第25話 もう戻れない日常を、懐かしんでみる
「……久しぶりだね。天野くんと、こうして歩くの」
「……そう、だね」
――結局、彼女の誘いを断ることはできなかった。
僕の立場としては、断るべきだったのかもしれない。
だがどうしても、断る気にはなれなかった。
立場も関係も変わって。
以前のように、話もできなくなって。
それを寂しく思わないほど……浅い付き合いでも、なかったから。
都心の街を、柏木さんと並んで歩く。
……以前はよく、こうして二人で歩いていた。
同じ図書委員として。
仲のいいクラスメイトとして。
あるいは……単純に、異性として。
僕と彼女は、”青春”と呼べる日々を共有してきた。
柏木さんも同じことを思い出したのか、懐かしそうに目を細めた。
「前は、さ。よく行ったよね。図書委員の仕事終わった後に、喫茶店とか」
「……うん」
まだそう時間も経っていないのに、もう懐かしいと感じる。
一年の頃に知り合ってから、美月に次いで人気のあったこの子と、よく出かけていた。
喫茶店。
図書館。
ショッピングモールに、映画館。
当時は美月の気持ちにも、柏木さんの気持ちにも、まるで気付いていなかった。
デートだと、一人で勝手に浮かれていた。
……今にしてみれば、随分とお気楽な話だ。
「あの頃は楽しかったな……」
柏木さんが小さく呟く。
それに僕は、返す言葉を持たなかった。
「あ、ここにしようよ」
しばらく歩いて、やがて柏木さんは、一つの店を指差した。
その先にあったのは、洋風の個人喫茶。
バイト先の『ノクターン』よりは明るい雰囲気。
……僕と柏木さんが、よく通っていた店に、少し似ている。
「……ん、いいと思う」
頷き、入ると、すぐに店員に案内される。
奥の席に腰掛け、アイスコーヒーを二つ注文した。
「……最近、雪村さんとはどう?」
「まあ、今まで通り、かな……そっちは? 最近、よく一緒にいるけど」
「ああ……うん」
聞くと、柏木さんはなぜか複雑な表情をした。
嫌悪……ではないと思う。
どちらかというと、恐怖、だろうか。
……少なくとも、嬉しそうとか、楽しそうには見えなかった。
「――友達に、なったから」
「……なんで?」
それは、聞きたかったことの一つだ
どうしてよりによって、美月と。
しかしその問いに、柏木さんは、明らかに取り繕った笑みで答えた。
「なんでって……雪村さんは素敵な人だし。一緒にいられるのは、光栄なことだよ」
……その答えに、僕は顔を顰める。
あまりにも杓子定規な回答。
さも、こうあるべき、と言わんばかり。
……僕が聞きたかったのは、そんな答えではないのに。
だが、僕が質問を重ねるより早く、柏木さんは口を開いた。
「——ね、天野くん」
「え?」
「天野くんから見て、さ。雪村さんって……どんな子?」
「……え?」
「よかったら、聞かせてくれないかな?」
その問いに、こちらの調子を外される。
僕の問いには、まともに答えてくれないくせに。
そうむくれそうになる。
「……なんで、そんなこと?」
「んー……興味があったから、じゃダメ?」
そう言って、頬杖をつく。
じっと見つめられ、僕は渋々、口を開いた。
「……僕から見た美月は……やきもち焼きで、寂しがりな、普通の女の子だよ」
それは、先日静香さんにした回答と、似たような回答。
それが、僕にとっての雪村美月。
……でも。
「……そっか」
僕の答えに、柏木さんは複雑な表情をした。
……その、顔。
覚えている。
先日、同じ会話をした静香さん。
その問いかけに答えた時と、同じ顔。
――やっぱり、その程度の認識しかないのね。
その言葉が、頭の中に蘇った。
「……ねえ、天野くん」
「なに?」
「雪村さんは……」
そう言いかけ、しかし柏木さんは、自重するように口を閉ざす。
「……ううん、なんでもない」
そう言って頭を振った。
まるで、越えてはいけない一線を守ように。
彼女は薄く笑って、話を変えた。
「……でも、すごいよね。前に高嶺の花とか言ってたけど、まさか本当に雪村さんと付き合ってるなんて」
あの時はびっくりした、と。
