第12話 悪運と幸運

 久し振りにあの日の夢を見た。

 俺の人生の分岐点。精神的外傷トラウマ。母親の命日。

 俺は、あの子を助けたかっただけなんだ。

 

 炎に追われ、母さんは俺を抱えて四階の高さから飛び降りた。背中を地面に向けて。俺を守る様に。

 そして、耳元で嫌な音がした。鈍い音と共に何かがつぶれる音。生々しい、肉の音。

 動かなくなった母さんの上で、俺はのうのうと生きていた。人が周りに集まってきて、ひどい顔つきで俺を見下ろす。


「お前が悪い」


 皆が俺を責める。友人が、先生が、祖母が――――父が俺を責める。


「お前が母さんを殺した」


 俺は、あの子を助けたかっただけなのに。

 いけないことだったんだ。無謀だった。非合理的だった。

 

 そして俺は、それまでの正義感に塗れた自分を捨てた。





 知らない部屋で目を覚ました後、小日向は数分間天井を見つめていた。死んだはずだった。腹を貫かれ、血も見たことないくらい出ていた。そしてあの場には小日向と乙葉しかいなかった。あの後彼女もろとも災厄獣アドヴェルズに殺される、そのはずだった。

 上半身を起こそうとすると、お腹辺りに痛みが走る。痛んだ箇所を触ってみるも、傷は塞がっているようだった。そこまで経ってやっと、自分の足辺りに誰かが伏せていることに気付いた。

 乙葉だ。彼女は生きていた。


「ん、むぅ……」


 小日向が体を動かしたからか、乙葉は目を覚ます。目を擦りながら、重そうに体を起こす。小日向と目が合うと、彼女は大げさに瞬きをして、それから涙を浮かべた。


「小日向くん……っ!良かった、生きてた……!」

「ああ……俺も死んだと思った……。ってか、なんで生きてるんだ?俺も、乙葉さんも」

「えっとね。助けられたの、はんたー?って人たちに」


 魔物狩りハンター。その名の通り魔物を狩ることを生業としている人々。このスペステラでは立派な職業のひとつである。それがたまたまあのタイミングで通りかかったらしい。幸運もいいとこだ。とはいえ災厄獣アドヴェルズに遭遇したのは相当な悪運だし、寧ろちょうどいい塩梅かもしれない、と小日向は思った。

 どうやらここはその魔物狩りハンターたちが運営している療養所らしい。


「あーえっと、そうだ!とりあえず棗ちゃんたち呼んでこなきゃ!」


 乙葉は立ち上がり、部屋を出ようとする。


「あ……乙葉さん!」


 呼び止めると、彼女はドアの前でピタッと止まり、振り返って首を傾げた。


「あのさ……なんであの時、俺の事庇ったんだ?」


 どうしても聞かずにはいられなかった。小日向が投げ飛ばされ意識も朦朧とする中、彼女は災厄獣アドヴェルズの前に立ち塞がった。小日向のことを守ろうとした。何の力も持ってないのに。そのことが気にかかっていたのだ。

 乙葉はぽかんとした後、口をもごもごさせながら答える。


「あー……あれは、ね。勝手に体が動いたというか……」


 小日向は無言で次の言葉を待つ。


「……小日向くん前にさ、魔法を教えてもらってた時私に、『他のことが無理だったからって、魔法ができないとは限らないだろ』って言ってくれたでしょ?それが、嬉しかったから、かな」


 乙葉は笑顔を見せた。その頬は僅かに紅潮していた。

 彼女が語った理由に、小日向は呆気にとられていた。確かに、言った。ルークの家で彼女にせがまれて魔法を教えた時のことだ。魔法を上手く使えなかった彼女を励まそうと何気なく言った言葉だ。でもそれだけの理由で?あんな化物を前にして、確実に死ぬ場面で、命を張って庇ったというのか。


