第48話 逆転と極秘事項

 ベルナルドは防戦を続けていた。

 右手が使い物にならない以上、左手を通して発現できる氷で耐え忍ぶしかなかった。

 だがヴァレリアの炎の勢いは衰えず、業火の大車輪や火の豪雨、闘技場の床全体を火の海にしたりなど、猛追を続けた。


 視界が炎に覆われる中、ベルナルドは内部が空洞になっている氷の球に閉じこもっていた。

 息は絶え絶え、額には玉のような汗をびっしりかいている。


「くそ、満足に反撃もできない」


 反撃ができないのではなく、したくないのではないか、との自問はすぐに頭の片隅に追いやる。


 炎の奥から黒い影が揺らめきながら、ゆっくりと歩いてくる。


「――無様な姿だな、


 ベルナルドは思わず苦笑した。

 将軍が眉をひそめた。


「何が可笑しい」

「いいや。……懐かしいと思ってさ。お前にそんな風に呼ばれるのも、そんな目を向けられるのも」

「じきに、何者も貴様を呼ぶこともなくなる。帝国の歴史に、また一つ勝利の文字が増えるだけ。歴史に貴様の居場所などない」

「文字だらけの本の中に居場所があったって窮屈なだけさ」

「敗者の戯言だな。……もう結果は見えた。降伏しろ。かつての宿敵として、本官が楽に殺してやる。脳を焼けば一瞬だ」


 ベルナルドは思わずその瞬間を想像する。

 きっと彼女は宣言通り、ほとんど苦しみもなく殺してくれるのだろう。

 優しいのだ、例え恋人でなくなっても。

 その優しさに、ベルナルドは思わずすがりたくなった。


「一つ、頼みがある」


 ヴァレリアは沈黙した。

 彼は続ける。


「ベルナルド、と呼んでくれないか」


 ぴくり、と将軍の眉が跳ね上がる。


「何故、本官が貴様如きの名を呼ぶ必要がある」

「本当に、忘れてしまったのか? ヴァレリア」

「本官は何も忘れてなど……」


 半身を背けて、ヴァレリアは口元に手を当てた。

 初めは何かを思い出したのか、とベルナルドも期待したが、違った。


 どうも何か気持ち悪さが、体の不調が、彼女にそうさせているらしい。

 万病を跳ね返しそうな彼女のそんな姿を見て、つい戦いの最中であるのも忘れそうになる。


「おい、どうした」

「貴様には関係ないっ」


 だが厳しい語調とは裏腹に、炎の海が次第に干上がり始める。

 ベルナルドには彼女の不調の理由は分からない。

 だがこの機を逃せば、真っ向から想いを伝える時間は決してやってこないだろう。


 氷の壁から一本の氷柱を飛ばすと、ヴァレリアの肩に命中した。

 先端に丸みを帯びさせたので、突き刺さりこそしなかったが、激痛には違いない。

 案の定、ヴァレリアの表情が歪んだ。


「ぐぅ……!」


「……こっちも攻めさせてもらうぜ。気絶させて、手足を氷で封じてでも。ゆっくりと話がしたいんだ」




   ◇




 観客席は、将軍の圧倒的優位が突如として崩れたので混乱に満ちていた。

 ベルナルドの手が使用不能になった時もどよめきが上がったが、彼の氷柱がヴァレリアに命中したときは、更に数段大きな反応があった。


 だが戦いを最前列の一角で見守っていたマリーは違った。

 彼女は前のめりになりながら、ヴァレリアの違和感を感じ取っていた。


(ヴァレリア様にいったい何が? 痛手は負っていないはず。それなのに顔はあんなに青ざめて……明らかに体調が悪いわ)


 会場内を見渡し、賓客が集中する席に見知った老女の顔を見つける。


(ヴァレリア様の専属医……いた。彼女ならきっと知っているはず)


