第21話 恋心
榊 沙織は、胸が痛かった。
「……気持ち悪いな、私」
駅で落葉と別れたあと、しばらく電車に揺られて自宅に帰ってきた沙織は、体に溜まった熱を抜く為に、帰ってすぐにシャワーを浴びていた。
「……はぁ」
大きな鏡に反射した自分は、いつもと何も変わらない。長い黒髪。白い肌。大きな胸。そして、何かを諦めたような冷めた目。
自分は何も変わらない。……変わっていない。そのはずなのに、今までの自分からすれば考えられないことを、してしまった。
「どうして、あんなことをしてしまったんでしょう。いきなり……キスを、するだなんて……」
沙織はシャワーを止め、自身の唇に指を当てる。……人生で、初めてのキスだった。ほんの一瞬、触れるだけのキス。夢みたいだったけれど、確かに唇と唇が触れ合った。……思い返すだけで、はち切れそうなほど胸が痛む。
幸せで、恥ずかしくて、不安で、申し訳なくて、それでもやっぱり幸せで……。どうしようもなく、胸が痛い。
「本当に、最低です」
理由はどうあれ、了承もなくいきなりキスをしてしまった。落葉は優しいから責めないでいてくれたが、普通ならもっと怒ってもいいことだ。自分がもし……落葉以外の相手にそんなことをされたら、今ごろもっと怒って……傷ついていたはずだ。
「結局、私はまたあの人に甘えてしまった……」
自分の容姿が優れているから、キスをすれば男の子は喜んでくれる。……そんな風には、思っていない。自分がまた、落葉の優しさに甘えるような酷いことをしてしまったという自覚はある。
「それでも、見てられなかった……」
沙織があの空き教室の前を通ったのは、偶然ではない。彼女は三輪に呼び出されて、あの場所にやってきた。
『君に、坂島 落葉の本性を見せてやる』
帰り道の途中。三輪からそんなメッセージとともに、あの場所に来いというメッセージが届いた。なので沙織は急いで、あの空き教室に向かった。
……三輪は、落葉のスマホを盗んだ犯人ではなかった。けれど彼は、彼本人の言葉通り多くの人間とかかわりを持っており、その中には落葉のことを敵視している沙織のファンも含まれていた。三輪は、彼らの様子がおかしいことをいち早く察し、彼らを上手く誘導し話を聞いてみた。そして彼らが、落葉のスマホを盗んだ犯人だということを知り、思った。
このままだといずれ、足がつく。
そう考えた三輪は、最後に彼らを利用することにした。彼らの落葉への敵愾心を利用し、落葉の怒りを誘う。自分一人だと何を言っても流されてしまうだろうが、集団で罵倒し、スマホのことも利用すれば、きっと落葉も我慢できなくなるだろう。そして、感情的になった落葉を沙織に目撃させれば、彼女の気持ちも少しは冷めるはずだ。……三輪はそう、思っていた。
けれど沙織は、三輪が全く想定していなかった行動をとった。彼女は落葉に……キスをした。彼が思っていたよりずっと本気で、沙織は落葉に惚れていた。
無論、沙織はそんな細かな事情は知らない。ただ彼女は三輪に呼び出されるがままにあの空き教室までやって来て、それで……三輪の胸ぐらを掴んだ落葉を目撃した。
「……あんな顔、もう見たくないな」
怒っていた……というよりかは、何かを諦めたようなとても悲しい表情。自分もたくさん酷いことをしてきたという自覚があるからこそ、沙織はそんな落葉を見ていられなかった。だから結果として彼女は、落葉にキスをして、気づけば……好きだと言ってしまっていた。
そうしなければ、三輪やファンたちは自分の言葉を信じてくれないから──
「いや、それは言い訳ですね」
沙織はシャワーを止め、風呂場から出る。用意しておいたバスタオルで体を拭きながら、彼のことを考える。
キスをした。好きだと言った。もうあと戻りはできない。どんなことを言われても受け入れる覚悟はできているし、彼が望むのならなんだってするつもりでいた。
「……どうして、そんな風に思ってしまうでしょうね」
ついこの前は、あんなに泣いて、あんなに傷ついて、あんなに後悔していたのに、今は不思議と前向きになれる。あのキスは、自分勝手な自己満足だと分かっている。それでも、あの一瞬の触れ合いが沙織の胸に空いた穴を塞いでくれた。
「誰がなんと言おうと、もう彼にあんな顔はさせない」
