第3話 舞踏会の夜に誘拐

 舞踏会の夜、プリシラはくるりくるりと踊り続ける。相手は途切れなかった。可愛い小さな足は軽やかにステップを刻む。サテンの水色の靴に包まれた足。淡い水色のレースのドレスを着たプリシラはまるで雪の精のようだった。


「あなた、暖かい国からいらっしゃったのね」


 気がつくと、昨日窓の外に見かけた青年と踊っていた。青年は真剣な、ちょっと怖いような顔をしている。


 プリシラはこの青年を笑わせたくなった。きっと笑ったら素敵だし、怖くないもの。


「ええ、どうしてわかったのです?」

 トリスタンがきく。


 プリシラは微笑んだ。どうしてわかったかって。ブロンズ色に灼けた肌を見ればすぐわかってしまうのに。


「教えてください、あなたはパトリック・ドトーと結婚するのですか?彼を愛してるんですか?」


 王女はひるんでしまった。この初対面の青年の質問は少しぶしつけなような気がする。でも、同時に正直な気持ちを打ち明けたくなった。彼ならわかってくれるかもしれない。どうせ花婿選びが終わったら、二度と会わないのだ。彼になら、話してもいいのかもしれない。


 迷ったすえ、おどけた調子で答えたのだ。

「トリスタン、私が誰と結婚するかなんて答える義理はないわ。父が決めることですもの。でも、誰を愛すかはお父様にだって決められない。これだけは正直にお答えするわ。私、パトリック・ドトーを愛していません。今は、よく知らないし……」


 小鳥がさえずるように喋る。目をきらきらと輝かせ、頬を上気させて。

 トリスタンは王女にますます惹かれていった。


「もし結婚相手を選ぶ自由があったら、どうするのです?ぼくと結婚してくれますか」

 無我夢中になって言う。


「きっとね」

 王女はクスクス笑って言った。冗談だと思ったのだ。

「でも不可能だわ。自由なんて!結婚相手どころか、一晩外出することもできない」


「もし可能だとしたら?今夜一晩だけでも」


 プリシラの顔から悲しそうな笑いがひいた。

「トリスタン、本当に?」


 トリスタンは王女の手首をつかむと、廊下に連れ出した。


「その自由が可能なんですよ。もし真夜中に庭の噴水の前に一人で来てくれたら」


「本当に?約束してくださる?」


 トリスタンはしきりにうなずいた。


「でもどうやってお礼をしたらいいの?母はどんなときでもお礼を忘れてはいけないって言うけれど、私にはお渡しできるものは何もないのよ」

「キスの一つをくれたら」

「キスの一つ?」

「いけませんか?花嫁になる身だから?」


「いいえ」

 プリシラは茶目っ気たっぷりに微笑んだ。

「あなたってハンサムですもの」


 重々しい足音がした。内緒話に身を寄せ合っていた二人は慌てて離れる。

 振り返るとピーター・ドールが立っていた。なんにも気づいているふうはない。伝言があって来たのだ。


「叔父君のデミアン大公がいらっしゃいましたよ。挨拶に行ってください」

 ピーターが耳打ちする。


「わかったわ。あの人、わたしのこと嫌いなのにね。あの人じゃなくて私が王冠と剣をつぐから」

 それでも、大公の機嫌をとっておくことは大切だった。なんて言ったって大公なんだから。



 抜き足差し足すすんだ。真っ暗。誰も起きていない。聴こえるのは水のかすかな音だけ。

 噴水の前に来ても、誰もいなかった。早く来すぎたのだろうか。胸がはやって眠ろうにも眠れなかったのだ。


「トリスタン」

 心細くなって名前を呼ぶ。


 やっぱりやめてしまったのだろうか。そうなのかもしれない。王女に関わり合うなんて面倒なんだ。


 不意に口を塞がれた。もがけど、ふり離せない。そのままズルズルと庭の外へと連れ出されていった。さるぐつわをかまされ、馬車に放り込まれる。


 馬車の中にはトリスタンともう一人青年がいた。二人とも今成し遂げたことに興奮している。王女を城から誘拐したのだ。


「馬車を出せ」

 トリスタンが言う。


 プリシラの目から涙が流れた。だが、トリスタンもイーサンも気づかない。哀れなか弱い王女を縄で縛り上げると、ワインを飲み出した。長い夜になりそうである。

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