第6話 本音
結局、翌日になっても気分は全く晴れないまま。他にできることなんて何もない俺は、いつもと同じ作り笑いを浮かべて、楽しい学校生活を送っていた。
「何やってんだか」
嫌な気分だった。苛々していた。でも今の俺には、不満を溢せる相手も、弱音を吐ける相手もいない。今の俺にできるのは、明るくて人気者な誰かを演じて、現実逃避をすることだけ。
いつもと同じ笑顔で、まるで何もなかったみたいに、誰かの仮面を被り続ける。……せめて放課後までは、そうやって無理をし続ける。それで放課後、たとえ拒絶されたとしても、榊さんに無理やり自分の想いをぶつけて、別れようと言って、それで全て終わりにすると決めていた。
「ほんと、何やってんだか」
小さく呟いて、意識を現実に戻す。今は午後の体育の授業で、グラウンドに来ていた。……正直、面倒だしサボろうかとも思っていたが、周りが乗り気だったので、俺もそれに合わさる形で参加せざるを得なかった。
「……正直、球技は好きじゃないんだよな。特に、サッカーは……って、あ」
「落葉、そっちボールいったぞ!」なんて声が聴こえた気がしたが、もう遅い。ぼーっとしていた俺の顔面に、サッカーボールが直撃する。
「お、おい! 大丈夫かよ! 落葉!」
森くんたちが、心配そうな顔でこちらに駆け寄ってくる。俺は無理に笑って、首を横に振った。
「大丈夫大丈夫。大したこと……ないから」
「いやお前、大丈夫つったって、鼻血出てんじゃねーか」
「え? あ、ほんとだ……」
顔を押さえていた手に、生温かい嫌な感触。……鼻血なんて、小学生の頃以来だなと、他人事のようにそんなことを思った。
「とにかく、先生呼んでくるから。落葉は大人しくしてろ!」
そうしてその後、体育の先生にタオルを借りて、鼻を押さえながら一人保健室に向かうことになった。
「ほんと、何やってんだか」
幸い、鼻血はすぐに止まった。でも今さら、授業に戻る気にはなれない。俺は保健室の先生に体調が悪いと嘘をついて、そのままベッドで少し休ませてもらうことにした。
「放課後まで寝てよ」
どうせ体育の後は、国語とホームルームがあるだけ。それくらいのサボりは、見逃してもらおう。
「……まあ、寝れないんだけどさ」
昨日は、タブレットを使って溜まっていたsnsの返信なんかをしていたせいで、あまり眠れていない。だから今日はずっと朝から眠かったはずなのに、いざ眠ろうとなるとなかなか眠ることができない。
「つーか、誰も様子見に来てくれないな」
まあ、所詮は形だけの友達だ。本当に仲がいい訳ではない。……というかいつの間にか、保健室の先生までどこかに行ってしまったようだ。
壁にかけられた時計が、時間を刻む音だけが響く。保健室は、冷たい静寂に包まれる。
「……なんか、馬鹿馬鹿しくなってきたな」
一人天井を見上げ、大きく息を吐く。
何者かに、なりたかった。ならなければならないのだと、ずっとそう思っていた。でも結局、何の才能もない俺が足掻いたところで、誰も俺に興味なんて──
「その……大丈夫ですか?」
ベッドの周りを覆ったカーテンの外から、声が響く。俺は余計な思考を止めて、カーテンを開ける。
そこにいたのは……
「……榊さん」
体操服を着たままの榊さんが、遠慮がちにこちらを見つめている。もしかして、心配して来てくれたのだろうか? ……なんて、そんな風にはもう思えない。
「わざわざ来てくれたんだね? もしかして、クラスのみんなに何か言われた?」
俺は体を起こし、口元を歪める。榊さんは俺から視線を逸らし、言った。
「……坂島くんが、サッカーボールに当たって鼻血を出したというのを、男子の皆さんから聞いたので……」
「それでわざわざ来てくれたんだ、ありがとね」
俺と榊さんが付き合っていることは、クラスの連中はみんな知っていることだ。……どうせまた、森くんあたりが気を遣って、榊さんに様子を見に行くように言ってくれたのだろう。
「でも、もう鼻血も止まったし大丈夫だよ」
「そうですか。それなら……よかったです」
「…………」
どうしてか、榊さんの態度にいつもの棘がないような気がする。……いや、きっと気のせいだろう。仮にそうでないのだとしても、もうどうでもいい。
「でも、まさか体育のサッカーで怪我するなんてね。父さんに知られたら、なんて言われるか」
「お父さん……ですか?」