今までは落葉が、自分を守ってくれていた。だからこれからは、自分が彼を守ろう。振り向いてもらえなかったとしても、自分がかけた迷惑分くらいは、彼の為に頑張りたい。力になりたい。
「……いや、それも言い訳か。私は結局、彼のそばに居ていい理由を探してる……」
小さく呟き、沙織はまた自身の唇に指を当てる。
「柔らかかったな……」
明日から、どんな顔をして落葉と会えばいいのだろう? 彼が隣で授業を受けていると思うと、きっとソワソワしてまともに授業に集中することもできないだろう。また彼のことを、ジロジロ見て変な女だと思われてしまうかもしれない。
「今日は絶対に、眠れませんね」
沙織はため息を吐く。けれど、鏡に写った少女は……笑っていた。黒髪で、白い肌をしていて、胸が大きくて、冷めた目をしている。そんないつもと変わらないはずの少女は、どうしてか幸せそうに笑っていた。
「ああ、そうか」
それで沙織は、気がついた。好きだと言って、キスをして、彼のことを想うと胸がドキドキと高鳴る。知識では知っているけど、初めて理解できたその感覚。言葉にすると安っぽいけど、他の言葉では言い表せない。そんな気持ち。
沙織は最後にもう一度、自身の唇に指を当てる。
「早く会いたいな……」
──榊 沙織は、恋をしていた。
◇
「あー、ねむ」
三輪くんたちと揉めた翌日の放課後。俺は駅前で、古賀さんと待ち合わせしていた。
というのも今朝、古賀さんからメッセージが届いた。詳しい理由はまだ教えてもらっていないが、どうしてかあのお嬢様四天王の金髪の女の子が、俺に会いたいと言っているらしい。
正直、そんなことを言われる心当たりは全くなかったが、別に今日は予定もないし、断る理由もない。だから俺は、古賀さんとあのお嬢様の人がやってくるのを、駅前で待っていたのだが……
「……ふぁ」
みっともなく、大きなあくびが溢れてしまう。昨日はいろいろあったから、あまり眠れていなかった。
昨日はあの後、とりあえず返ってきたスマホの確認をした。ざっと見た限り、充電は切れていたが、中身に問題はないようだった。ただ一応、何かあったら怖いので一度初期化して、しばらくは新しく買った方のスマホを使うことにした。
「せっかく、買ったんだしな」
売れば、半分くらいの金は返ってくるとは思うが、せっかく古賀さんと一緒に買ったものをすぐに売るのも憚られる。ということで、しばらく新しく買ったスマホを使って過ごそうと決めて眠ろうとしたのだが、なかなか寝つくことができなかった。
考えていたのは、やはり……榊さんのこと。あの榊さんが、俺のことを好きだと言った。彼女のあの様子からして嘘だとは思えないが、どういう心境の変化があったら、『都合のいいキープ』と言った俺のことを、好きになるのだろうか?
どれだけ考えてもその理由が分からなくて、ずっとモヤモヤしていた。
「……やっぱ、女の子の考えは俺にはよく分かんないな」
結局、昨日は同じようなことをグルグルと考えてしまい、気づけば朝になっていた。当然、授業に集中することもできず、ずっと隣に座った榊さんのことが気になっていた。ただ別に、榊さんが俺に何か言ってくることはなかったし、俺も榊さんに話しかけたりはしなかった。
……まあ、偶に目が合って、お互い何か言おうとするが何も言えず、すぐに目を逸らしてしまう。そんなことが、何度もあった。
ちなみに、もうあのファンの連中が絡んでくることはなかったし、三輪くんは昨日のあれがよほどショックだったのか、今日は学校を休んでいるようだった。……まあ、それは当然かもしれない。彼からしたら、ずっと片想いをしてきた幼馴染を、変な金髪に寝取られたようなものなのだから。
無論、自業自得だし同情はしない。寧ろ、また絡んでくるなら、今度はもう容赦しない。
「そろそろ、シャキッとしないとな」
もうしばらくしたら日も暮れるのに、今さら何を言っているのかとも思うが、俺は欠伸を飲み込んで大きく伸びをする。
すると背後から、よく響く品のいい声が響いた。
「どうやら、お待たせしてしまったようですわね」
その特徴的な喋り方はまだ慣れないなと思いながらも、声の方に視線を向ける。やはりそこに立っていたのは、俺とは違いナチュラルで綺麗な金髪の女の子。
「はじめまして……ではないですが、一応自己紹介を。わたくしは御鏡女学院が誇るお嬢様四天王が一人、三輪 天音子ですわ。おーほっほっほ!」
