第8話 待ち合わせ
古賀 琴音は、幸せだった。
「あー、いいお湯だった」
坂島 落葉と話をしたあと、家に帰ってご飯を食べてお風呂入った琴音は、楽しげに鼻歌を歌いながら、リビングのソファに座る。
「落葉くん、元気になったみたいでよかった」
あのあともいろいろと話をして、さっそく明日、2人で出かけようと約束をした。なんでも落葉は、ついこの間スマホを失くしてしまったらしく、とりあえず繋ぎの為の中古の安いスマホを買いたいらしかった。
「つまりそれって、デートじゃん」
なんだか思い返すと恥ずかしいことを言ってしまった気もするが、それでも明日、落葉と一緒に出かけることができる。そう思うと、琴音の心は晴れやかだった。
「ちゃんとやれるよね、あたし……」
琴音は近くにあったクッションをぎゅっと強く抱きしめ、天井を見上げる。落葉は……泣いていた。つい最近まで疎遠になっていたとはいえ、落葉と琴音は小学校に入る前からの付き合いだ。そんな長い付き合いで、落葉が泣いている姿を見たのは、これで二度目。
一度目の時は、何の力にもなれなかった。
いや、寧ろあの時は……
「もう絶対に、間違わない」
琴音はテーブルに置いてあったスマホを手に取り、一枚の写真を見つめる。そこに写っているのは……
「あ、なんだ、おねぇ。もうお風呂、上がったんだ。じゃあ次は、ウチが入ろーっと」
そこで琴音の妹である美海子が、リビングにやって来る。
「あ、ごめん。声かけるの忘れてた」
そう言って琴音は、隠すようにスマホをテーブルに置く。
「ん? なんかおねぇ、今、怪しい動きしたよね? ……あ、まさか、この前うちが撮ったお風呂上がりの落葉お兄ちゃんの写真でも見てたな?」
「ち、違うよ。そんなの見てない」
琴音は逃げるように、遠くに視線を逃す。美海子はジト目で、そんな姉を見つめる。
「そんなこと言っておねぇ、うちが写真撮ってたことに気がつくと、送って送ってってうるさかったじゃん」
「それは……あれだよ。記念だよ、記念に欲しかったの」
「うそだー。どうせおねぇ、あの写真使ってオナ──」
「そんなこと、しません!」
「あいてっ!」
美海子の言葉を途中で遮り、琴音は妹の頭を叩く。
「痛いなー。なにも叩かなくてもいいのにー」
美海子は不服そうに、頭を押さえる。琴音は呆れたように、息を吐いた。
「あんたが変なことばっかり、言うからでしょ?」
「別に、普通のことしか言ったつもりないんだけどなー。落葉お兄ちゃん、昔とは別人みたいにイケメンになってたし。……まあ、それにしてはなんかちょっと、自信なさげだったけど」
「それは……まあ、落葉くん謙虚だから」
「でもなんか逆にそれが、モテそうだったよね? 隠れファンとか多そう」
「……それは、否定しないけど……」
何だか複雑そうに、琴音は眉をひそめる。美海子は冷蔵庫からジュースを取り出し、それを一息で飲み干した。
「やっぱりあれなら、学校でもモテるんだろうなー。もしかしたらもう、彼女の1人や2人いたりして」
「えっ、えぇ! そんなこと……」
ないとは言えず、思わず立ち上がってしまう琴音。美海子はそんな姉の姿を見て、ニヤリと笑った。
「おねぇ、明日なんか落葉お兄ちゃんと出かけるんでしょ?」
「……言ったっけ? それ、あたし」
「おねぇの考えなんて、全てお見通しなのさ」
「えぇ……なにそれ。あたしは美海子がなに考えてるか、1ミリも分からないのに……。もしかしてあたしって、そんな分かりやすい……?」
なんだか不満そうな琴音。美海子は気にした風もなく、言葉を続ける。
「おねぇさ、あんまりちんたらやってると手遅れになるよ? おねぇの大人になったよアピールとか、ガチ勢からすれば鼻で笑われるようなものだし」
「……ガチ勢って、何のガチ勢なのさ」
