第24話 不運



「ねぇ、落葉くん。今から少し、話いい?」


 天音子さんとのサッカー教室を終え、夕飯のお寿司を食べたあとの帰り道。古賀さんを家まで送る為にいつもの河川敷を歩いていると、古賀さんは急に足を止め真面目な表情でそう言った。


「話? 別にいいけど、いきなりどうしたのさ? そんな真面目な顔して」


 俺も足を止め、古賀さんの方に視線を向ける。ふと吹いた冷たい風が、古賀さんの髪をなびかせる。古賀さんの髪は昔から綺麗な栗色だったけど、こうして見るとその色が昔よりずっと鮮やかになっている気がする。


 きっと、手入れに時間をかけているのだろう。俺も髪を染めて、いろいろ気を遣うようになって、そういう手間が分るようになった。


 古賀さんはゆっくりとこちらに近づきながら、口を開く。


「なんか今日はごめんね? 先輩が無理言って、いろいろ付き合わせちゃって」


「いや、いいよ。あれくらい別に、大したことじゃないし。俺も久しぶりにサッカーボールに触れられて、楽しかった」


「そう言ってもらえると、あたしも助かるよ。でも……落葉くんってやっぱり、サッカー辞めちゃってたんだね?」


 古賀さんが、俺のすぐそばで足を止める。少しでも動けば、大きな胸が当たってしまいそうな距離。俺は一歩、後ずさる。


「……それはまあ、元々親に強制させられてたようなもんだしね。中学の頃、思いっきり喧嘩して、それで辞めちゃったんだよ」


「……そっか。昔からちょっと、辛そうなとこがあったもんね」


「うん。いろいろ酷いことも、言われたしね。それで一回、家出してやろうかとも思ったんだけど、向こうが先に出て行っちゃったから、俺が家出する暇もなかった」


 おどけるように肩をすくめる俺を見て、古賀さんは小さく笑ってくれる。


「まあでも、落葉くんが気にしてないならよかったよ。……もしかして今日も、無理させてるんじゃないかなって、ちょっと不安だったから」


「本当に嫌だったらちゃんと断るから、古賀さんがそんな気を遣わなくても大丈夫だよ」


「……そうだよね。落葉くんももう、大人だもんね」


 俺が一歩離れた分、古賀さんが一歩、こちらに近づく。昔は古賀さんの方が背が高かったのに、今は頭一個分くらい俺の方が背が高い。古賀さんも変わったけれど、俺も変わった。


 古賀さんは少し拗ねたような表情で、こちらを見上げる。


「ところでさ、落葉くんって先輩みたいな……金髪の女の子が好きなの? なんか今日ちょっと、先輩といい感じになってたよね?」


「いや、別にそんなことはないけど……」


「じゃあ、この前のあの女の子みたいに、黒髪が好きだったりするのかな? 実はあたしもちょっと、綺麗な黒髪には憧れがあったりして。あたし地毛が明るい色だから、染めてもあんな綺麗な黒にはならないし……」


 古賀さんが俺から視線を逸らす。すぐ近くを自転車が通り過ぎ、俺はほとんど無意識に古賀さんの方に近づいてしまう。


「あ、ごめん」


 体と体が触れ合う。何度触れても慣れない柔らかな感触に、俺はまた一歩、後ずさる。


「……落葉くんさ、そんなに気にしなくてもいいよ?」


「気にするって、何を?」


「あたしに触れること。……あたし別に、落葉くんにならどこに触れられても嫌じゃないし。体が当たったくらいで、謝らなくてもいいよ」


「そう? でも古賀さんはちょっと、無防備過ぎない? この前も俺の家で、薄着のままで寝てたしさ」


「あ、あれは疲れてただけだから! 普段はあんな風に、リビングで寝ちゃうこととかないし! よだれとか、垂らしたりしてないし!」


「いや、それは知らないけど……」


 変なところで必死になる古賀さんがおかしくて、俺はつい笑ってしまう。


「まあとにかく俺は別に、髪の色にこだわりはないよ。自分の髪を金色に染めたのも、大した理由はないしね」


「そうなんだ。それならまあ、いいけどさ……」


 古賀さんは前髪を指に絡める。そういう仕草はやっぱり女の子らしくて、可愛いなって思ってしまう。


「……なにさ、ジロジロ見て? あたしの顔に、何かついてる?」


「いや、古賀さんの栗色の髪も綺麗だなって思っただけ」


「……ありがと。……落葉くんのバカ」


 古賀さんは頬赤くして、軽く俺の脛を蹴る。なんだか恥ずかしいことを言ってしまったなと今になって思うが、表情には出さない。……やっぱりまだ、古賀さんとの距離を測りかねているような気がする。


