猿の手③
佐藤ユイは、不機嫌であることを全く隠さず、眼前の男を睨みつけた。
「それで?」
「ま、何度も言ったとおりですな。どうも、これには7年前の動乱が絡んでおります」
手を組み、一際大きなため息を出すと、佐藤は目を閉じた。目の前の男のもたらした情報が、如何に厄介であるのか理解していた。誰だって動乱の話題に触れたがる人間はいない。
あの動乱は、規模としては最悪なレベルだった。京都で決起した奴らは、日本中で次々と―まるで波状攻撃でも行うかのように、反乱を起こした。京都で決起したと思ったら、2日後には東京で決起してまたその次は……そんな具合で反乱が起こり続けるものだから、最終的に動乱は二か月の間国内を混乱に陥れた。そのせいで、当時の記録はもちろん、管理されていたアイテムや異常存在(こちらはボディとか、アノマリーと呼ばれる)の一部が行方知れずにもなった。
その動乱が、今回の猿の手―この一件に関わっている。
「教団が関連しているのか?」
「ええ。猿の手のオリジナルが行方不明になっていたのはご存知で?」
「当たり前だ。だが、あれは5年前に回収されている。まさかとは思うが……」
「恐らく、そのまさかでしょうな。用いられているのは猿の手の劣化コピー………量産された期間までは、分かりませんがね」
「それで?」
佐藤は、男に問いかけた。何の見返りもなく情報を渡すつもりもあるまい。
「………今から一か月後。長崎港に、イタリアからアイテムが送られます。あなた方には、それの護衛と確保をお願いしたい」
「事情が分からんことには何とも」
「詳しくは言えません。しかし、対象となるアイテムは、特型機密指定です。これはイタリア―ヴァチカンとの取引……言えるのはここまでです」
「随分喋ってくれるな?」
「同期のよしみさ」
男はそう言うと、眼前から忽然と姿を消した。食えない奴だ、と思いながら連絡端末を起動した。
「ふむん」
赤山ヒイロは戦友から送られてきた連絡に、顔を綻ばせた。『猿の手は劣化コピー』――であれば、どこからそれが持ちされていたのかも見当がつく。ともなれば立てる対策もある訳で。問題は、その見当にどれほどの危険性があるのか。そして、教育を施すべき新人―新山ユイが、ついて来られるかどうかだった。
「(どのみち、二人だけで突入するわけにもいかない………応援は呼ぶとして、それでも危険性は未知数。危険性を測っている間にどれほどのリスクが生まれる?)」
何であろうと。そう、何であろうと、何が待ち受けようと、迅速に動かねばならない―課長もそうお達しだ。であるなら、すぐにでもそこへ行かねばならぬ。
「後輩ちゃん!」
「へぇっ!?」
いきなり名前を呼ばれた新山が、素っ頓狂な声を上げて、助手席からこちらの顔を覗き込んだ。
「ひとっ走り、行こうか」
たぶん、そう言った僕の表情は、とてもあくどいものだっただろう。
車を走らせて、15分もすればすっかり郊外だ。この辺り―第二東京は、動乱以前の東京と似て、都会と自然の区切りは意外とはっきりしている。その自然広がる山の中腹に、赤山は車を止めた。
「ここだねぇ」
「ここっスか?」
ここ、と言われ、辺りを見渡せど目に映るのは山の木々。それと、エンジンの切れた車。他には何もありはしないように見えるが、己が先達はここに用があると言う。
「ここから先に行った場所に、かつて日本を崩壊の一歩手前まで陥れたカルト教団―『無銘の神教』の跡地がある……前動乱の遺物さ。応援はもうあと10分もすれば即応部隊が来るが、僕らはそれを待たない」
「待たないィ!?」
思わず素っ頓狂な声を上げ、眼をかっぴらいた。この先達は―赤山ヒイロは、たった二人で、即応部隊に先んじて遺された基地へ突入すると言う。それがどれほど危険であるのか、新人である己にも、想像は容易い。先ずもって、「この場所に基地がある」と分かっていた点からして、すでにこの基地は文字通りの跡地。既に調査と内部にあった物の差し押さえが済んでいるということだ。だが、赤山はそこへ来た。ということは、差し押さえた今でなおここには脅威が潜むという事!
「だっだっだっ、大丈夫ですかねぇ……!?」
「知らね。まぁ大概の状況は、君に危害は及ばないよ。僕が何とかする。ただ―」
「ただ?」
「―ただ、とんでもない厄ネタが出てきたりしたら、命の保証はしない。悪いけどその時は、自分で判断。自分で慣れろ、としか言えない」
「じゃっ、個人装備装着! その後速やかに内部へ突入!」赤山ヒイロは、刀の収まった鞘を片手に、空元気を絞り出すようにそう言った。
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