ。父さんに教わった技術がある」


 カイは一瞬だけ彼を見つめると、短く頷いた。


「分かった。奴を引きつける。お前は罠を仕掛けろ」


 ディランは茂みの中へと身を潜め、湿った土を押し固めるように膝をついた。≪狩猟:引っ掛け縄トリップノット≫を駆使し、絡みつくように設置したロープは青白く輝く。敵の動きを封じる仕掛けに満足すると、彼はカイの指示を待った。


 その時、カリナは足元に転がる枝を拾い上げた。手は震え、冷たい汗が掌を濡らしていたが、それでも彼女はその枝を強く握りしめる。


「もう逃げるだけじゃない……」


 彼女の心に浮かぶのは、父とエルサン長老の笑顔、そして守ることができなかった後悔。カリナはそれを振り払うように深く息を吸った。


「守るために戦う」


 彼女の言葉は震えていたが、その目には確かな覚悟が宿っていた。


 彼女の心には、不安とともに決意が宿っていた。


 エヴァルトが踏み込んだ瞬間、ディランの仕掛けた罠が発動した。ロープが鋭い音を立てて絡みつき、エヴァルトの膝を地面に縫い付ける。その瞬間、カイが間合いを詰め、鋭く槍を叩き落とした。カイは間髪入れずに飛び込み、エヴァルトの槍を叩き落とした。


「リサ、今だ!進め!」


 カイの声に、一行は森を抜けて山道へと走り出した。




 山間の谷にたどり着いた頃、陽は完全に沈み、夜の静けさが一行を包んでいた。


「ここならしばらく安全だ」


 カイの言葉に、皆が安堵の息をついた。


 カリナはミナの肩をそっと抱きながら、ゆっくりと夜空を見上げた。黒々とした空には無数の星々が瞬いていたが、その中で赤い星だけがひときわ強く輝いていた。


「父さん……」


 その言葉に、カリナの胸がじんと熱くなる。


「守る力を見つけるからね。私たち、絶対に負けないよ」


 星の光がまるで彼女の誓いを聞き届けたかのように、わずかに瞬いた。


 彼女の小さな呟きに、ミナがそっと彼女の手を握り返した。




 カイは茂みに腰を下ろし、冷静な目で森の闇を見つめていた。


「これからが本番だ」


 その一言に、一行の中に緊張感が戻る。


 だが、カリナはしっかりと前を向いた。


「どんな試練でも、私たちは乗り越えられる」


 彼女の言葉にはこれまでの逃亡劇で得た自信と、仲間への信頼が込められていた。


 カイは静かに頷くと、遠くの森を睨むように見つめた。その瞳には、まだ次なる危機への警戒心が宿っていた――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る