わざと明るい声で言う。
それに僕も、渋々追及を諦めた。
「まあ……うん。大変だけどね」
「そりゃそうだよ。学園のマドンナ独り占めしてるんだから。少しは苦労しなきゃバチ当たるよ?」
そう笑って顔を覗き込んでくる。
それに僕も、苦笑しつつ頷いた。
……実際、少しの苦労じゃ釣り合わないくらい、幸運を得ている自覚はあるから。
でも、幸運というなら……
「……柏木さんと仲良くなれたのも……多分、相当な幸運なんだと思うけど」
「……え?」
本気でそう思う。
美月がいたから目立たなかっただけで、柏木さんも、相当な美少女だ。
現に先ほどから、周りの男がチラチラとみてる。
美月のような圧倒的な存在感はなくても、自然と目を惹く可憐な少女。
ただ少し悪い言い方をすれば……手の届きそうな美少女、とでも言えば良いのか。
美月のように、絶対無理めな高嶺の花ではない。
頑張れば振り向いてもらえるのでは、と。
そう思わせる程よい魅力。
……ある意味、一番モテるタイプかもしれない。
本人からすれば、あまり嬉しくない褒め言葉かもしれないが。
「少なくとも僕は……柏木さんも、すごく魅力的な子だと思うから」
「え、あ……あり、がとう」
そう言うと、照れたように俯く柏木さん。
……なんだか、変な空気になってしまった。
誤魔化すようにコーヒーを一口飲むと、柏木さんは、くすり、と笑った。
「……天野くん、魅力的とか、さらっと言えるようになったんだ」
「え……」
「私といた頃は、そんな三山くんみたいなこと言わなかったのに」
「……いや、それは」
「あーあ。私は純情な天野くんが可愛くて好きだったのに、今じゃすっかり小慣れちゃって」
「い、いやいや。別に慣れてるわけじゃ……!」
からかう柏木さんと、慌てる僕。
……懐かしい。不意にそう感じた
そういえば、いつもこんな調子だったな、と。
懐かしくて、複雑な気持ち。
——それからも、僕たちは色々なことを話した。
話せなかった時間を、埋めるように。
残った未練を、捨て去るように。
そして……
「——やー、すっかり話し込んじゃったね」
「……ん、そろそろ出ようか」
時間にして一時間ほど。
僕らの時間は、それで終わった。
店を出ると、柏木さんは、名残惜しそうに店を振り返った。
「……今でも、時々考えちゃうんだ」
「……?」
「もし天野くんと、付き合えてたらって」
「……」
「きっと前みたいに、図書委員の仕事をして、放課後寄り道して、一緒に遊んで……」
それは、僕も思い描いたこと。
どこかで分岐した、別の未来。
「そのうち……キスなんかもして。きっと、幸せだっただろうなって」
悲しげに俯く柏木さん。
その表情に、胸がしくり、と痛んだ。
……でも、仕方ない。
僕はもう、選んだのだから。
「……どうかな。案外、すぐ幻滅されて捨てられてるかも」
だから僕は、そう茶化すしかなかった。
それに柏木さんは、むっとした顔をする。
「またそういう卑屈なこと言う。言っとくけど私、天野くんのこと、かなり本気だったんだからね?」
「はは……」
冗談めかして言われるその言葉。
……けれど、それが冗談でないことは、もう知ってる。
それは……誇ってもいいのだろうか。
そんな会話をしながら、やがて駅につく。
「……ここまででいいよ」
彼女の乗る電車の改札で、僕たちは改めて向かい合った。
「うん」
「付き合ってくれて、ありがとう。もう、話せないかと思ってたから」
「……」
そうすべきだったのかもしれない。
互いの立場を考えれば、きっと。
それでも、僕も柏木さんと同じだ。
これが最後になるかもしれないと、ついそう思ってしまった。
「……でも、気をつけてね?」
「……何を?」
「雪村さんは……君が思ってるよりも、ずっとずっと、君のことが好きだから」
そう言い聞かせる柏木さんの顔は、やけに真剣で。
「今日みたいに、誘われたからって、ほいほい他の女の子についてっちゃダメ」
誘った私が言うのもなんだけど、と笑う。
「……井上さんのことも、そう」
「え? 朝陽?」
なんで、ここで朝陽が出てくるんだ?
