第20話 雨の日は、お家で
しとしと。ぽつぽつ。
心地よい音が、部屋の中に木霊する。
「……雨、降ってるね」
「ん……」
美月がおばさんとの食事会に行った、翌日の土曜日。
僕と美月は、特に何をするでもなく、リビングのソファでくつろいでいた。
美月は小説を読んでいて。
僕はスマホで、特に面白くもない音ゲーをしている。
ここ最近は随分爛れていたから。
こういう時間が新鮮に思える。
「……伊織?」
「ん……?」
横を見ると、美月が心配そうにこちらを見ていた。
邪魔にならないよう結んだポニーテールが、ふわりと揺れる。
「どうしたの? 疲れてる?」
「いや……」
僕の反応が薄いことが気になったらしい。
でも別に、疲れてるわけじゃない。
ただなんとなく、雨の日は気分が上がらないだけ。
だから心配いらない。そう言おうとして。
「……ここ、来る?」
ぽんぽん、と膝元を叩く美月。
それに僕は、少し迷って。
「……ん」
「あ、きた」
もそもそと動いて、美月の膝に頭を乗せた。
それに嬉しそうに笑う美月。
美月のお腹に顔を埋め、瞼を閉じると、頭を撫でられる。
「付き合ってから、さ」
「ん?」
「結構、素直に甘えてくれるね」
「……まあ。嫌ならやめるけど」
「ううん。めっちゃ嬉しい」
めっちゃ嬉しいらしい。
あんまり砕けた言葉を使わない彼女が、「めっちゃ」をつけるほど嬉しかったようだ。
「膝枕って……」
「ん?」
「付き合う前、したことあった?」
「……小学生の頃に、僕がしてあげた気がする」
「ああ……」
美月の家は母子家庭で、母親もあの通りだ。
それで寂しがる幼い美月を、僕はよく慰めていた。
……ただ、今にして思うと。
あれは口実で、単に僕に膝枕させたかっただけな気もする。
「……じゃあ、今度また、あたしにも」
「……ん」
了解の意志を示し、より深く太ももに潜り込む。
「くすぐったい」
そう言いつつ、優しく頭を撫でてくれる。
……なんていうか、ひどく幸せだった。
幸せすぎて怖くなるくらい。
人生は綱渡り。いつどうなるかなんて誰にも分からない。
この幸せも、いつ失われてもおかしくない。
……そうならないために、何をすべきか。
「……美月」
「ん?」
「おばさんとの食事会……本当に、大丈夫だったのか?」
美月が帰ってきた後、すぐに何を話したか聞いた。
けど美月は、大丈夫、の一点張り。
結局最後まで、話の内容は教えてもらえなかった。
「うん、大した話はしてないから」
「……」
だったら、教えてくれても。
そう思ったが、こういう時の美月は決して口を割らない。
むしろ、あまり聞くと物理的に口を塞がれてひどいことになるので、それ以上の追及は控えた。
「……ね、伊織」
「ん?」
「高校、卒業したらさ……一緒に暮らそう?」
「……へ?」
唐突に言われたその言葉に、思わず顔を上げる。
しかし、ダメ、と言われて頭を押さえつけられ、太ももに戻された。
「……今も、一緒に暮らしてるようなもんだろ」
「そうじゃなくて」
ぽんぽん、と頭を撫でられ、つい体の力が抜ける。
「二人でお金を稼いで、部屋を借りるの。それでご飯を作って、一緒に寝て……」
一つ一つ、言い聞かせるように呟いて。
「——そうやって……二人で生きよう?」
……囁くような優しい口調。
だけど、ひたすらに真摯な響きだった。
きっとこれは、軽い言葉じゃない。
適当に答えてはならない。
この時僕は、そう感じた。
……ただとはいえ、答えなんて最初から決まってる。
今更迷うはずもない。
僕は美月を見上げて、頷いた。
「……うん、そうしようか」
「いいの?」
「当たり前」
他の人生は、もう選べない。
きっと大変なこともあるし、努力も必要だろうけど。
それでも、幸せなのは間違いないから。
「今更、美月がいない人生なんて考えられない」
「……ん」
「一緒にいてくれて、ありがとう」
「……うん」
……なんだか、恥ずかしいことを言ってしまった気がする。
