初めての殺人


 一人目は、金髪の高校生にした。名前は石原一輝、十八歳、十月二日生生まれ、血液型はB型。


 理由は単純だ。同じ高校に通っていたから。

 高校時代の友人に彼と関りがあった人がいたので、SNSのアカウントを教えてもらった。私立高校のため学力や偏差値の幅が広かった母校の中で、彼は有名人だった。ろくに授業も出ず、教室にすら顔を出す機会が少なかった。悪い噂(ヤクザと絡んでいるとか、薬に手を出しているとか)は絶えなかったし、僕自身一度突っ掛かられたことがある。要するに、クズだ。——それはこれから殺す奴ら全員に言えることでもあるのだが。


 Fランク大学に通っているようで、同じような人間と昼夜問わず遊び惚けているらしい。SNSのアカウントにアップロードされている写真からも窺える。金髪は一年経っても変わらずに、服装はパンクなものになっていた。イキリというやつだろう。

 瞬間移動を試みたが、上手くイメージができないことが原因か、精々自宅から最寄り駅までの距離しか移動できなかった。仕方がないので素直に電車を使い、隣県にある目的地へと赴いた。



 事前に石原の動向は確認済みだ。午前十一時であれば間違いなく、大学のキャンパス内に設置された喫煙所にいる。


「……」


 繋いだ手が強く握られる。深音にとっては自分を殺した奴らの一人だ。顔を見るのも嫌だろうし、対面するとなれば……たとえ相手には見えないとしても、怖いに決まっている。だから僕は、その手を強く握り返した。大丈夫だよ、と気持ちを込めて。


「ありがと」


 頬を綻ばせた彼女が呟く。


「いいんだよ。これくらいしかできないから」


 ——やがて、喫煙所が見えてきた。十メートルほど離れているが、既に煙たい。今から殺されるなんて想像もしていないだろう、呑気な談笑が聞こえる。煙草のピクトグラムが印刷された透明な仕切り壁に沿って歩き、入口に立つ。石原の他に三人の学生がいたが、即座に気絶させた。神力も使い慣れると、呼吸のように扱いやすい。


「は、おい、どうした」


 突然ぱたりと倒れた学生(友人だろうか?)の肩を叩き、揺さぶってからようやく、僕たちの存在に気付いたようだ。石原は困惑と恐怖の入り混じった表情をしていた。だがそれも一瞬のことで、すぐに険しい顔つきになる。


「てめぇ、誰だ! 何しやがった!」


 激昂。バカによるバカらしい逆ギレ。

 僕はこれまでにない程冷静だった。一切の雑念が振り払われた脳味噌が、的確に状況を分析する。この喫煙所はキャンパスの外れにあり、授業が行われている建物からはある程度距離はあるものの、声を出されると人が寄って来る可能性がある。……そもそも、時間を掛け過ぎてはいけない。こいつら以外にも喫煙所を利用しようとする人間はいるのだから。


 視線を石原の喉元へ注ぐ。脳内に想起したイメージに基づき、喉が潰れる。


「確認だけど、石原一輝だよな」


 痛みで喉を押さえながら脂汗を浮かべる彼に問う。


「——、——」


 喋れないようだ。ざまぁみろ。

 眉間に皺を寄せ睨みつける彼の視線を、一度だけ直視する。そこにはいろいろな感情が渦巻いていた。僕が一番に感じ取ったのは恐怖だ。威嚇的な形相は、所詮生理的な防御態勢というところか。大方「なんで俺がこんなことに」だとか「殺されるかもしれない」だとか「死にたくない」だとか、そういうことを考えているのだろう。一人の人間の殺害を幇助したというのに、身勝手なことだ。


 ……殺害方法は決めてあった。

 石原が腰掛けていたベンチの背後にある透明な仕切り壁に、念力を使って叩きつける。両手首と両足首に『拘束具が装着される』イメージに従って、石原が磔にされる。傍から見れば実に奇怪な状態だろう、何もない壁面に人が大の字にされているのだから。


