2-2 竜公主

 春香さんをお屋敷にお通しして、急いでお茶を淹れる。

 このお屋敷に置いてもらってから来客という来客は彼女が初めてで。ろくにお茶請けを用意していなくて、湯呑みに淹れた緑茶の隣に春香さんが手土産に持ってきていただいた洋焼き菓子を並べる。

 無骨な湯呑みと、華やかな小さな宝石の洋焼き菓子のちぐはぐな組み合わせ。それが不思議な調和を見せている。


「ありがとう、舞香ちゃん。ごめんなさいね、こんなことさせて。でも、何だか若奥様って雰囲気ね」

「そんなんじゃないですよ。私はただ、居候させてもらっているだけですから」

「えー、そんな風には見えないけどな」


 お茶会が始まる。清春様にどんなご用事だったのだろうかと気になりながら、春香さんのお姿に見惚れてしまっている。

 春香さんは洋装のスカートが畳の上に広がるみたいに座布団の上に座られて綺麗な佇まいをなさっている。異国ではもっぱら椅子を使うと聞いていたのだけれども、そうして畳の上に座られる姿も素敵で、鮮やかな花を床の間に活けたみたいに和の雰囲気の中に溶け込んでいる。


「それで清春とはどんな感じなのかしら」

「清春様と?」

「またまた。男女が同じ屋根の下で暮らしているんだもの、何かしら進展はあるでしょう?」

「あはは……いえ、なにも。ただここに置いて頂いているだけですから」


 どう返事をしたものかと苦笑いが浮かべていると、すっと、朗らかな笑みだった春香さんの瞳が細まる。一瞬だけそうして怖い顔を浮かべた後、また笑みを戻されて。恐る恐るという様子で尋ねてこられる。


「まさか、とは思うけれど。この一ヶ月、何も無い?」

「え、えぇ。清春様はお仕事でお忙しいようで、二度程お戻りになられて、それもすぐに出かけられてしまいましたから。留守を預かっているだけなんです」

「…………だとすると。私のことも聞かされていない?」

「えぇっと、はい、実は」

「むしろ突然やってきてこの人誰なんだろうって感じ?」

「………………」


 返答に困っていると春香さんが大きなため息をこぼされる。体の中の空気を全部吐き出すほどに。それからぎこちなく、春香さんが笑みを浮かべられる。


「ごめんなさいね、舞香さん。改めまして、私があの朴念仁の義理の姉の鴉宮春香です。……その様子だと、鴉宮、についても何も聞かされていないようね」


 凛とした姿勢を崩すことのなかった春香さんだけれど、そうして居住いを正される。

 ぴり、と。和やかな部屋の中が少しだけ温度が下がったような緊張が走る。


 ”鴉宮”

 

 先日の季節外れの桜の怪異の際にも、清春様が村の代表にその名前を告げると、速やかに怪異の元に案内された。

 ただの名字ではない。何か、を意味する名前。

 訝しむ私を見越してか、春香さんが続ける。


「”鴉宮”は、妖怪を退治する生業の元締めを担っています。退治屋、祓い屋、妖狩り、陰陽師。様々に呼称はあるけれど、妖怪に関わる生業の総本山と理解してもらっていいわ。怪異の収集や調査に、仕事の斡旋や受注。手広く色んなことをやっている訳だけれど、”人材の発掘”なんかもやっていたりします。妖を視ることが出来る貴女のような人をね」

 

 どくり、と心臓が高鳴った。

 春香さんは、先程までの朗らかな様子とは違って、丁寧な言葉遣いをされながら真剣な様子で言葉を放たれている。途方もない荒唐無稽な話のはずなのに、淡々と紡ぐ言葉は本当の事を述べているからのよう。

 そっと静かに彼女の言葉に耳を傾けている。


「――――と、そんな話を清春との関係を聞いたり仲を深めながらしたかったの。あの馬鹿のせいで何だか形式的になっちゃったのだけれどね。それで、舞香ちゃん、早速ひとつ、お仕事を頼まれてくれないかしら」

「仕事、ですか?」

「そうお仕事。私の代わりにある社に行ってほしいの。基本的には様子を見に行ってくるだけの仕事で、ちょっとした旅行と思ってくれていいわ。あるいは入門やお試しと捉えてくれても。少なくとも先の桜の怪異の様な厄介なことにはならないから」


 朗らかに、春香さんは笑ってみせるけれど。当たり前に日常の出来事の事のように妖の事を語る。

 花や植物の精である妖精が視えること。桜の怪異と対峙して2週間という時間を神隠しに遭ったこと。そんなことも全て網羅した上で彼女は語っている。

 摩訶不思議な。

 そう言葉にする他無いあれやこれやの出来事が、私だけに降り掛かっていたのではないことを理解する。清春様がやけに自然に私の言葉を受け入れてくださったのも、たおやかで優雅な振る舞いをなさる目の前の春香さんも、そういう世界をすぐ隣に置いて生きている。

 そしてきっと、清春さんの元に私が居ることも。偶然では決して無いといういことを。

 

「まぁそうは言っても、急には難しいわよね。そうね、護衛に清春を付けるわ。帰り道には有名な温泉もあるから、そこで体を休めてくるのもいいと思うの。……それに、貴女のご両親の行方を捜すのにも、私達は力になれるわ」

「――――!」


 にこりと、あくまでにこりと笑いながら彼女は両親のことを口にした。

 失踪した両親の足取り。その捜索の申し出。文無しの私に仕事の斡旋。

 