少女……三輪さんは、テンプレ通りのお嬢様みたいに、口元に手を当てて高らかに笑い声を響かせる。なんだか変な仕草も似合っているから、あまり違和感を感じない。案外、堂々としていれば、変なことをしていてもそんなに気にならないのかもしれない。
俺は少し気圧されながらも、口を開く。
「どうも、こんにちは。俺は坂島 落葉です。古賀さんの……って、あれ? 古賀さんはどうしたんですか?」
てっきり、古賀さんと一緒に来るのだとばかり思っていたが、見えるのは金髪の女の子……三輪さん一人だけ。古賀さんの姿は、どこにもない。
「あら? まだメッセージを見てらっしゃらないのですか? 古賀さん、ちょっと先生に用事を頼まれてしまったようで、少し遅れるみたいですわよ?」
「え? そうなんですか? ……って、ほんとだ。メッセージきてた……」
ぼーっとしていて、気づかなかった。急いで既読をつけて、メッセージを返しておく。三輪さんは、優雅な仕草で髪をなびかせる。
「まあ、遅れるといっても、そんなに時間はかからないと思います。とりあえずわたくしたちは、先にカフェに入ってましょうか?」
「……そうですね。じゃあ、古賀さんにもそうメッセージ送っておきます」
「お願いしますね? では、行きましょうか」
そうして二人で、近くのカフェに入る。奇しくもそこは、このまえ三輪くんに呼び出されたのと同じカフェだったが、まあきっと偶然だろう。
三輪さんは、運ばれてきた紅茶に優雅な仕草で口をつけ、言った。
「まずは、こうして今日はわたくしの為に時間を作って頂き、ありがとうございます。ここの支払いはわたくしがしますので、好きなものを頼んでください」
「……いやまあ、そんな大袈裟なことはしてないんで、そんな畏まって頂かなくても大丈夫ですよ」
俺はコーヒーに砂糖を入れてから、そう言葉を返す。
「ふふっ。古賀さんが仰っていた通り、優しい方なのですね、あなたは」
「どうでしょう? 別に、優しくしているつもりはないですけど……」
「そう謙遜しなくても、大丈夫ですわよ? 古賀さんから、いろいろと話は聞いていますので。……払うべきところに、払うべき敬意を払う。言葉で言うのは簡単ですが、それを実際にできる人はそう多くはありません。わたくし、礼儀正しい殿方は嫌いではありません」
「……どうも」
なんだがよく分からないが、評価が高いみたいだ。……というか、古賀さんが俺のことを実物以上に高評価してくれているから、彼女から話しを聞いている三輪さんには、俺が実物よりよく見えているだけなのかもしれない。
俺は軽くコーヒーに口をつけてから、三輪さんの方に視線を向ける。
「それで、三輪さん。何か俺に聞きたいことがあると、古賀さんから聞いているんですけど……」
「天音子」
「はい?」
「わたくし、苗字で呼ばれるのがあまり好きではないので、あなたさえよければ『天音子』と呼んで頂けませんか?」
「別に、構いませんけど……」
女の子を下の名前で呼ぶのは慣れないが、三輪と聞くとあいつのことを思い出してしまうので、彼と区別する為にも名前で呼んだ方が分かりやすいだろう。
「では……天音子さん。あなたは俺に、何の用があるんですか?」
俺が三輪さん……天音子さんの方に視線を向けると、彼女はゆっくりとティーカップをソーサーに置いて、言った。
「実はわたくし、あなたとはいくつか話してみたいと思っていたことがあるんです。でも、まずは……お願いですわね。ちょうどタイミングよく、彼女がこの場にはいませんので」
「お願い、ですか……?」
「あなたはあの古賀さんとお付き合いされているようですし、それだけで信頼できる殿方なのだということは分かります。そんなあなたに、折り入ってお願いしたいことがあるのです。とても大事な、お願いが……」
「いや、俺は──」
古賀さんの彼氏ではないですよ、と訂正しようとしたのだか、それより早く天音子さんが口を開く。
「坂島 落葉さん。いきなりで申し訳ないのですが、わたくしとお付き合いして頂けませんか?」
「…………は?」
俺はしばらく、彼女の言葉の意味を理解することができなかった。
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