第9話 それすなわち、女の勘


 ――学校という閉鎖空間は厄介だ。


 僕、天野伊織はつくづくそう思う。


 たとえ仲違いしても。気まずい関係であっても。

 内心どうあれ、表面上は上手く付き合う必要がある。


 ……僕は今、その難しさを思い知っていた。


「――じゃあ今日の掃除当番は……天野と柏木だな」


「え」

「……っ」


 ――その日の放課後。


 名前を呼ばれた瞬間、教室の時が止まった。

 固まったのは僕と柏木さんだけじゃない。

 事情を知るクラスメイトほぼ全員が、同時に硬直した。


 そして、ある人は気の毒そうに。またある人は面白そうに僕らを見る。


「? なんだ? どうかしたのか?」


 事情を知らない後藤先生ただ一人が、状況についてこれてない。

 

「……いえ」

「なんでもないです……」


 僕ら二人は、揃ってそう言うしかなかった。


「ん、そうか? じゃあ頼むぞ」


 そう言って、後藤先生は教室を出ていった。


「……」

「……」


 あとに残されたのは僕らと、クラスメイトの好奇の視線。

 そして。


「……」


 無表情で僕を見る、幼馴染兼恋人の姿。


「……ふむ。それじゃあ、俺たちは帰ろうか!」


 すると突如、蓮二はそう声を張り上げた。

 僕の方を見てにやにやしつつ、颯爽と鞄を持ち上げる。


 蓮二このやろう。それで大親友とかよく言えたな。


「お、おお、そうだな!」

「掃除の邪魔しちゃ悪いもんな!」

「ご、ごめんね、柏木さん……」


 男子はにやにや。女子は気の毒そうに。

 だがぶっちゃけ、どいつもこいつも楽しんでやがる。


 そして、我が幼馴染様も……


「いこっ、雪村さん!」

「……あ、うん」


 クラスの女子に、強引に連れていかれてしまった。

 そして、残ったのは。


「……」

「……」


 地獄のような空気の、僕ら二人。

 

(……どうしよ、これ)


 いや、掃除すればいいんだけど。

 どう切り出せば。


 そう悩んでいると。


「……はぁ」


 仕方なさそうに、柏木さんがため息をついた。


「……掃除、やっちゃお。天野くん」

「え……あ、ああ。うん」


 そう切り出してくれた柏木さんのおかげで、なんとか僕も動き出せた。


 しかし……


(やっぱりもう、普通にはなれないんだな……)


 分かっていたことだ。

 美月に頼まれなくても、彼女を拒絶した僕に、これまで通り接する資格がないことくらい。

 ……でも。


『――初めまして天野くん。同じ図書委員同士、よろしくね?』

『天野くんお疲れー! ね、仕事終わったら購買行かない?』

『……天野くんって、さ。気になる女の子とか、いるの?』


 僕にとって彼女は、美月以外で、初めてできた女友達で。

 そんな彼女ともう話もできないのは、やっぱり寂しい。 

 そんなことを思ってしまった。


「……天野くん」

「……っ?」


 不意に声をかけられ、思わず掃除の手を止める。

 振り向くと、柏木さんはこちらを見ずに、箒を掃き続けていた。


「天野くんの、彼女ってさ……どんな子?」

「え……」


 その唐突な問いに面食らう。

 それは蓮二始め、クラスメイト達に散々聞かれたこと。

 でもまさか、彼女からも聞かれるとは思わなかった。


 どうして、今更そんなことを。


「……えっと、どうして?」

「……別に。ただ、ちょっと気になって。私は、どんな子に負けちゃったのかなって」

「……」

 

