第12話 

 ガリウスとセーネスに教えてもらって4年が経った。クリスは10歳。


 気の鍛錬を重ねるとコントロールできるようになっていった。当初の目的であったマナのコントロールも次第にできるようになった。マナに関しては年齢が上がった結果なのか気の鍛錬のおかげなのか判然としないけれど、きっかけを与えてくれたガリウスには感謝しかない。気の鍛錬を始めてから飛躍的に上達したのもまた事実である。



 日課となった早朝の気の鍛錬を終えたクリスは自室に戻って着替えを済ませた。それから仕事へ向かう両親を見送った後で、セーネスの書斎に入って本を読み始めた。


 この4年でクリスの語学力も向上し、今では紋章学の本を読めるまでになっていた。


 セーネスには分からない事は聞いてね、そう言われている。けれど、何が分からないのかを理解できなければどう質問して良いのか分からないって状態になってしまう。それではお互いの為に良くない。


 元の体の頃から持っていた思想を語ってしまえば、教わる側にも相応の努力って必要だ。


 セーネスは紋章学の知識が多く、今もなお研究や学習を怠っていない。そんな彼女から教わるのだ、事前に知識を蓄えておかねば置いて行かれる。紋章術師を志すと決めたのだからそれだけは避けたかった。



 こうして書斎で本を読むようになって幾分時が経過した。書斎の中にある本の二割程度しか読めてはいないけれど、本を開いて字を追うだけでかなりの勉強になっている。


「この本も読み終わったわ。」


 読み終えた本を閉じると、クリスは本を棚に戻して次に読もうと思っていた本を手にして椅子に戻った。内容は紋章の配置に付いての考察。研究レポートみたいな内容だ。


「これを読めば紋章陣の構築はある程度自分でできるようになるわ。私ができる事を紙に書き起こしてみようかしら。」


 今分からないこと、できない事を明確にしておくことも独学していくには必要だ。そして、何が得意でどれが不得意なのかも知っておく必要がある。


 紋章学に関しては予習、復習が功を奏しているのか、セーネスも成長を認めてくれている。だが、今は既存の紋章陣しか扱えない。紋章の配置を変えて臨機応変に対応できるようにならないと本物の紋章術師とはいえない。それはセーネスにも散々言われている事だ。今までは基本を中心にと考えて勉強してきた。今後はその臨機応変さを、紋章陣の最適化を行わなければならないらしい。スポーツで言えば修正能力と言うべきであろう。


 数年前は苦手にしていたマナの扱いに関しては、ガリウスと行う気の鍛錬をベースに考えよう。その方が自分の体に合っている。ゆくゆくはガリウスのように物質硬化や身体強化等もできれば良いなと。体術や剣の鍛錬も始めているし・・・私はどこに向かっているんだろう。紋章騎士?そんなのは夢の話だ。


「でも、そうなれれば格好良いかな。」


 未来の自分を思い描くと笑みがこぼれた。


「その一歩目。まずはこの本を読んでしまおうかな。」


 クリスが厚いカバーを捲った。


 1枚の紙がヒラリと床に落ちる。何だろうか?クリスは本を机の上に置くと椅子から降りて、紙を拾い上げた。


「えーと、何だ・・・手書きのレポート?」


 クリスは無粋と思いつつそのレポートの内容を読んだ。


 記憶領域下における紋章陣の展開、起動について。それがこのレポートの題名のようだ。


 手書きなのでゆっくり声に出して読むことにした。


「イメージした紋章陣を記憶に保管、起動させることによって紋章陣を描かなくても同様の効果を得る。紋章陣を描いて術式を発動させる従来のやり方では、紋章術を使った形跡を残すことになる。そうなると敵軍に行動を予測されやすくなる。もし、これができれば痕跡を残す事なく紋章陣を起動できる。そうすれば、戦場における紋章術師の有用性が高まる。」


 諸外国の紋章術師がどんな立場なのかは知らないけれど、ライデンハーツ王国における紋章術師はもっぱら後方に配置される。大掛かりな戦略的紋章陣を構築して大味な攻撃を仕掛ける。もしくは、後方支援だ。


 セーネスに紋章学を教わる傍らそこまでは聞いていた。


「確かに陣を描かずに効果を得られるなら軍事敵に凄い事だけれど・・・。」


 それが実現できたら諸外国でも真似をしてしまうのではないか、懸念事項は多い。ライデンハーツ王国はレイラインの関係上マナが隣国に比べれば多い。アドバンテージはあるが、それを狙って一斉に攻撃されては一溜りもない。


 レポートには続きがある。


「記憶領域下における紋章陣展開、保管における問題点。複数の展開、時間経過によって紋章陣の細部がぼやけて起動に影響がでる。個人差が大きい。仮に保管に成功し、起動に成功したとしても暴発の危険性は常にある。」


 このレポートの制作者は実験を繰り返したらしい。クリアした問題を消したであろう後があった。だが、レポートはそこで終わっており、最後にレポートの制作者の名前が記載されていた。セーネス・クロムバックと。


「セーネス・クロムバック。お母さんのレポートだったんだ、コレ。」


 クリスは読み終えたレポートを本に挟んだ。


 自分のレポートを誰かに、よもや自分の娘に読まれるなんて恥ずかしいではないか。ここは娘として読まなかった体で話を進めたいと思う。


 これはクリスの勝手な判断だ。


「それにしても、記憶領域から紋章陣のを起動させる、か。面白い事を考えるな。暗記が苦手な人にはできない感じだよね。今から記憶力って上がるものなのかしら。呪文を詠唱したら紋章陣を呼び出すとかできるのかな?」


 妄想と期待が入り混じって膨らんでいく。


 簡単な紋章陣ならば起動させるに問題はない。けれど、紋章陣が複雑になればなるほど起動の難易度も上がる訳で。戦略紋章術師が活用すると考えれば、生半可な紋章陣を起動させた所で約にたたない。


「できれば面白いとは思うけれど・・・。」


 もっと紋章術の熟練度を上げなければ到底無理だ。そう、息をするように紋章陣の起動を行えるくらいにならなければ。この理論を現実のものにはできないだろう。


「課題は山積みね。」


 ため息が漏れた。


 セーネスやガリウスを見ていると自分のレベルの低さを実感できてしまう。それを実感できるだけでも成長できていると思うべきだろうか。


 クリスはそこまで楽観的に捉えることはできなかった。


 本を閉じて窓の外を見た。青いキャンパスの中で風に吹かれた雲がゆっくり動いている。少し落ちたクリスの気持ちとは裏腹に空は晴れ渡っている。


「鬱になるとあの青い空が色褪せて見えるって言うし、私はまだ大丈夫。ふふふ、誰と比べているのかしらね。」


 クリスは気を取り直して本を開いて文字を追った。

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