第4話 三年前、そして

「この花かい。この花はね、生きている人間が死んだ人間を思って泣いたときに咲く花さ」


 足元を柔らかな花に包まれた和洋は、目の前の老人の言葉に耳を傾ける。先ほどまで和洋の背を鞭打っていた獄卒は花を見ると溜息をつき、また別の罪人を鞭打ちに行った。


「そら、その露を飲んでごらん」


 老人の言うがままに、露を口にする。すると目の前に、龍平の姿が見えた。


「龍平……」


 龍平はアパートの一室で、ひとり静かに酒を飲んでいた。黙ってグラスを見つめ、カラリと氷が鳴ると、ひとつ、涙を流した。ぽつ。和洋の行く先にひとつ花が咲いた。


「ああ、まったく。君って奴は」


 和洋も涙を流した。この涙は、誰の慰めにもならないことを知って、また涙を流した。

 ぽつ、ぽつ。花が咲いていく。痛みもなく、苦しみもなく。和洋は歩き続ける。それがまた心苦しかった。龍平は毎夜の如く思って泣いてくれた。花が咲く。花が咲く。ああ、ここはまるで、


「まるで、天国だなあ」


 和洋はそう言って笑った。


  *****


「龍平」

「なんだ」


 ずぐり、ずぐり、二人は歩き続ける。針の山でできた道を。ゆっくり、一歩ずつ。


「天国って、あると思う?」

「知らねえ」

「じゃあ、地獄は?」

「ここだろう」

「ははっ確かに」

「お前、何が言いたいんだ」


 立ち止まれば容赦なく獄卒の鞭が責め苛む。進めば針が容赦なく肉を抉る。それでも和洋はいつも笑っている。


「よく、笑ってられるな、こんなところでっ」

「本当にね。」


 ぽつ、ぽつ。龍平の足元に花が咲く。また誰かが、龍平のことを思っている。けれど和洋のところには、花は咲かなかった。


「はっ。おまえ、泣いてくれる奴もいないのか」

「そうだね、君以外には」

「……」

「僕はひとりでやってきた。施設を出てから、ずっとひとりで。関先生は僕の勝手を許してくれたけど、そのせいで誰も泣いてくれなくなっちゃった」

「…………」

「ねえ、龍平」

「なんだよ」

「あの時、泣かないでって言ったけど、やっぱり泣いてくれて、ありがとう」


 和洋は、ぽろりとひとつ、涙を流した。


「花のことだけじゃなくって、ひとりじゃないって、思えたから。君がいると思えば、ここはいつだって天国だった」


 死人がいくら泣いても、誰の足元にも花は咲かない。けれど和洋は泣き続ける。両目に手を当てて拭い、目元が赤く腫れていく。


「ばっか。お前が言ったんだろうが」

「え?」

「俺のいる場所が天国だって。忘れたのかよ」

「龍平……」

「それなのにっ、ひとりで勝手に出ていきやがって! お前ってほんっと馬鹿だよな!」


 龍平は笑った。そしてまた一歩を踏み出す。ずぐり。針が刺さり肉が割れる。


「本当に、馬鹿みたいだね、僕」


 和洋はそう言って泣きながら笑った。


 天国にはきっと花が咲き乱れているのだろう。

 そして地獄には地獄の花が咲いている。



 終

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地獄の花 猫塚 喜弥斗 @kiyato

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