「じゃあ、呼んで来るねっ!」


 駆け足で部屋を出ていく乙葉を見送った。かと思いきや、すぐに足音が引き返してくる。それも三人分。ドアが勢いよく開いた。


「小日向!」


 榊がベッドまで飛びついてくる。


「死んだかと思ったよ小日向……!いや、僕は生きてるって信じてたよ!」

「どっちだよ」

「これで全員、奇跡的に生き延びられたわね。もちろんルークさんも」


 宇佐美も安心した顔でこちらを見た。ルークも無事だったようだ。あの状況でこちら側が誰も死ななかったのは本当に奇跡だ。


「……ルークさんはどこに?」


 小日向は彼女の顔を見ずに聞いた。


魔物狩りハンターのギルドに出かけて行ったわ。お礼と事後処理だって」


 宇佐美はあくまで淡々と答える。一方の小日向は気まずさを覚えていた。あの時、異常事態だったとはいえルークを助ける話で揉めた。小日向は今でも正しい判断をしたと思っていた。結果的には魔物狩りハンターのおかげで全員助かったが、あの状況で倒れている人を助けるなど、バカのすることだ。非合理極まりない。そのことを思い出すと、苛立ちさえ覚えた。


「あんた、ルークさんを見捨てたわね」

「ちょっ、宇佐美さんそれは……!小日向もほら、焦ってたんだよな?」


 榊が場を収めようとするが遅かった。真顔で放たれた宇佐美の言葉に、小日向の苛立ちが沸騰した。


「お前らが!無謀なことをしたんだろうが!俺の判断は間違ってない!」


 身体を乗り出して怒鳴る。乙葉も榊も面食らった顔をしていたが、宇佐美だけは一切顔色を変えなかった。


「うん、ごめんなさい」


 あっさりと、彼女は謝罪した。


「でも聞いてほしい。私は次同じ状況になっても、また人を助ける。私は私の正義を実践するわ。それだけは絶対に譲れないから」

「なん……」

「だから、私のことは見捨てて。あんたたちを巻き込まない様にするから」


 真っすぐと、硬い意思の籠った目で見つめられ、小日向はたじろぐ。宇佐美の言葉に思うところがあったのか、榊は口を挟んだ。


「そんな、僕らこれから一緒に冒険する仲間だろ?僕も協力するし、ちゃんと話し合えば……」

「わかった」

「小日向!」


 榊に咎められるが無視する。それなら宇佐美と揉める理由はない。その場面が来ても見捨てればいいだけ。主義が致命的に合わない彼女とも、引き続き旅ができる。

 宇佐美が手を叩いた。


「よしっ!じゃあ早速出かけましょ!治ったんでしょ?もう」

「切り替え早っ!?」榊が驚く。

「……私の意見が人と合わないなんて、慣れてるから。だからこの話はおしまい!」


 影を感じさせる言い方をして、彼女は話題を打ち切った。正直ありがたかった。小日向自身、気まずい空気を引きずりたいわけではなかった。


「あんたが会いたがってた人が見つかったのよ」


 宇佐美は早速話を進めた。空気を読んでか、榊も便乗する。


「ああ、すごいミラクルが起きてるんだよ小日向!」

「私たちを助けてくれた魔物狩りハンターの中に回復魔法を使える人がいてね、あなたの傷をその場で治してくれたみたいなの。そしてここルザリースまで運んでくれた」


 回復魔法を使える魔法士はそう多くない。そして、ここは当初の目的地だったルザリースだという。


「まさかその人って……」

「そのまさかよ。私達を助けてくれたのは、メイさんが所属する魔物狩りハンターのチームだったの!」


 小日向は苦笑する。


「……運が良かったり悪かったり、やっぱり良かったり……こっちの世界に来てまだ二日目だってのに、目まぐるしいな」

「小日向くんずっと寝てたから、実は三日目なんだけどね」


 乙葉は笑った。窓から茜がかった陽光が差し込む。

 四人はこの異世界に放り出されて数度困難に見舞われながらも、何とか三日目まで生き抜くことができた。

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