第41話 体育祭



「──俺と一緒に、スペインに来る気はないか?」



 あの日。いきなりかかってきた電話で、父さんは俺にそんなことを言った。


「いきなり、なに言ってんだよ……」


 最初は、言葉の意味を理解することができなかった。だってあの人は俺を見捨てて、俺もサッカーを見捨てた。俺はもうとっくにプロになることを諦めたのに、今さら何の為に海外に行くというのか。


「意味が分からない。スペインで、一緒に観光でもしようって言うつもりか?」


「馬鹿をいえ。そうじゃない。もう一度、本気でプロを目指す気はないかと、そう言ってるんだ」


「…………」


 何を言ってるんだ、この男は。あんたが無理だと言ったから、俺はプロを諦めた。あんたの怒鳴り声を聞くのが嫌で、俺はサッカーを辞めた。なのにそのあんたが、もう一度、俺にプロを目指せというのか?


「無論、強制するつもりはない。決めるのはお前だ。お前が嫌だと言ったところで、生活費を打ち切るような真似はしない」


「別に、そんなことは心配してない。俺はただ……」


「今月中に、一度そっちに戻るつもりだ。だからそれまでに、答えを決めておけ」


「待てよ。いきなり、そんなこと言われても……困る。俺にだって、いろいろ都合があるんだ」


「お前の気持ちも、理解できる。だが、俺にもいろいろあったんだよ。こっちに来て、俺も指導者としてはまだまだ未熟なんだと痛感した。俺はお前に、自分を重ねすぎていた」


「…………」


 あのロボットみたいに冷徹な男にも、思うところはあったのか。父さんの言葉には、前のような棘はない。だから俺は、何も言えなくなってしまう。


「まあもっとも、お前がサッカーに未練はないと言うなら、俺は別に何も言わんがな。決めるのはお前だ」


 言いたいことだけ言って、電話は切れた。相変わらず人の話を聞かない人だったが、やはり前とは少し雰囲気が違うような気がした。……まあ別に、そんなことはどうだっていいのだけれど。


「今さらプロとか、なに言ってんだよ」


 もう一年も、まともにボールに触れていない。人より始めるのが早かったからといって、この大事な時期の一年は大きい。そもそも俺は、実力不足でサッカーを辞めたんだ。それなのに、今さら……


「未練、か」


 ない……とは言えない。サッカーは、物心つく前からずっと続けてきたことだ。子どもの頃は、何度も何度もプロになる自分を妄想した。俺も父さんみたいに、かっこいいサッカー選手になるんだって、そう信じて疑わなかった。


 でも海外に行くってことは、榊さんとも古賀さんとも会えなくなるってことだ。今からプロを目指すなら、女の子と遊んでいる暇なんてない。俺はまた、全てをサッカーに捧げるような生活をしなければならないだろう。今から本気でプロを目指すなら、それくらいの覚悟は必要だ。


「どうしろってんだよ……」


 答えは出ない。でも、考えることをやめることもできない。俺はこれからのことを、ぐるぐると一人考え続けた。熱を出したのも、そのことをずっと考え続けて寝つけなかったのも、理由の一つだろう。



 そして先日、榊さんと古賀さんから届いたメッセージ。



 俺が風邪で眠っている間に、父さんは一度この家に帰ってきていたようだ。そして、『1週間後にまた帰るから、それまでにどうするか決めておけ』と、また勝手な言葉を残して出て行ったらしい。それからもう三日。あと四日で、父さんが家に帰ってくる。それまでに、答えを出さなければならない。


「榊さんと古賀さんのことも、いい加減はっきりさせないとな……」


 まあとにかく、熱が下がって体調も戻った。なんだかんだで三日も学校を休んでしまったし、何より今日は祝日で……


「体育祭、か」


 今日はこれから、体育祭だ。熱も下がったし、体調は万全。榊さんとの二人三脚もあるし、とりあえず今はそちらに集中した方がいいだろう。俺は思考を切り替え、家を出る。


「いい天気だな」


 雲一つない青空を見上げ、俺は早足で歩き出した。



 ◇



 そして、土日を含めてほとんど1週間ぶりに学校に登校した俺を、クラスメイトや友達が騒がしく出迎えてくれた。


 『心配してた』とか『実はサボって遊んでたんじゃないか?』とかいろいろ言われて、俺はそれに適当な言葉を返す。みんな、なんだかんだで心配してくれていたみたいで、俺は少し嬉しかった。


