第37話 病欠



「いや、なにやってんだよ、俺は……」


 朝、目を覚ますと、体が酷く重かった。『あー、これは駄目な奴だ』とか思いながら熱を計ると、37度8分。まあ、少し無理をすれば学校にはいけるくらいの体温だが、そんなことをして周りにうつしても悪い。


「……大人しく、寝とくか」


 なんか、最近ちょくちょく学校を休んでしまっている気がするが、今回はまあ仕方ないだろう。体が丈夫なことが、数少ない自慢の一つだったのだが、無理をして悪化させるわけにもいかない。単なる風邪だと思うが、用心するに越したことはないはずだ。


 俺は学校と親しい友人の何人かと、一応、榊さんと古賀さんに連絡を入れて、ベッドに戻る。


「……体育祭までには、治るといいな」


 そんなことを小さく呟いて、俺は目を閉じた。



 ◇



 榊 沙織は、幸せだった。



「ふふっ」


 いつもと同じように授業開始より30分近く早い時間に登校してきた沙織は、自身の席に座り、スマホでこの前のデートの写真を眺めていた。


 ケーキを持って、少し硬い表情でピースしている落葉。一緒に買い物をしている時の落葉。家まで送ってもらった時に、最後の記念にと言って二人で撮った時の優しい笑みを浮かべた落葉。


 そんな写真を見ていると、胸がふわふわしてつい頬が緩んでしまう。


「いつまででも、見てられるな……」


 あまり教室でこういうのを見続けていると、また変な噂を流されてしまうかもしれない。……いや、わざわざ他人のスマホの中身を覗きにくるような人間はいないとは思うが、それでも気をつけるに越したことはない。


 そう分かっているがしかし、あのデートから今日まで、気づけば沙織はこの写真ばかり見つめてしまっていた。


「……ん? 坂島くんから……」


 そこで落葉からメッセージが届く。『今日、熱出したから学校休むけど、全然大したことないから、心配しなくても大丈夫』そんな内容のメッセージと、落葉が偶に使う可愛い犬のスタンプが送られてくる。


「…………」


 沙織は少し迷って、『本当に大丈夫ですか?』と送る。すぐに既読がついて、『大丈夫』と返ってくる。……落葉の性格から考えて、しんどい時でも無理して大丈夫と言いそうだが、あんまりしつこく追求してもそれはそれで迷惑だろう。


 クラスメイトたちにも、落葉からメッセージが届いたようで、また少し騒ぎになっている。


「お見舞いとか、行った方がいいんでしょうか……?」


 いきなり押しかけるのは迷惑かもしれないが、もう知らない仲というわけでもない。この前のデートの時は、いつもよりずっと積極的に接することができた。手を握っても、落葉は全然、嫌がったりしなかった。


 嫌われてはいないということは、流石の沙織にも理解できていた。


「……何かお見舞いの品を持って行くくらいは、してもいいかもしれませんね」


 放課後になったら、またメッセージを送ってみよう。少し前の沙織からすれば考えられないほど前向きで、積極的な思考。


「…………」


 自分でも、少しずつ自分が変わっていっているのを、沙織は自覚していた。今だってまだ、人と接するのが得意とは言えない。どちらかといえばまだ、苦手なままだ。でももう、昔のように誰彼構わず拒絶しようとは思わない。そんなことをして心を守らなくてもいいくらい、沙織は強くなっていた。


「坂島くん、早く元気になるといいな……」


 沙織は小さくそう呟いて、授業の準備をする為に、スマホをポケットの中に入れた。



 ◇



 古賀 琴音は、ご機嫌だった。



「ふっふー! いいでしょ、これ? 落葉くんにプレゼントしてもらったんだー!」


 朝、朝食を食べ終え、学校に行くまでの時間。琴音は妹の美海子に、落葉に買ってもらったキーホルダーを自慢していた。


「いや、おねぇ。いい加減ウザいって。それもう昨日から、一万回くらい聞いてる」


 上機嫌な琴音と違い、どこか辟易とした様子の美海子は、疲れた表情で息を吐く。


「えー、流石に一万回も言ってないよ。まだ十回くらいでしょ?」


「十回も言ってる自覚があるなら、ちょっとは控えてくれないか、おねぇよ。いくらおねぇの可愛い妹であるうちでも、十回も同じ話を聞かされたら流石にうんざりするんです」


「えー、美海子の方から惚気を聞かせろって言ってきた癖にー」


「ラーメン食べたくてラーメン頼んだのはうちだとしても、十人前も運ばれて来たら、途中でギブしてしまうものなのです。おねぇが落葉お兄ちゃんの話をする時、普段の三倍テンションが高くなることを忘れていたウチのミスです。謝るので、もう許してください」


 体から骨がなくなったみたいに、だらしなくソファに寝転がる美海子。そんな美々子を見て、琴音は不満そうに頬を膨らませる。


「あたし、まだまだ話したいことあるのにー。こうなったら、後で天音子先輩にも……って」


 そこで、スマホからメッセージの着信を知らせる音が鳴る。琴音は急いで、スマホの方に視線を向ける。


「……今だ」


 美海子はその隙に部屋の外に逃げるが、琴音はそれに気がつかないまま、驚いた声を響かせる。


「えっ、落葉くん熱出したんだ。大丈夫かな……。あたしが無理させちゃったからかな……。それとも、二度もびしょ濡れになったせい……?」


 琴音は少し、自身の軽率な行動を悔いるが、今さら後悔しても仕方ない。そう思い、琴音はすぐに思考を切り替える。


「お見舞い、行ってあげたほうがいいよね」


 本当は学校を休んででも落葉の元に向かいたかったが、そんなことをしても落葉が喜んだりしないのは分かっている。行くとしても、放課後にした方がいいだろう。


「……何か、温かいものでも作ってあげないと。それで、体とか拭いてあげたりして、そのまま……」


 しばらく、ちょっと変なことを妄想してしまう琴音だったが、すぐにブンブンと首を横に振って邪念を追いやる。


「落葉くんがしんどい時に、なに変なこと考えてんだ、あたし! それより落葉くんに、放課後お見舞いに行くって送っとかないと」


 いそいそとメッセージを送ろうして、ふと気がつく。いつの間にか、いつも家を出ている時間をとっくに過ぎてしまっていた。


「ヤバっ、早く行かないと! ……ってか美海子の奴、あたしに声かけないで一人で出てったな……」


 急いで準備を済ませて、琴音はそのまま家を出る。


「落葉くん、早く元気になるといいな……」


 琴音は最後にそう呟き、駆け足で駅へと向かった。



 ◇



 そして、放課後。昼頃にインスタントで軽い食事を済ませた落葉は、疲れがたまっていたのか、午後はずっと眠ってしまっていた。……だから彼は、二人の少女からお見舞いに行くというメッセージが届いていたことに、全く気づいていなかった。


「…………」


「…………」


 そしてタイミング悪く、落葉の家の前で榊 沙織と古賀 琴音が出会ってしまう。……けれど眠ったままの落葉は、そのことにまだ気づいていない。


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