第16話 練習
「その……よろしく、お願いします」
榊さんが、気まずそうに頭を下げる。
「……よろしく」
そう言って俺は、気まずい空気から逃げるように、辺りに視線を向ける。
うちの高校は、あまり体育祭に力を入れていない。だから自ずとその練習も、どこか遊びの延長のような雰囲気がある。中でも二人三脚は、その最たるものだ。
参加者は皆、カップルみたいな雰囲気で、和気藹々と楽しげに会話をしながら、肩を組んで走っている。……遠巻きに、その姿を恨めしそうに見ている男子たちもいるが、当人たちは誰も気にしていないようだ。
「…………」
「…………」
そしてそんな中で、俺と榊さんだけが浮いていた。
……まあでも、それは当然だろう。クラスメイトたちはまだ誰も知らないが、俺と榊さんはつい先日、別れたばかりだ。そんな状況で楽しく肩を組んで走るなんて真似は、できるはずもない。
「……でも今さら、辞めるとは言えないよな」
俺がホームルームをサボったせいで、こういうことになったという側面もある。タイミングは最悪だが、今さら嫌だから変えてくれとは、言いづらい。
俺は諦めて、榊さんの方に視線を向ける。
「その……榊さん、とりあえず足に紐、結んでもいい? ぼーっと突っ立ってるだけだと、逆に目立つしさ。もちろん、できるだけ触れないようにするから」
「分かりました。では……お願いします」
榊さんが、こちらに向かって脚を差し出す。シミ一つない、真っ白で綺麗な脚。一瞬、目を奪われるが、あまりジロジロ見るのも失礼だ。俺は手早く、できるだけ触れないように、榊さんの脚と自分の脚を紐で結ぶ。
「大丈夫? 痛くない?」
「大丈夫です。……でも、もう少しキツく結ばないと、走っている最中に解けてしまうかもしれませんよ?」
「……まあ、練習だし大丈夫でしょ。解けても別に、結び直せばいいし。みんなもそんな、ガチでやってる雰囲気でもないしね」
「……ですね」
ざっと見る限り、やはり練習……というよりかは、恋人同士でいちゃついているだけにしか見えないような連中の方が多い。……綱引きとか、騎馬戦の奴らはなんかガチでやってるみたいだが、二人三脚で本気でやってそうな奴は誰一人としていない。
だから別に、サボっていてもバレないだろうし、バレても大して怒られはしないだろう。……そう思うが、きっと榊さんはそういうことをするのは、嫌いなはずだ。榊さんはいつも、授業を真面目に聞いてるし、掃除も手を抜かない。何かをサボっているところなんて、見たことがない。
俺が嫌だからと言って、一緒にサボらせるわけにもいかないだろう。
「とりあえず一回、走ってみようか?」
「……そうですね。少しくらいは練習しておかないと、本番で転んでも恥ずかしいですし……」
「じゃあ軽くだけ、やってみよう」
そう言って、そのまま榊さんの肩に手を回そうとして……辞める。
「どうかしましたか?」
榊さんは首を傾げる。俺は言った。
「いや、榊さん、気安く触れられるのとか好きじゃないでしょ? 脚を結ぶのは仕方ないけど、肩とか組んだら流石に嫌じゃない?」
「それは……」
付き合っていた時ですら、まともに手すら繋がせてくれなかったんだ。別れた今になって、そんな馴れ馴れしくしたら、きっと榊さんも困るだろう。
「一回、肩組まずに走ってみようか? 俺、運動とか結構得意だし、榊さんのペースに合わせて走ってみるからさ」
「……そうですね。その方が……いいですよね」
榊さんはこちらに視線を向けないまま、小さな声でそう答える。……やはり、触れられるのはあまり好きではないのだろう。彼女は絶対に、こっちを見ようとはしない。
「……軽く走って、さっさと終わらせるか」
そう決めて、とりあえず「せーの」の掛け声で走り出そうとしたのだが……
「ちょっ……!」
「……っ!」
いきなり転びそうになって、慌てて榊さんを支える。
「ごめん、榊さん……大丈夫?」