 教室の床を見つめたまま、柏木さんはそんなことを口にする。 

 返答に困り固まる僕の方を、柏木さんは振り向いて苦笑した。


「笑うかもしれないけど、天野くんに告白した時、実は結構自信あったんだよ?」

「え?」

「これでも、男子からはよく告白される方だし……天野くんと一番仲のいい女の子は、私だって思ってたから」


 そう恥ずかしそうに俯く柏木さん。


 ……それは決して間違いじゃない。

 美月とタイプは違うが、彼女もまた可愛らしい美少女で。

 ”幼馴染”なんて反則がなければ、僕と一番仲のいい女の子もまた、彼女だった。


 ……本当に、美月がいなければ、こちらから頭を下げてでも付き合ってもらっていただろう。


「だからどうしても気になっちゃって。幼馴染って言ってたけど。具体的にどんな子かは聞いてないでしょ?」

「……うん」

「……良かったら、教えてくれる?」


 そう言って、こちらの目をじっと見る柏木さん。


 ……そうだな。

 確かに彼女には、聞く権利がある。

 具体的な名前を言えないのが、心苦しい限りだけど。


「……そうだね。一言で言うなら、高嶺の花、かな」

「……高嶺の花?」

「とんでもなく美人なんだ。自慢に聞こえるかもしれないけど、僕なんかじゃ逆立ちしたって釣り合えないくらい」

「へえ……」

「勉強も、運動もできて。ほんと嫌味なくらい完璧で……」


 ……本当に、なんで僕なんかと付き合ってるんだろうな、あいつは。


「ずっと、手の届かない相手だって、思ってたんだけど……」

「……その言い方だと、向こうから告白された?」

「うん、まあ……」


 告白というか、あれはもう一種の脅迫だった。

 いい加減腹くくれや、オラ! という無言のメッセージにすら感じられた。

 ……そしてまさか、その日のうちに童貞までもってかれるとは思わなかった。


「そっかぁ……」


 そう呟いて、彼女は窓の外を眺める。

 その瞳からは、彼女の考えていることは伺えない。


「なんか、雪村さんみたいだね?」

「うぇ!?」

「え、なに?」


 危なかった。一瞬心臓止まるかと思った。

 僕は慌てて心を落ち着け、なるべく不自然のないように。


「ま、まさか。雪村さんと僕じゃ、釣り合わないどころじゃないって……」

「……」


 そう言うと、柏木さんはなぜか顔を顰めた。

 そして、僕のおでこをつん、と小突く。


「それ」

「え……?」

「天野くんのそういう卑屈なところ。よくないと思う」


 むぅっとした顔で、僕の顔を覗き込んでくる。


「天野くん、そんなダメな男の子じゃないよ。成績もいいし、運動もそれなりにできるし、あと顔可愛いし」

「可愛いって……」

「いや実際、私の好みドストライクだったんだよ。可愛くて、気遣いができて、ちょっと守ってあげたくなる感じで」


 ……それ、喜んでいいの?

 微妙な顔になる僕を見て、柏木さんはおかしそうに笑う。


「男らしいタイプじゃないけど、刺さる子には刺さると思うよ」

「……それは、どうも」


 なんとも微妙な評価だ。

 男としてそれはどうなのか、と思わなくもない。

 

 ……筋トレ、しようかな。


「だから、もっと自信を持つこと」


 め、と姉のように叱られる。


「私が好きになった男の子は、素敵な人だったんだって、思わせて欲しいな」


「……善処します」


 僕も苦笑して、そう答えた。


 それからは、割と和やかな空気で掃除を進めた。

 もう二度と話もできないと思った女友達。


 仮にこれが最後になるとしても、もう一度話せてよかった。


「……よし、これで終わりかな」

「うん、大丈夫だと思う」


 あらかた床や黒板を磨き終え、僕はふぅ、と息を吐いた。

 二人でやるには、中々骨の折れる作業だった。


「天野くんは、もう帰り?」

「うん、バイトあるから」

「そか。じゃあごみ捨ては私やっておくから、先帰っていいよ」

「えっと……」


 さすがに女の子に力仕事をやらせるのは……。

 そう思ったが、時計を見ると大分時間がやばい。 

 今すぐダッシュで向かってギリギリ間に合うかどうかだ。


「いいっていいって。図書委員の時、いつも色々手伝ってもらってたから。そのお礼」

「……っごめん、頼んでもいいかな?」

「お任せあれ」


 そう言って笑う柏木さんに頭を下げて、僕は教室を後にした。


 柏木さんは最後まで、そんな僕を笑顔で見送ってくれた。








 ――そうして天野くんが見えなくなった後、私は、手近な席に座り込んだ。


「……上手く、笑えてたかな。私……」


 あの告白から、もう二週間。

 それでも彼を見る度に、傷口が疼く。


『――柏木さん。大丈夫?』


 第一印象は、可愛い男の子だな、と思った。

 けれど関わるうちに、話やすくて、気遣いもできて、意外と頼りになるところもあって……

 そんな彼に惹かれるまで、そう時間はかからなかったように思う。


「高嶺の花、かぁ……」


 彼が、付き合ってる相手を称した言葉。

 彼が言うからには、よほどの美女なのだろう。


 しかしその言葉に真っ先に思い浮かぶのは、同じクラスの美麗な同級生。


 ――雪村美月。


 長身で抜群のスタイル。欠点一つない完璧な美貌。

 初めて見た時は、一体どこの女優だ? と驚いたほどだ。

 彼女こそまさに、”高嶺の花”と言えるだろう。


「……まさか、本当に雪村さんじゃないよね……?」


 言ってみて、ありえない、と思う。

 けれど時折、あの他人に興味なさげな彼女が、天野くんをじっと見ていることがある。


 そしてその目が、なんだかちょっと、普通じゃない気がして……


「……まさか、ね」


 いくらなんでも、ありえないだろう。

 あの完全無欠の学園のマドンナが。

 この学園の誰もが憧れる、絶世の美女が。


 ……いくらなんでも、天野くんには荷が重すぎる。


 この時私は、必死にそう自分に言い聞かせていた。






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