「仲、いいでしょ? 天野くん」
「いや、まあ……」
悪くはないけど。
でも、あいつはただの後輩で……
「天野くんは、雪村さんの彼氏なんだから。ちゃんと雪村さんだけを見てあげないとダメ」
それは……その通りだと思うが。
「そうじゃないと……」
何かを言いかけ、再び口を閉ざした。
俯き、しかし、すぐに笑みを浮かべて。
「じゃあね、天野くん。久しぶりに話せて、嬉しかった」
「うん、僕も」
「……また、学校でね」
そう言って、彼女は踵を返していった。
……また学校で、か。
学校で顔を合わせたとしても、きっともう、彼女とこんな風に話せる機会はないだろう。
そうあるべきだし、そうすべきだ。
だから、これでいい。
無理矢理そう納得して、僕も背を向けた。
早く帰ろう。そう思って。
電車に乗り、やがて、最寄り駅につく。
改札を出て、ふと顔を上げると。
「——」
壁にもたれた一人の美女が、こちらをじっと見ていた。
思わず固まる僕。
彼女は、壁に寄りかかった体を離し、こちらに歩み寄ってきた。
「――おかえり」
「……美月?」
その幼馴染の顔を見て、つい呆気に取られてしまう。
「何、してるんだよ。こんなとこで」
「伊織が遅かったから、迎えにきただけ」
「迎えに、って……」
わざわざ?
別に、そんな大した時間がかかったわけでも……
「何してたの?」
「いや……」
そう問われて、僕は答えに窮した。
今日あったことをそのまま言えば、この幼馴染がどんな反応をするか分からない。
拗ねるかもしれないし、怒るかもしれない。
あるいは、何も言わずに悲しむか。
……最後のが一番きつい。と正直思った。
「知り合いと会って……話してただけだよ」
「……そっか」
そう言うと、美月は僕の目をじっと見てくる。
大きく、美しい瞳。
でもその瞳から、今だけは目を逸らしたくなった。
やがて、美月はすっと手を差し出してくる。
「――帰ろう、伊織」
そう、いつも通りに。
僕はその手を、そっと握った。
そして、歩き慣れた帰り道を二人で歩く。
「……なぁ、美月」
「ん?」
歩きながら、ふと声をかけた。
その声にこちらを見る美月。
相変わらずの無表情。幼馴染でも、考えてることなんて分からない。
……だから、聞いてみた。
「――朝陽のこと、どう思う?」
「……朝陽、ちゃん?」
その唐突な問いに、きょとん、とする美月。
でもやがて、んー……と考えて。
「……いい子だなって、思うけど?」
それがどうしたの? と首を傾げる。
それに僕は、曖昧に笑って。
「……そう、だよな。可愛がってるもんな、お前」
「うん」
頷くと、美月は、小さく笑みを浮かべた。
「……多分、妹がいたら、こんな感じなのかなって」
「……そっか」
妹、か。
よかったな朝陽。とここにはいない後輩を思う。
きっとここに本人がいたら、狂喜乱舞していたに違いない。
……あとは、そう。こいつにとっても。
「……よかったな。いい後輩ができて」
「うん」
笑う美月は、そっと、僕の繋いだ手に、指を絡めて。
「――可愛いから。朝陽ちゃん」
静かに、微笑んだ。
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