第29話 月の光
「――正直、状況はかなり厳しいな」
「……」
――翌朝。
校庭のベンチで僕と蓮二は情報交換をしていた。
曰く、朝陽は今、部内で相当まずい立場にある、と。
予想はしていた。
けれど改めて聞かされると、焦りが募る。
「部長の森下先輩が関谷先輩のファンってのは、まあ知ってた……でもまさか、ここまでガチだったなんて……」
「……」
「今も同級生や後輩にプレッシャーかけて、相当えぐい追い込み方してる。朝陽ちゃんも……かなりまいってるみたいだ」
その言葉に、昨日の朝陽の姿を思い出す。
あの活発で明るい朝陽の、不安と怯えを滲ませた表情。
「……悪い。お前には、もっと早く話すべきだった」
「いや……」
項垂れる蓮二に、僕は首を振る。
仮に早く知れたとしても、どうしようもなかっただろう。
話を聞く限り、関谷先輩に告白された時点で、朝陽はもう”詰み”に近い。
どうしたって、今の事態を回避できたとは思えなかった。
「俺も色々動いてみたけど……ダメだ。森下先輩が睨んでる以上、どうにもならねえ」
将棋で例えるなら、今の朝陽は、金銀を失った丸裸の"玉"、だろうか。
森下先輩という大駒に睨まれ、詰まされるのも時間の問題。
だが、その上でもし、打てる手があるとすれば……
「……あとはもう、バスケ部を抜けるくらいしか、ねえと思う」
心底言いたくなさそうに、蓮二はそう言った。
「……そう、なるか」
「……部内での立場は、多分もう回復しない。しかもだんだん、それが外に広まりつつある」
そう言うと、蓮二はスマホを手渡してくる。
その画面を見て、僕は言葉を失った。
”一年の井上さん。バスケ部でハブられてるっぽい”
”マジ?”
”あーあ、やっちゃったねぇ……さすがに部長の推しに手ぇ出すのはまずかったでしょ”
「このままじゃ部活どころか、学校全体に、あの子の居場所がなくなりかねねぇ」
「……っ」
「逃げ出すなら、今だ」
「……でも、それは」
”――センパイ! 今度の大会、応援来てくださいよ!”
楽しそうに部活のことを話す、朝陽の姿が脳裏をよぎる。
あいつは根っからのバスケ馬鹿だ。
そもこの学校に来たのだって、バスケをするためだと本人が言っていた。
そんなあいつに、バスケをやめろって……?
「別にあの子も、プロ目指してるとかじゃねえんだろ? たかが趣味のために、学校生活を犠牲にすることはねえって」
その言葉に、僕は思わず目を閉じた。
蓮二の言うことは、きっと正しい。
どの選択肢を選んでも、全てが丸く収まることはない。
そんな都合のいい方法なんてない。
分かってる……だけど、本当にそんな方法しかないのだろうか。
「時間はねえぞ伊織。お前の言うことなら……あの子も、聞く耳持つだろ」
「……」
そう呟く蓮二に……僕は、ただ唇を噛み締めた。
SIDE:朝陽
――それからも、私の立場は悪くなる一方だった。
「……あの、奈央ちゃ」
「……」
つい昨日まで仲のよかった友達が、私を見るなり遠ざかる。
一緒に練習して、一緒に帰って、一緒に笑い合っていた友達が……今は知らない他人のように思える。
彼女達は友達ではなくなってしまったのか。
あるいは初めから、自分に友達などいなかったのか。
分からない。でももう、考える気力もなかった。
初めはバスケ部の中だけ。
でも今は、教室でも。
”ねえ、やっぱ井上さんって……”
”まあ確かに、ちょっとぶりっ子っぽいとこあったもんね”
ひそひそ。くすくす。
囁く声、嗤う声が、耳に届く。
その度に、心の大事な部分が削られていく。
かろうじて、まだ何人か声をかけてくれる子はいる。
でもきっと、それも時間の問題だろう。
少しずつ足場を無くしていく感覚。
そんな孤独の中で、私の心の支えになっていたのは……一人の先輩の言葉だった。
“——何かあったら、相談しろよ?”