もう一度美月のお腹に顔を埋めると、美月はゆっくり頭を撫でてくれた。
「きっと、幸せになれるよ」
「……そうだな」
なれるように、頑張らないとな。
美月はすごい子だけど、決して完全じゃないんだから。
「まあ、まずは勉強頑張らないと」
「ふふ……大学、一緒のとこがいいな」
「……頑張ります」
偏差値的に、大分差はあるけど。
なんとか埋めないと。
塾とか通うかなぁ……と候補を頭の中で探す。
そういえば、柏木さんが通ってるところが、評判よかったっけ……
そんなことを思った時。
「……いででで」
「……今、他の女の子のこと考えた?」
なんで分かるんだよ。エスパーか。怖い。
優しくつねる手をぺしぺしと叩くと、そっと離してくれた。
「……美月は、ヤキモチ焼きだよな」
「うん……ごめんね?」
「いや、全然」
それだけ、愛されてるんだろうから。
……そんなこと、口が裂けても言えないけど。
「伊織は、ヤキモチ焼くことある?」
「昔はしょっちゅう」
「そうなんだ?」
「ヤキモチっていうか……不安? いつ取られてもおかしくなかったし」
「ふふ……」
しとしと。ぽつぽつ。心地よい雨音。
美月の太ももの上で、雨の音と、美月の声に耳を傾ける。
なんだか、ひどく気持ちが安らぐ。
もし一緒に暮らすことになったら、ずっとこれが続くのだろうか。
「伊織は、分かってないね」
「何が?」
「あたしのこと」
「……そう?」
「うん。全然分かってない」
楽しそうに言われる。
いや……これでも十年一緒にいるんだし。多少は……
「そんなとこも、可愛い」
「……喜ぶべきか、悔しがるべきか」
「喜んでいいと思うよ」
くすくす笑いながら、そっと顔を近づけてくる。
そのまま、そっと唇が合わせられた。
目の前には、十年前より、ずっと大人びた幼馴染の顔。
もう数えきれないほど見てきた顔。
なのに、ほんと、何度見ても……
「……綺麗だよな……」
「……? あたし?」
「うん」
「伊織は、あたしの顔、好き?」
「……うん」
「そっか」
嬉しそうに笑う美月。
綺麗だなんて、それこそ数えきれないほど言われてるだろうに。
「あたしは……」
「ん……?」
「自分の顔、あんまり好きじゃなくて」
「え……」
そんなこと、あるのか?
世の女子の理想みたいな顔して。
それこそ女子に聞かれたら殺されそうだが。
「なんか、人形みたいじゃない?」
「……ああ……」
言われて、一瞬なるほど、と思った。
確かに、造り物のように美しい。
それは裏を返せば、人間味がない、ということで。
そこがあまり好きじゃないと、そういうことだろうか。
「でも、伊織が喜んでくれるなら、この顔でよかった」
「……ん」
「たまには、また褒めてね」
「……はい」
暗に、彼氏なのにあんまり褒めてくれない、と仄めかされて。
僕はぽりぽり、と頬をかいて誤魔化すのだった。
そんな僕を優しい目で見下ろしながら、美月はふと部屋の時計に目を向ける。
「……そろそろ、ご飯作らなきゃ」
「ん……」
やや不満を隠さずに起き上がると、美月は苦笑した。
「また、いつでもしてあげる」
そう笑ってキッチンに向かう美月を、なんとなく見送る。
そのまま、手持ち無沙汰にどう時間を潰すか悩んでいると……
……ピロン。
「……?」
通知音が鳴る。
スマホを開くと、メールが一通。
そのアドレスは……
「……静香、さん?」
中を見る。
そこには、日時と場所の指定があるだけ。
他にはメッセージ一つない。
「……」
僕はその場所と時間を記憶して、メッセージを消した。
後ろを見ると、美月は料理に集中していて、こちらには気付いていない。
「……明日、行くか」
直接会いに来るでも、電話でもなく、メールというのは。
——美月にバレないように、抜け出して来なさい。
多分、そういうことだろうから。
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