 席を離れようと立ち上がると、何者かに肩をグッ、と押さえつけられた。


「――アッシェンバッハ中佐、ご着席を」


 背丈が二メートルはあろうかという大男が彼女を席にとどめさせた。

 マリーは相手の階級章を見て、ギロリと睨みつけた。


「上官に対して実力行使とは良い度胸ね、


 顔色一つ変えずに少佐は言う。


「デスイエロ将軍の『』の一件で、貴女は彼女の出国をほう助した。貴女の監視は本官に一任されています。殺死合の最中は、ご着席を」


『あやまち』とは、ヴァレリアが虚偽の部族反乱をでっちあげてベルナルドに会いに行った事件のことだ。

 情報収集、移動手段の用意など、マリーも目を付けられるに値する立派な前科をつみあげた。


「あら、お花を摘みにいくのもいけないの」


 しおらしく言ってみる。

 だが少佐は、


「お花? 花を摘んでどうしようというのですか」


 彼女は舌打ちをした。

「このバカが……」

「なにか?」

「トイレよ、ト・イ・レ! 上官が八百万人の観てる中で粗相しても良いって言うの!」


 少佐は慌てた様子で、

「し、失礼しました! では本官も同行します」

「冗談でしょう? 付いてくるつもり……!?」

「そうしろと命じられておりますので。例外はありません」


 相手の意志の頑固さにマリーは呆れかえりながら、『殺死合』の様子を見た。

 ベルナルドが攻勢に出て、ヴァレリアはそれを防いでいる。

 今の所決定打は出ていない。

 ただ、やはりヴァレリアの動きが悪い。


 無駄にできる時間はない。


「分かったわ。付いてきなさい」




   ◇




「せいぜい後で『変態』呼ばわりされるといいわ」


 顔が腫れあがって気絶した少佐を女子トイレの個室に投棄し、マリーはヴァレリアの専属医が座っている席へたどり着いた。


 試合を見つめる専属医の表情は硬い。特にヴァレリアが攻撃をギリギリのところで受け流すたびに、ギュッと目をつむっていた。

 間違いなく事情を知っている。


「失礼します、アッシェンバッハ中佐ですがお話しを――」


 ぎょっとした眼でマリーを見た老女は、「お話することはありません」と顔を背けた。

 プツン、ときたマリーは老女の首元を掴むと、周囲の目線も気にせず廊下へと引きずっていった。


「ひぃい! おやめください! 何をするんですか……!」


 廊下には人がいなかった。

 マリーは闘技場の外観を為す、ぽっかりと空いた穴型の窓の横へ女医を運んでいき、立たせた。


「デスイエロ将軍があなたに、極秘で診察を依頼したでしょう。ここ二か月以内に」


 低い声で脅すように言ったが、女医は頑なに首を横に振った。


「ご、極秘なら猶更申し上げられません。でしょう……!?」

「……言われてみればその通りですね」


 マリーは手を離した。

 女医がホッとした瞬間、マリーは彼女の胸倉を掴み、窓枠から半ば押し出した。

 女医の顔や背中はほとんど外に出て、遥か下にあるのは硬い石造りの歩道だけ。

 悲鳴を上げようとした女医の口を右手で塞ぐ。


「さあ答えなさい! なぜヴァレリア様はあんなに弱っていらっしゃるんです。何か知っているんでしょう。もしこれでもまだ教えないというのなら――」


「お、お待ちを! お待ちを!」女医が言った。「言います! 教えますから! どうか助けてください!」


 床にへたりこんでせき込んでいた女医は、やがて語り始めた。


「あれは一か月と少し前でした。将軍がお忍びでやってこられて、『近頃体調が優れない』、と仰るのです。風邪かと聞いても違う、と仰いますし……」


「要点をまとめて」これ以上待ちきれる自信のないマリーが言った。


「しょ、将軍はおっしゃいました。『食欲がなくて、たまに吐き気がする。頭痛もするし、なんだか不快だ』と」


 マリーの中で、一つの可能性が浮かび上がる。

 でも、そんなこと。


「……それから?」

「『味覚が変わった』、ともおっしゃいました。そして……月のものがもう長い間来ていない、と」


 浮かび上がった可能性が、黒く重い確信となって圧し掛かってきた。


「まさか……そんな……」


 女医は呆然とするマリーに、ゆっくりと、しかしはっきりと告げる。


「デスイエロ将軍は――されております」



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