「そ。親がちょっと有名な選手でね。……まあでも、俺にサッカーの才能は遺伝しなかったから、関係ないんだけどさ。……それでも昔は結構、いろいろ言われたんだよ」
そんな父さんは、俺にサッカーの才能がないと分かると海外のどっかのチームで監督をするとか言って、俺を置いて出て行ってしまった。母さんもその付き添いで、今は家には俺以外、誰もいない。
……まあそれでも、生活費も学費も払ってもらっているのだから、今さら子どものような駄々を言うつもりはない。
「そんなことより昨日、榊さんが楽しそうに話してたあの男に呼び出されたよ」
「……! それ、本当ですか?」
榊さんは驚いたと言うように、目を見開く。俺は笑った。
「こんなことで嘘なんてつかないよ。……三輪くんだっけ? 榊さんと別れてくれとか、俺が榊さんを脅して無理やり付き合ってるとか、いろいろ言われたから驚いたよ」
「三輪くんが、そんなことを……」
榊さんが視線を下げる。申し訳ないと思っているのか。それとも、あいつと陰口を言っていたことを俺に知られて、気まずいと思っているだけなのか。……榊さんは、何も言ってくれないから分からない。
「幼馴染なんだってね? 榊さんとあいつが仲がいいのは、何となく分かったよ。俺とは手も繋いでくれなかった榊さんは、あいつとはいろいろ仲良くやってたみたいだし」
「それは……違います。あの人と、私は……」
榊さんはそこでまた、黙り込む。昨日あの男が言っていた通り、榊さんは自分の意見を言うのが苦手なようだ。
「まあいいよ。今さら、嫌味みたいなこと言うつもりはない。榊さんが俺のことをどう思ってるのかは、流石にもうよく分かった」
吐き捨てるように言って、榊さんの方に視線を向ける。榊さんは俯いたまま、こちらを見ようともしない。……もう流石にいいだろう。あんなにコケにされて、都合のいいキープだと揶揄されて、俺だけ律儀に約束を守り続ける理由なんて……もうないはずだ。
「もう充分だ」
天井を見上げる。保健室の色のない天井。寝不足で頭がぼーっとして、天井そのものが落ちてくるような錯覚に囚われる。……でも、それは所詮、錯覚。愛されているなんて、そんなのは全て錯覚で、俺は──
「……なにやってるのさ、榊さん」
榊さんが、俺に抱きついた。体操服越しに、柔らかな胸の感触が伝わってくる。塩対応のお姫様の、柔らかで温かな体。初めて触れた、榊さんの肌。
「ごめんなさい」
と、彼女は言った。
「……それは、何について?」
俺はそう言葉を返すが……榊さんは、何も答えてくれない。俺は歯を、噛み締める。
「離してくれ、辞めてくれ。今更そんなことするな。ちょっと体を押しつけたら、また俺が都合のいいキープに戻るとでも思ってるのか?」
「違います。私は──」
「いいから、離せよ」
俺は強引に榊さんの腕を振り払う。彼女は少し……傷ついているように見えた。俺をずっと拒絶してきた彼女が、無理やり俺に触れて拒絶されて、それで……傷ついているように見えた。
……ああ、本当に気持ちが悪い。
俺はそのまま、この胸の痛みを言葉に変えようとするが、まるでそれを遮るかのように……授業の終わりを知らせるチャイムが鳴り響く。
俺は大きく、息を吐いた。
「なぁ、榊さん。今日の放課後、時間ある? ちょっと、話したいことがあるんだけど」
「……放課後、ですか。別に……構いませんよ」
「じゃあ、ちょっと付き合ってよ。コーヒーくらい奢るからさ」
「私は──」
「いいよ。お互い、言いたいことはその時に話そう。……もう次の授業始まるし、榊さんは着替えて教室に戻った方がいい。悪いけど俺はもう少し寝てるから、先生に何か適当に伝えておいて」
それだけ言って、俺は榊さんから視線を逸らし、布団を被って寝転がる。
「分かりました。……ごめんなさい」
榊さんは小さくそう呟いて、保健室から出て行く。残ったのは、冷たい静寂と刺すような胸の痛みだけ。
「ほんと、何やってんだか」
言わなくていいことを言ってしまった。言うべきことを、言えなかった。心臓が、自分のものじゃないみたいに、ドキドキとうるさい。
「まあいいさ。放課後、別れようと言って、それで全部終わりだ」
体に残った柔らかな感触から目を逸らすように、俺は目を閉じた。
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