 それからまずは、石原の陰茎を切断した。服ごと切断したので、汚らわしい肉片が地面に転がった。……これは後の四人にも施そうと思っている。


 激痛に悶える様子を傍目に、次は腹部を真横に切断した。大量の吐血と共に、腸や膵臓などの内臓が零れ落ちる。臓器が切断された影響か、消化液が発生源と思しき、饐えた強烈な臭いが鼻を突く。ここまでやっても人間というのは、思いのほかしぶとい。


 まだ息がある内に、僕は躊躇うことなく首を捩じ切った。瞬間的に内圧が変化したことで、血液が噴水のように勢いよく噴き出したが、その後はどぼどぼと溢れ始め、思いのほか早く収まった。グラスに注いだワインが溢れているような光景だった。


 予め『全身をコーティングする』イメージをしていたので、返り血は撥水され足元に血溜まりを作っていた。血生臭さに思わず鼻を摘む。


「ふふっ……あっははっ」


 深音が嬌声を上げた。表情は憎悪と愉悦が入り混じったような、歪な笑顔だった。けれど僕は、それを狂気だとは思わない。きっと自分だって、同じ表情をしているだろうから。

 ふとそこに、一匹の烏が降りてきた。三足烏、ということは。


「あ、ヤノアタサマ」


 彼(もしくは彼女)が一度首を傾げて僕らを認めた。まるでよくやったと言っているようだった。死体に近づくと、捩じ切れた頭部から右の眼球を嘴で器用に刳り貫いて、咥えてどこかへ飛んでいった。人の眼球は想像していたよりも随分大きいのだなと、そんなことを考えた。


「うっ……」


 突如、疲労が襲った。立っているのもやっとで、膝に手をつく。

これ程神力を酷使したのは今日が初めてだから、仕方ないだろう。元々ノーリスクで使えるものだとは思っていない。


「蒼ちゃん、大丈夫?」


 心配そうに覗き込んでくる。強がりたいのは山々だが、抗い難い眠気が暴れ回っていた。睡眠薬が効いてきた時に似た、引き摺り込まれるような眠気だ。


「悪い、ちょっと休まないと動けそうにない」


「肩貸すよ」


「助かる」


 介抱されながら、勝手を知らない大学の適当な建物内のベンチに座った。

 程よい冷風に眠気が刺激される。緊張の糸が切れたことも後押しし、僕の意識はブラックアウトした。凭れ掛かった隣から「おやすみ」と囁く声が聞こえた。




 眠りから覚めると、深音の顔が目の前にあった。

 その近さに驚いて飛び退こうとするも、硬いものが当たって叶わなかった。果たしてそれはベンチの背凭れだった。ようやく覚醒を始めた思考が現状を把握する。早鐘を打つ心臓を手で押さえていると、彼女は鈴のような笑い声を上げた。


「驚きすぎっ」


「驚かない方が無理だよ」


 携帯を取り出し時間を確認する。午後十二時過ぎ。つまり……一時間ほど眠っていたようだ。神の力を借りている反動としては安いものだ。


「もうお昼だよ?」


 そう言われると、確かに空腹を感じた。つい先ほど人を殺したというのに、とても気分が良かった。今までにないくらいに晴れ晴れとしている。今ならサルミアッキも美味しく食べることができる気がする。


「そうだな、何か食べよう……」


 そこまで口に出して、ふと疑問が浮かんだ。


「そういえば、空腹は感じるのか?」


 深音は小さく首を傾げた。


「うーん……感じないかも。でも、美味しいものは食べたいなぁ」


 そもそも食べられないと思うけどね、と残念そうに笑った。そんな顔をされると、僕だけ何か買って食べるのも気が引ける。どうにかして深音が食べ物を摂取できないか方法を考えようと提案すると、探検に出掛ける前の子供のように燥いで「面白そう!」と快諾してくれた。




 ——結果から言うと、食事のマナーとしてはよろしくない方法によって可能だということが判明した。

 僕が偶然買ったコンビニのお握りを食べている時、ふと思いついたのだ。

 彼女が触れられるのは、今のところ僕だけだ。現世の物に干渉できないのだから、儀式の際にヤノアタサマから用意された、御籤紙とサンザシを除けば他にないだろう。だから、僕が触れたものに常世の性質が付与される(あるいは現世に属さない物となる)可能性は十分に有り得る。僕を媒体として現世の物に触れるのだ。