「痴女ガチ勢」
「そんなガチ勢はいません」
またペシっと、琴音は妹の頭を叩く。
「とにかく、あんたが何を言おうと、あたしはあたしのペースで関係性を深めていくの。ガチ勢とか、知りません」
「とか言っておねぇ、何年経ってんのさ」
「うっ、それは……」
図星を突かれたと言うように、琴音は視線を逸らしてしまう。美海子は琴音の前のソファに座り、偉そうに足を組んで小さくなった姉を見下ろす。
「おねぇが片想いして、はや数年。事態は全く前に進んでいない。このままだとおねぇは、胸だけ大きくなって死ぬ。それは妹として、看過できないことだ。だからうちがおねぇに、作戦を授けてあげよう!」
「えぇ……。美海子の作戦なんて、聞く気にならないなー」
「おや、本当にそれでいいのかな? このままだと、またなんか知らないうちに疎遠になって、奇跡の再会を願いながら遠回りして河川敷を通る日々に戻ることになるよ?」
「うぐっ、それは……」
小学校の頃とは違い、今、琴音が通っている高校は徒歩圏内ではなく、電車で通わなければならない距離だ。そして駅から家に帰るのに、わざわざ河川敷を通る必要はない。
「というわけで、おねぇにうちの作戦を授けます」
「……分かったよ。聞くだけ聞いてあげる。……それで、その作戦って?」
「おはん。名付けて、一夜の過ち大作戦!」
「やっぱり、聞きたくないな……」
そんな風に騒がしく、古賀家の夜は深まっていく。
◇
そして翌日。俺はまた、いつもと同じように学校に登校していた。
「おちばー、おはよー!」
教室に入るなりすぐ、森くんがそう声をかけて来る。
「おはよう。どうしたの? 今日はなんか、テンション高いじゃん」
俺はため息を飲み込んで、いつもの作り笑いを浮かべる。
「いやいや、昨日はあのあと、どうだったのかなーって思ってさ」
「……昨日? あのあと? それって、なんの話?」
「惚けんなよ……って、川ちゃんがまたこっち睨んでる。俺、馬鹿だからまた余計なこと言っちゃいそうなんで、今日はもう席戻ってまーす」
「……?」
なんだかよく分からないまま、逃げるように立ち去る森くん。なんか、いつにも増してテンションが高かった気がするが、何かあったのだろうか? ……まさか、昨日の古賀さんとのことを見られていたなんてことは……流石にないよな?
「まあ、もうどうでもいいか」
そんな風に、他人の視線ばかり気にしても仕方ない。こっちがいくら気にしても誰も気にかけてくれないのだから、俺ももう少し自由にしてもいいだろう。
軽く息を吐いて、俺はそのまま自分の席に座る。
「…………」
隣には既に、榊さんの姿があった。……高校というのは、面倒だ。どんなことがあっても、毎日絶対に決まった席に座って授業を受けなければならないのだから。
「……おはようございます」
と、榊さんは言った。どういう神経をしていたら、あんなことをした次の日に平然と挨拶をすることができるのか。
「悪いけど、もう話しかけないでくれ」
俺は榊さんの方に視線を向けず、そう吐き捨てる。
「昨日は──」
「だから、話しかけんなっつってんだよ」
それだけ言って、イヤホンをつける。スマホはまだないから、音楽はかけられない。でもこうすればもう、彼女の声を聞かないで済む。
「ほんと、なにやってんだか」
昔から、人には優しくしなさいと言われてきた。……でも、優しいというのがどういう意味なのか、誰もそれを教えてはくれなかった。昨日、古賀さんは俺のことを優しいと言ってくれたが、それがどういう意味なのか俺にはよく分からない。
……いや、それが例えどういう意味であったとしても、この女に優しくするなんて真似はもう俺にはできない。
「そんな善人じゃないんだよ、俺は」