 そして、そんなやりとりの後、俺は体操服に着替えて榊さんの姿を探していた。


「この前のお礼、まだ言えてないしな」


 あの時のことは、熱が酷くてあんまりよく覚えていない。ただ古賀さんと榊さんの二人に、部屋まで運んでもらったのは覚えている。一応、メッセージでもお礼を言っておいたが、やっぱり直接会ってお礼を言った方がいいだろう。


「ってか、榊さんどこ行ったんだ……?」


 体育祭の開会式が始まる少し前の時間。俺は榊さんを探して、一人グラウンドを歩き回る。朝、教室で確かに姿を見かけたから、俺の風邪がうつって休みなんてことはないはずだ。


「って、あれは……」


 そこで、久しぶりにあの男の姿を見つける。


 周りより頭一つ分くらい高い身長。艶やかな黒髪と、白い肌。しばらく学校に来ていないと聞いていた榊さんの幼馴染、三輪みわ 幸三郎こうざぶろう。彼はいつもと同じように、演劇の役者みたいに大袈裟な身振りで……いや、違う。


「なんか、避けられてない……?」


 三輪くんが普段クラスで、どんな立ち位置なのかは知らない。でも彼の口ぶりや耳にした噂からして、人気者なのだとばかり思っていた。なのに今の彼は、クラスで孤立しているように見えた。


「……ん? なんだ、君か。君も僕を嘲笑いにきたのか?」


 こっちに気がついた三輪くんは、自嘲するように口元を歪める。俺は少し言葉に迷ってから、口を開く。


「俺があんたを笑う理由はないよ。ただなんか、調子が悪そうに見えたから、大丈夫かなって」


「はっ、あんなことをされておいて、僕の心配をするのか? 君はよほど優しい奴なんだな。それともそうやって善人に擬態することで、皆を騙しているだけか」


「なんか、嫌味にも元気がないな。前はもっと、言葉に重さがあったような気がするけど、今はただ無理をしてるようにしか見えない。……何か悩みがあるなら、相談にのるよ?」


「……君は、いい奴なのかそうでないのか、よく分からないな。まあ、別にどうだっていいさ。悪いが僕は、男に弱みを見せる趣味はない」


 三輪くんは俺に背を向ける。もうすぐ開会式だというのに、どこに行くのか。三輪くんは校舎裏の方に向かって、ゆっくりと歩き出す。


 『三輪くん、やっぱり元気ないよねー』『ってか、あれでしょ? あのお姫様に無理やり言い寄って、こっぴどく振られたらしいじゃん』『もしかして、それで学校休んでたの? なんか、ダサくない?』『ねー、イメージと違うよねー』


 こそこそと、そんな噂話をする声が聴こえてくる。……三輪くんは三輪くんで、いろいろと大変なのだろう。同情はしないし、助けるような真似もしないが、今さら俺が彼を傷つける必要もない。


 俺は三輪くんと反対の方に向かって、歩き出す。


「……あいつもこのまま、大人しくしてくれてるといいんだけど」


 三輪くんはいろいろ拗らせてるから、また何か変な絡み方をされたらたまらない。……まあもっとも、あの様子だと心配する必要はなさそうだが、それでも三輪くんは酷く榊さんに執着しているようだった。俺も少し、気にかけておいた方がいいだろう。


「それより今は、榊さんを……」


 そこでようやく、榊さんの姿を見つける。俺はすぐに声をかけようとするが、榊さんは誰かと会話しているようだった。……いや、その会話の相手には見覚えがあった。


「そういや、親族とかは応援に来られるんだったな」


 うちの親はくるはずもないが、榊さんと話している相手は知っている顔だった。


「おや、そちらにいるのは、落葉さんじゃないですか! ご機嫌よう! おーっほっほっほ!」


 聞き間違えるはずもない、その笑い声。古賀さんの先輩で三輪くんの姉である天音子さんが、弟の応援に駆けつけたようだ。そしてその付き添いとして、彼女が来ていてもおかしくはない。


「やほっ、落葉くん。元気になったみたいで、よかったよ!」


 そう言って、古賀さんが笑う。


「それは私も同感ですが、あなたまでわざわざ体育祭に来なくてもよかったのに……」


 と、榊さんが目を細める。



 そうして、楽しい体育祭が始まった。


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