 春香さんの言葉は、八方塞がりの状態の私にとっては願ってもない申し出だった。渡りに舟という言葉がぴったりな程に、余りにも都合の良い申し出。

 その親切に何か薄暗さを、一抹の不安を覚えてしまう。全てが周到に用意されすぎているように感じられてしまう。

 何か別の糸に絡め取られていくような、小さな違和感をどうしても拭えない。

 

 押し黙ってしまった私に、静かに苦笑するように春香さんが笑う。


「突然こんな話をされて戸惑うのも無理ないわ。ごめんなさいね。でもね舞香ちゃん。蛇の道は蛇って言うでしょ。私達には少なからず陰陽師の動向は耳に入ってくる。それがどんな末端でも。それに自分の特異な事を生業にして知識を深めるのは、自分の身を護る為にも大切なことよ。……特に貴女みたいな子は」


 春香さんが湯呑みを口に運ぶ。そんな所作もいちいち優雅で洗練されていて。この人が私達なんかとは違う、特別な教育を受けた人なのだと分かる。

 『鴉宮』と。妖怪に関わる生業の総本山と説明した筈の組織の名前を、名字に名乗る、春香さんの底知れなさ。


「まぁまだ時間は沢山あるからゆっくり考えて――――」

「やらせて下さい」

「……いいの? そんなに簡単に決めてしまって」

「はい。実を言うと仕事を探していたところなんです。だからとても有り難い申し出です」

「そう? ……なら助かっちゃった」


 少しだけ目を大きく開かれて驚きを浮かべられた後、そっと上品なしぐさで湯呑みを口に運ばれる。

 何か思惑を隠している。

 直感的にそう思っても、それでも結局この提案に頷くしか術はなかった。

 学がなく後ろ盾のない私がどこかで働きたいと思っても、誰も雇ってはくれない。この先も清春様の厚意に縋るにしても、幾らかでも生活費を負担できればこの心苦しさは無くなる筈。

 それが、あれほど忌んだ妖を視るこの眼に縋らなくてはいけない生き方だとしても。身を立てる術はどうしても必要だった。

 両親を探る術も、本当に会いたいのかという思いは別にしても。何か手段が必要だった。

 

 そして、ぽんと一つ、柏手が放たれる。

 しんみり、では無いけれど。何だか落ち着いた気まずさが漂うな空気を蹴散らすような柏手が響いた。


「さて、何だか話し込んじゃったわね。そろそろお昼にしましょうか。実はね舞香ちゃん。近くに洋食を出すお店があるの。そこに食べに行きましょう」


 春香さんの表情にも声音にも、もう冷たい真面目な色はなく。出逢ったときのふわりとした柔らかな雰囲気が戻っている。

 にこにこと満面の笑みがある。

 あまりの雰囲気の変わりように私がもたつきながら答える。

 

「……えと、そういうお店はお高いんじゃ?」

「気にしない、気にしない。もちろん私がご馳走させてもらうんだから気にしない。それにこの服だと入れるお店も限られるのよね。と、言うことで舞香ちゃんも洋装に着替えてもらいます」

「え!? 何がどうしてそうなるんですか?」


 朗らかな笑顔のまま、春香さんがじりじりと躙り寄ってくる。


「えー。だってかわいい女の子と一緒にドレスを着て出かけるのが夢だったんだもの。それに舞香ちゃん、私のドレスに興味津々でしょ。目線でばればれなんだから。……ねぇ舞香ちゃん。美味しいお肉、食べたくなぁい? フレンチのプロが焼いたステーキは、流行りの牛鍋なんて目じゃないのよ」


 蠱惑的に耳元で春香さんが囁く。

 最近西洋の食事を真似て牛鍋のお店がこの武陽にも流行りだしていた。行きたいとは思っても、女子1人ではなかなか敷居が高くまだ食べられていない。

 そんな流行りの食事よりも、ずっと高値の花のビーフステーキが食べられる。

 街をうろつく度に横目で眺めた牛鍋屋。美味しそうな匂いが香る、とても私が入れそうにない石造りの洋風のレストランの食事。

 春香さんの蠱惑的な、蜂蜜が垂れ落ちる様な甘い甘い言葉に、悪魔の甘言に、そっと頷いてしまう。


「食べ、たい、です」

「はい、決まり! それじゃあ早速お着替えしましょうね」


 そうして、爛々と眼を輝かせている春香さんに服を剥かれてしまうことになった。 

 春香さんは最初からそのつもりだったようで、旅行カバンからは色んな服や布やレースが出てきて、体に巻いたり詰め物にしたりと、貧相な私の体でも洋装が似合う格好に仕立て上げていく。

 着せ替え人形の様に彼女が命じ促すままに、洋装を、バッスルドレスを身に纏っていく。最後には洋風のお化粧まで施されてしまう。

 

 完成した姿を鏡で見せられたとき、服を着こなしている春香さんの隣に、服に着られている私がいて、その違いっぷりにとても恥ずかしくなった。

 それでも馬子にも衣装で、ドレスに身を包んだ自分の姿は、とても自分とは思えなかった。


 洋装に着替えた後も、春香さんに連れられるままに通りを歩き、洋食店に伺い、目玉料理のビフテキを食べた。味はとても美味しかったと思うのだけれど、とにかくお店の雰囲気と他のお客様の洗練された様子に恐縮しきりで、おまけにメニュー表に書かれた目が飛び出るみたいなお値段に衝撃を受けて。春香さんに振り回されっぱなしでついていくので精一杯だった。

 けれども。

 お洒落をして、人目を気にすることなくお店を存分に覗いて、はしゃぎ回って。そんな時間は、本当に楽しくて特別な時間だった。

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