その一言が、今の私を支えていた。
心底らしくないと思うし、気恥ずかしくもあるけど。
……でも、本心から言ってくれたと分かる、温かい言葉だった。
(……伊織、センパイ)
心配、してくれてるかな。
頼ったら、相談に乗ってくれるかな。
何度思ったか分からない。
けれどその度に、自分を叱咤した。
今の自分は腫れ物だ。
頼れば、伊織まで巻き込んでしまう。
それだけは絶対に避けたかった。
――そして、その日の部活終わり。
「——井上ぇ」
最後に更衣室を出ると、目の前には三人の先輩の姿。
ねばっこい、絡みつくような声。
……森下センパイと、よく一緒にいる人達だった。
「え……」
思わず身構える。
そんな自分を見て、センパイたちはニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべた。
「——ちょっと面貸しなよ」
そう言って、更衣室を出て行った。
呆然と立ち尽くす自分。
次第に、足が震え出す。涙が溢れそうになる。
けれど、選択肢はない。
私は絶望的な気持ちのまま、センパイ達の後をついていった。
「……おら、入れって!」
「いたっ……!」
背中を蹴り込まれ、タタラを踏む。
連れて行かれたのは、体育館の倉庫。
……森下センパイに詰め寄られた時と、同じ場所だった。
「……な、なんですか……? 私、何も……」
そう言うと、センパイ達は、薄気味悪く笑いながら詰め寄ってきた。
「何もしてない? んなわけないでしょ。関谷くんに媚び売っといて」
「……っ」
「あーあ、森下もカワイソー。可愛がってた後輩に裏切られてさー」
きゃはは、と笑うと、もう二人のセンパイも同じく笑う。
「マジそれだよねー! つか井上さぁ。あんた自分が可愛いとか思って調子乗ってんでしょ?」
「……そ、そんな」
「ぶっちゃけウザかったしねー。男子にぶりっ子してんの。みんな思ってたんじゃない?」
三人が、口々に言いながら、次第に距離を詰めてくる。
それが怖くて、一歩、二歩と下がり、やがて壁にぶつかった。
「うっ……」
「ねえ、井上? 森下に悪いっておもってんならさ、謝罪は必要じゃない?」
「しゃ、ざい……?」
「そりゃそうでしょ。森下あんなに傷ついててさ、正直見てらんないわけ」
……なに、それ。
思わず呆然としてしまった。
傷つく? 森下センパイが?
……それで、私が謝る?
「……ふざけないで、ください」
「は?」
「関谷センパイのことは……何も知りません。私、何もしてないです」
精一杯の勇気。
それでも、そこだけは譲れなかった。
自分は何もしていない。
関谷センパイに近いたつもりも、森下センパイを裏切ったつもりもない。
だから、謝る気なんてない。
そう主張した。
けれど、その瞬間。
「——は?」
センパイ達の表情から、温度が消えた。
次の瞬間、頭に激痛が走る。
「い、いたっ……!」
「あんた、何勘違いしてんの?」
「……っ」
髪を掴まれ、そのまま左右に振り回される。
抜けた髪が数本、床に散らばった。
「あたしらはさぁ。あんたのために言ってんだよ? このまま学校中からハブられたいわけ?」
「……それ、は……」
「今謝れば、森下も許してくれるって」
髪を掴んだまま、ニヤニヤと笑う。
他の二人も、嫌らしい顔で自分を見る。
……そんな、人とも思えない三人を見て。
お腹の中が、かっと熱くなった。
「……嫌、です」
「は?」
「絶対……嫌です。謝ったりなんて、しません……!」
精一杯の矜持を振り絞って、睨みつける。
痛いし、怖いけど。でも、こんなの間違ってる。
こんな理不尽な暴力なんかに、負けたくない。
そう言うと、目の前の三人から、笑みが消えた。
「……ふぅん……あっそ」
ばっと乱暴に髪を離される。
痛みに頭を抑えると、三人のうち一人が、スマホを取り出した。
「――ねえ。こいつもう脱がしちゃおうよ」
「……え?」
聞こえてきたその言葉に、呆然とした言葉を返す。
するともう一人が、けらけらと笑った。
「あ、それいい! 写真とって関谷くんに送ろうよ! そうすりゃこんなビッチ、もう相手にしなくなるって!」
パンパン、と手を叩いて爆笑する。
そんな二人に、自分の顔が蒼褪めていくのを感じた。
(……何、言ってるの……?)