「ちょっと」


「ん?」


 退屈そうにしていた彼女に、僕の仮説を披露する。すると二つ返事で試してみようと言い、膝に手を置いて待ちの体勢に入った。犬みたいだ。


「じゃあ……」


 ビニールを破り、お握りを取り出す。しっかりと手で持って、彼女に向ける。


「あー…………ん」


 すると、お握りが欠けた。

 仮説は見事的中していたのだ。


「すっぱい」


 梅お握りなのでそれは仕方ない。


 ……そんなことがあったので、僕らはつい楽しくなって色々なものをコンビニで買った。あくまでも僕の体に触れていないといけないため、箸で食べるものは不向きだった。甘いものが好きな深音のために、菓子をたくさん買った。コーラ味の小さなラムネの駄菓子は懐かしい味がした。


 どうやら彼女の肉体(霊体?)は空腹も満腹も感じないようだった。これなら美味しいものをたくさん食べられる、と意気込んでいたが、僕の懐事情によりそれは勘弁してもらうことにした。一人殺し終わった後に細やかなパーティーと称して、色々な店に行く程度であればいいかもしれない。


 その後はホテルを予約し、チェックインを済ましてから少し散歩をした。明日は五人の中で、最も地元から遠い場所に住んでいる犯人を殺す算段を立てていたからだ。

 散歩中、相変わらず一人で喋っているように見られる僕は、不快な視線を向けられていたが、彼女が隣にいてくれさえすればどうでもよかった。対する彼女は心配していて、「変な目で見られるんだから無理に話さなくてもいいよ」と言っていた。そういう優しさにも惹かれたのだろうなと改めて感じ、こそばゆい気持ちになって頬が緩んだ。


 ホテルでの夕食(バイキング形式だったので、深音の分も取り分けることができた)を済まして、入浴する。この頃になってようやく、一人の人間を殺したという実感と、確かな達成感を噛み締めることができた。だが、まだ復讐は始まったばかりなのだ。それに、復讐にかまけて深音と過ごす時間の喜ばしさを忘れたくなかった。だから沸々と湧いてくるそれらの感情を、丁寧に心の奥底へと沈めていく。

 やたら高級そうなベッドの上で、脚をぱたぱたと動かしながら彼女は待っていた。


「あ、出てきた。一緒に寝ようよ」


 霊体だと眠気というものがないらしいが、睡眠の真似事はできるらしい。ぽんぽんと掛布団を手で叩いている様子を見て、なぜベッドに座れているのだろうと疑問を持った。思えば、この建物自体も現世の物だ。その疑問をぶつけてみたが、「分かんない」と難しい顔をして首を捻っていた。そういうものとして受け入れよう。


 同じベッドに入ろうとして、深音の体だけが掛布団を貫通していった。その様子は僕の心の洞を通過していく凍えた風のようで、彼女がどれほど近い距離にいても、どこまでも遠い存在であることを突き付けられる。


「ねぇ、抱きしめてよ」


 彼女はねだるように言った。そこには甘さも、艶めかしさもなかった。ただ純粋に、肌の触れ合いを通して温もりを確かめたいと言っているようだった。僕も情欲など欠片も無くて、それはきっと、深音を殺した奴らと同じ場所まで堕ちていってしまうように感じられたからだろう。クズ共と違い、僕らの間には確かな思慕があって、愛情がある。けれど僕は不甲斐なく、肌の触れ合い以上を求めることができそうになかった。多分それは、彼女も考えていることだろう。運命の再会でハグ以上のことができないように、僕らは今、キスの一つさえできなかった。


「ごめん」


 割れ物を扱うように優しく抱きしめながら、不相応な謝罪を呟く。


「ううん、ありがと」


 彼女もまた、謝罪を打ち消すように感謝の他には、抱きしめ返すだけだった。



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