「いえ、私の方こそ変なペースで走ってしまい……すみません」
榊さんは気まずそうに、視線を下げる。俺は軽く、自分の額を叩いた。
……これは、思っていたよりも難しいかもしれない。榊さんは女の子にしては背が高い方だが、それでも俺の方が身長は10cmくらい高い。歩幅も違うし、走るペースも違う。おまけに俺たちの息は、まるで合っていない。お互い変に気を遣っているせいで、逆に走り辛くなってしまっている。
「とりあえず、もっかい走ろうか? 次はちゃんと、合わせるからさ」
「……そうですね。次は私も気をつけます」
そうして何度か試してみるが、十歩目まで辿り着けない。毎回どちらかが転びそうになって、足が止まってしまう。どうやら俺たちに、二人三脚の才能はないようだ。
「……なんか、サッカーやってた頃を思い出すな」
俺はつい、笑ってしまう。
「……サッカーを、やっていたんですか?」
榊さんがこちらに視線を向けないまま、そう呟く。俺は軽く息を吐いてから、口を開く。
「言ってなかったっけ? 親がちょっと、有名なサッカー選手だったんだよ。それで物心つく前から、いろいろ教えてもらってたんだけど、俺……才能なくてさ。今みたいによく、失敗してたんだよ。それでいつも、怒られてた」
「それは……きっと、辛かったんでしょうね」
「やってる時は、別に辛いなんて思わなかったよ。……ただ、『もういい』って見捨てられた時は、流石に傷ついたな」
「そう、ですか……」
榊さんは辛そうに、自分の手をぎゅっと握りしめる。……しまった。話さなくてもいいことを、話してしまった。
俺はすぐに、思考を切り替える。
「それより、もう少し走ってみようか? 才能なくても地道に続けてれば、そこそこできるってのは俺がもう実証済みだから」
「……そうですね。もう少し、走ってみましょうか」
そして、また「せーの」の掛け声で走り出そうとするが、どうしてか榊さんは……動かない。
「どうしかした?」
と、俺が訊くと、榊さんは相変わらずこちらに視線を向けないまま言った。
「……肩、触れてもいいですよ? いや……違います。少しでいいので、あなたの肩に触れさせてもらえませんか? そうでないと……私が、走りづらいので」
榊さんが、こちらを見る。……なんだか、初めて見るような表情だ。うっすらと赤くなった頬に、潤んだ瞳。まるで、好きな人に告白する前の女の子のような、そんな表情。
……いや、それは俺の思い過ごしか。
榊さんが、今さらそんな顔をする必要はない。きっと……さっき久しぶりに告白されたせいで、変に敏感になっているだけなのだろう。
俺はいつもの作り笑いを浮かべて、言葉を返す。
「榊さんがいいなら俺は構わないけど……榊さん、無理とかしてない? 榊さんが本当に嫌だったら、俺が今からでも──」
「いえ、嫌じゃないです。嫌じゃ……ないんです」
「……だったら、いいんだけどさ」
なんだか、何をしているのか分からなくなってきた。もう別れたのだから、余計なことで悩まなくてもいい。そう思っていたのに、どうしてこう……面倒ばかり起こるのか。
「……ほんと、なにやってんだか」
俺はため息を飲み込んで、榊さんの肩に手を回す。
「……っ」
華奢で、力を入れれば折れてしまいそうなほど、か細い体。あんなに触れてみたいと思っていたのに、いざ触れてみると壊れてしまいそうで、すぐに手を離したくなる。
「……榊さん、無理して肩に触れなくてもいいよ。俺の方が背高いし、榊さんは腰の辺りに手を置いた方が走りやすいかも」
「そうですね。……では、失礼します」
「…………」
俺の腰に触れた榊さんの手。……少し、震えている。やっぱり、無理をさせているのだろう。……そう思ったが、榊さんは首を横に振った。
「大丈夫です。嫌じゃないって言ったのは、嘘じゃ……ないですから」
「そう? ……じゃあ、ちょっと走ってみようか」
「……はい。お願いします」