そんなこと、許されるわけない。
でも……この人達なら、やりかねない。
体の震えが止まらなくなる。
そして、最後の一人。
つい今まで、自分の髪を掴んでいたセンパイが。
「……だってさ。あーあ、残念だったね井上。素直に謝れば、こんな目に合わずにすんだのに」
酷薄な笑みを浮かべて、一歩自分に近づいてくる。
他の二人も、取り囲むように、一歩。
「……や、やだ……」
恐怖に、心が折れそうになる。
怖い、いやだ。
助けて。
「……たす、けて」
とうとう、そう呟いてしまう。
その時に頭に思い浮かんだ、一人の先輩に。
……しかし、その時。
「――何してるの?」
透き通るような、美しい声が聞こえた。
「……っ?」
その声に、先輩達が一斉に振り返る。
その視線の先にいたのは、この世のものとは思えないほど、美しい少女。
彼女を知らない人間なんて、この学校にはいない。
(……お姉、様……?)
呆然としてしまう。
そしてそれは、センパイ達も同様で。
「……え? 雪村、美月……?」
センパイの一人が呟く。
しかしすぐに、引き攣った笑みを浮かべて。
「……はっ……何の用よ? 学園のアイドル様?」
一瞬怯んだのを隠すように、先輩の一人が前に出る。
それに応じて、他の二人も、彼女に向き直った。
「朝陽ちゃん……怖がってますよ」
しかし、彼女は微塵も臆した様子もなく、私の方だけをじっと見ていた。
そんな態度が、癪に障ったのか。
「はぁ? だから? あんたに関係ないでしょ」
もう一人の先輩が、苛立ったように言う。
すると彼女は、徐にスマホを取り出した。
……パシャ。
「……写真、撮りましたけど。どうします?」
淡々と、彼女はそう告げた。
それはつまり、これを広めてもいいのか、という脅し。
そこで初めて、センパイ達の顔色が変わる。
「……っ」
「こいつ……!」
僅かにたじろいだ先輩達。
明確な証拠を押さえられた、と焦りが伝わってくる。
きっと今、どうにかして口を封じる方法を考えているのだろう。
だがやがて、センパイ達は私に向けたような、虐げる笑みを浮かべた。
「……ねえ。こいつもやっちゃおうよ」
「それ! この女の全裸写真とか、絶対バカ高く売れるでしょ!」
笑い出す。
その言葉に、ますます蒼褪めるのは私だ。
(……そんな……私のせいで、お姉様まで……)
ダメ。逃げてください。そう言いたいのに、口が動かない。
どうしよう。どうしよう、と焦りだけが募る。
……しかし。
「……やめな」
今の今まで口を閉じていた、先ほど私の髪を掴んだセンパイが、忌々しそうに口にした。
「え……?」
「ちょ、は……? なんで?」
梯子を外され、戸惑いの声が上がる。
私も、同じく戸惑ったまま見上げる。
しかしその人は、雪村センパイの方をじっと見て。
「……この学校に、こいつの信者が何人いると思ってんの。去年退学になった高遠と同じ目に遭いたいわけ?」
「……あ」
「う……」
……高遠。
その名前は、前に聞いたことがあった。
雪村美月の熱狂的なファンで、以前かなり強引な迫り方をした結果、その半月後に自主退学していったセンパイ。
噂によると、彼女のファンに、相当ひどい追い込まれ方をしたらしい。
その時のことを思い出したのか、センパイ達の顔が、さっと蒼褪めた。
「いくらなんでも相手が悪すぎる……今日は引き上げるよ」
「……っ」
「ちっ……」
そう言うとセンパイ達は、苛立ちと焦りを滲ませた表情で、倉庫を出ていった。
……去り際に、私を鋭く睨みつけて。
そして……。
「……大丈夫? 朝陽ちゃん」
目の前には、優しく声をかけてくれる絶世の美女。
……自分が心から尊敬する、憧れの人。
――ありがとうございます。
――無茶しないでください。
言いたいことも、言わなきゃいけないことも、いっぱいあるのに。
(……こんなの、ずるい)
胸が詰まって、言葉が出なかった。
こんな、憧れの人に、王子様みたいに助けられて。
それで私に、何を言えと言うのだろう。
「お姉、さま……」
「うん」
呼ぶと、答えてくれる。
お姉様、なんて。
ふざけた呼び名なのに、ちゃんと。
それが嬉しくて。安心して。
もう、頭の中がめちゃくちゃで。
「……怖かったね」
そう言って、優しく頭を撫でられて。
私は耐えきれず、彼女に縋りついて泣き喚いた。
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