さっさと席替えをして、席を離してもらいたい。こんな女の顔なんて、一秒だって見ていたくはない。……でも、新しいクラスになって、まだ一月。ついこの前、席替えをしたばかりだ。俺が何を思ったところで、しばらくはこの嫌な空気に耐え続けなければならない。
「早く放課後にならないかな……」
そこでチャイムが鳴って、また長い授業が始まる。俺は、これから古賀さんとしたいことなんかを考えながら、なんとかその辛い時間に耐え続ける。時折り榊さんが声をかけようとしてきたが、俺はその全てを無視した。
そしてようやく、放課後。古賀さんとの待ち合わせの時間までまだ余裕はあるが、それでも俺は急いで帰る支度を進める。
「あの……坂島くん。今日これから、時間ありますか?」
榊さんが、そんなことを言った。俺は思わず、笑ってしまう。
「何度も同じことを言わせるなよ。……もう話しかけてこないでくれ」
「……すみせん。でも、私は──」
「いいって。そうやって俺を呼び出して、また無視するつもりか? もういいから、あんたは三輪くんと仲良くやってればいいだろ? いちいち声なんてかけてくんなよ、鬱陶しい」
「……すみません」
「…………なんで、謝るんだよ」
本当に、この女がなにを考えているのか理解できない。せっかく、古賀さんのお陰で前向きになれたのに、これ以上、邪魔をしないでくれ。
「悪いけど、今日は用事あるから」
それだけ言って、立ち上がる。榊さんはまだ何か言おうとしていたようだが、俺はそれを無視して教室を出た。
「……疲れた」
古賀さんとは駅前で待ち合わせをしていた。せっかく彼女が誘ってくれたのに、遅れるわけにはいかない。俺はすぐに、気持ちを切り替える。
「……はっ」
ふと、廊下の窓ガラスに反射した自分自身と目が合う。どうしてか俺は、笑っているように見えた。……榊さんのことを考えると、どうしてもまだ苛々する。でも、古賀さんのことを考えると、不思議と胸が弾んだ。
「楽しいこと、か」
見つけられたらいいなと、素直にそう思った。中学に上がってから今まで、楽しいことなんて一つもなかったけれど、これからはきっとそうじゃない。そう思えたことが、嬉しかった。
そして学校を出て、しばらく電車に揺られ、古賀さんと待ち合わせをしていた駅にたどり着く。
古賀さんは……
「っと、いたいた」
どうやら古賀さんは、先に着いていたようだ。俺の姿を見つけた古賀さんは、こちらに向かって、大きく手を振ってくれる。
俺は急いで、古賀さんの方に駆け寄る。
「ごめん、古賀さん。待たせちゃったかな?」
「あ、いや、大丈夫。あたしも、今来たとこ」
「そう? ならよかった……けど、なんか古賀さん、顔ちょっと赤くない? 大丈夫?」
古賀さんの顔色が、何だか少し昨日と違う気がした。もしかして、体調でも悪いのだろうか? ……と思ったが、古賀さんは大きく首を横に振る。
「だ、大丈夫! あたしはいつでも、元気だから! ……それより、買い物終わった後って落葉くん……何か用事とかあったりする?」
「別にないけど……なんで?」
「いや、それならちょっと、あたしの用事にも付き合って欲しいなって……」
古賀さんは、どうしてか更に顔を赤くして視線を逸らしてしまう。俺は疑問に思いながらも、口を開く。
「いいよ。古賀さんに行きたいところがあるなら、どこでも付き合うよ」
「ほ、ほんと? じゃあ、その……約束だからね?」
「……うん、分かった。約束する」
そんな大袈裟なことでもないだろうと思いながらも、俺は軽く頷きを返す。
「よしっ、じゃあ行こっか? まずは落葉くんの、新しいスマホを買いに!」
古賀さんが俺の手を引いて、歩き出す。そうして、楽しいデートが始まった。
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