そうして、しばらく二人で走ってみる。肩を組んだから、いきなり上手く走れる……なんてことは、もちろんなかったけれど、体が近づいた分、重心も安定して転びそうになることは少なくなった。
「やっぱり、こうして触れた方が、走りやすいですね?」
榊さんがこちらを見上げる。俺はつい、視線を逸らしてしまう。
「……うん。でも、力が入って痛かったりしたら、すぐ言って。そんなことで、怪我させるわけにもいかないからさ」
「そんなに気を遣って頂かなくても、大丈夫ですよ。私は……大丈夫です」
「なら、いいんだけどさ……」
そして、何度か走ってみたあと、最後に本番で走る距離を走ってみようということになり、俺たちは二人で白線で引かれたコースに立つ。
「じゃあ、行くよ? 榊さん」
「……はい。頑張ります」
「「せーの」」
その掛け声とともに、二人で走り出す。初めは全く分からなかった榊さんの走りが、今はなんとなく伝わってくる。たぶん榊さんも、俺がどういう風に走るのか、分かってきたのだろう。
最初と比べて、だいぶ走りやすくなった。……正直、榊さんに触れられるのはなんだかまだむず痒いが、チラリと見えた榊さんの横顔は……とても真剣だった。
「…………」
だから俺も余計なことは考えず、本気で走る。……そして、途中ふらつくこともあったが、なんとか無事にコースを走り切ることができた。
「しゃっ! 行ったっ!」
思わず、ガッツポーズをしてしまう俺。榊さんは……
「ふふっ、よかったです」
と、笑ってくれた。一瞬だったけれど、確かに彼女の頬が緩んだ。……笑うといつもと違って幼く見えるんだな……なんて、そんなことを俺は思った。
どうしてか酷く、胸が痛んだ。
「……こんなことで、よかったのか」
後悔なんて、別にしていない。けど、何かがもう少し違ったなら、もっと……いや、よそう。もう全部、終わったことだ。
俺は空を見上げ、小さく息を吐く。
「よしっ、これだけできれば充分だな。一位はとれないかもしれないけど、本番で恥をかかなくて済みそうだ」
「……そう、ですね」
ようやく走り切れて、これで練習を終われる。そう思っていたのに、榊さんはどこか不満……というより、なんだろう? 彼女はどこか名残惜しそうに、俺の体操服を掴む。
「……? どうかしたの、榊さん。もしかして、まだ練習したかったりする?」
「いえ……もう体育も終わりですし、そろそろ足の紐を解きましょうか」
そう言って榊さんは、しゃがんで脚を結んだ紐を解こうとする。
「あ」
けど、途中でバランスを崩してしまったのか、榊さんは俺に抱きつくような形で、こちらに向かって倒れ込んでしまう。
「……っ」
榊さんの柔らかな胸が、俺の体で潰れる。体操服越しに、温かな体温が伝わってくる。ふと漂ってきた柑橘系のいい香りに、思わず心臓が高鳴る。
「……大丈夫? 榊さん」
俺はできる限り平坦な声で、そう尋ねる。榊さんは俺の胸に顔を埋めたまま、言った。
「……すみません。どうやら変な風に足に力が入っていたみたいで、少し足が痺れてしまって……」
「大丈夫? 保健室とか、行く?」
「いえ、そこまで大したことではありません。……ただ、もうちょっとだけ、支えておいてくれませんか? まだ少し……上手く歩けなくて、動くと足が……痛いんです」
「……別に、構わないけど」
「すみません。……本当に、すみません」
俺の胸に顔を埋めているせいで、榊さんの表情は見えない。……ただ彼女は、何度も何度もすみませんと謝った。俺は別に、こんなことで謝る必要はないと思ったけれど、どうしてかそれを言葉にすることができない。
結局、俺は榊さんを振り払うことも、抱きしめ返してあげることもできず、チャイムが鳴るまで、ただ空を見上げ続けることしかできなかった。
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