 俺は咳払いをして、思考を切り替える。


「……それで、古賀さん。話したいことって、今の話? それとも他に何かあったりするの?」


「そうだったそうだった。先に変なこと言っちゃったから、危うく忘れちゃうとこだった」


 失敗失敗と小さく笑って、古賀さんがこちらを見る。その頬はまだ、薄らと赤いまま。


「あたしさ、落葉くんにずっと謝りたいなって、思ってたんだ」


「謝るって、なにを?」


「昔のこと。……もしかしたら、もう気づいてるかもしれないけど、駅からうちに帰るのに河川敷を通るのは遠回りなんだ」


「…………」


 確かに考えてみると、駅から古賀さんの家に行くのに、わざわざ河川敷を通る必要はない。今日、こうして駅から一緒に歩いてみて、それがなんとなく分かった。


「あたしはね、中学の時からずっと、この道を通って帰ってたんだ。そしたらいつか落葉くんに会えるんじゃないかって、そう思ってたから。……馬鹿だよね? そんなに会いたいなら、家まで行けばいいのにさ」


「……それはやっぱり、俺に謝る為? でも謝るって、昔の約束のことだよね? 俺の記憶が正しければ、古賀さんはちゃんと謝ってくれてた気がするんだけど……」


「……うん。でもさ、落葉くんは優しいから本当は無理してるんじゃないかなって、ずっとそう思ってた。あたし、酷いことしちゃったから、嫌われちゃったんだと思ってた。話しかけようと思ってもできなくて、気づけばこんなに時間が経ってた……」


 古賀さんがゆっくりと歩き出す。月が雲に隠れて、辺りは闇に飲まれていく。そういえば今日は夜から雨の予報だったなと、今になってそんなことを思い出す。


 俺は少し早足で、古賀さんの背を追う。


「昔のことは、もう気にしなくていいよ。古賀さんにはいろいろ助けてもらってるし、これからも仲良くしていきたいなって思ってるから」


「……それはやっぱり、友達として?」


「それは……」


 そこで俺は、言葉に詰まる。


 古賀さんのことは好きだ。それはもう間違いない。俺にとって古賀さんは本心を曝け出せる数少ない相手だし、いろいろと助けてももらっている。……でも、異性として好きかと問われたら、答えに詰まってしまう。


 古賀さんは昔とは別人みたいに綺麗になったし、性格も明るくて非の打ち所がない。こんな子と付き合えたら、きっと毎日が楽しくなるだろう。


 でも俺はつい先日まで、榊さんのことが好きだった。もう未練はないけれど、その想いに嘘ない。彼女のあの『都合のいいキープ』という言葉を聴いた瞬間、俺の心は彼女から離れていった。それであの夜、言いたいことはほとんど言えて、気持ちに区切りをつけることができた。……そう思っていたのに、榊さんは俺にキスをして、俺のことが好きだと言った。


 彼女の心境の変化の理由なんて分からないし、今さらなんて答えればいいのかも分からない。だから榊さんとは、あれからまだまともに話もできていない。何か言わなければと思うが、何を言えばいいのかが分からない。


「…………」


 そこでまた、風が吹く。じめっとした嫌な風。俺は髪をかき上げる。


 古賀さんが、俺に好意を向けてくれているのは分かっている。でもそれが、異性に向ける好意なのかどうか、俺にはよく分からない。……他人の気持ちには敏感なつもりでいたが、この前の一件があってから、女の子が何を考えているのか全く分からなくなってしまった。


「落葉くん、あたしはね……」


 黙ってしまった俺を見て、古賀さんは何を思ったのか。気づけば古賀さんの顔がすぐそばにあって、俺はまた後退りそうになる。……でも古賀さんは、それを止めるように俺の腕を掴む。


「目を逸らさないで、あたしを見て。落葉くん、あたしは──」


 そこで、まるで古賀さんの言葉を遮るように、ぽつりと雫が古賀さんの頬を伝う。二人して、吸い寄せられるように空を見上げると……


「うおっ!」


「きゃっ!」


 空が割れたみたいに雷が鳴って、土砂降りの雨が降り注ぐ。あっという間に、俺も古賀さんもびしょ濡れになってしまう。


「……なんか、濡れてばっかりだね」


 と、古賀さんが笑う。


「この前、濡れたのは俺だけだよ」


 と、俺も笑う。古賀さんは小さく息を吐いて、俺に背を向ける。


「じゃあ、またうち来なよ。シャワーくらいは、貸してあげられるよ?」


「いや、でも……」


「落葉くん?」


「……分かった。じゃまた、お世話になります」


 流石に今日は断ろうかとも思ったが、ここで遠慮してもきっとまた無理やり連れて行かれてしまう。だから今回も有り難く、古賀さんの家にお邪魔させてもらうことにする。


 今度なにかお礼をしないとな、とか考えながら古賀さんと二人並んで走り出す。


「……ほんと、なにやってんだか」


 激しい雨音の中、俺は小さくそう呟いた。


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