第4話 叫びの配信

バンシー:死の予告者


アイルランドの古い伝説に、バンシーという存在が囁かれる。白いドレスをまとい、血のように赤い目で泣き叫ぶ女の幽霊。彼女の声は死の予告――その金切り声を聞いた者は、数日以内に命を落とすという。家族の滅びを悼む者とも、復讐の怨霊とも語られるバンシーは、夜の霧に紛れて現れる。だが、現代の東京、電波とネオンの海で、彼女の叫びは新たな形を取る。スクリーン越しに響くその声は、聞く者を狂気へと導く。



東京、2025年4月。大学3年生の藤田彩花は、深夜の自室でスマホをスクロールしていた。TikT◯k、Insta◯ram、Y◯utube――無限に流れる動画と投稿に、彼女の目は疲れていた。明日のゼミの課題は手つかず。なのに、指は止まらない。


ピロン、と通知音。知らないアカウントからのDMだった。@Banshee_◯。プロフィール画像は真っ黒、フォロワーゼロ。メッセージにはリンクだけ。「見てみて」と絵文字が添えられている。彩花は怪訝に思いながら、好奇心に負けてリンクをタップした。


画面が暗転し、ノイズ混じりの動画が再生された。暗闇の中、女が立っている。白い服、長い黒髪、顔は見えない。彼女が顔を上げると、目が赤く光り、口から耳をつんざく叫び声が響いた。彩花はスマホを落とし、耳を塞いだ。心臓がバクバク鳴る。


動画は5秒で終わり、画面には文字だけ。「次はお前だ」。


彩花は震えながらアプリを閉じ、ベッドに潜り込んだ。ただのイタズラだ、と思い込もうとした。だが、その夜、彼女の夢にはあの女の叫び声が響き続けた。



翌朝、彩花は大学の友人グループに動画のことを話した。リーダー格の真由は笑いながら、「それ、絶対バズるやつじゃん!転送してよ」とせがむ。彩花は嫌な予感がしたが、グループチャットにリンクを共有した。


その日の夕方、真由から着信があった。声が震えている。「彩花…あの動画、ヤバいよ…」電話の向こうで、ノイズのような叫び声が聞こえた。真由は叫び、電話が切れた。


彩花は慌てて真由のアパートへ向かった。ドアは開けっ放し、部屋は荒らされていた。真由はベッドの上で倒れ、目は見開かれ、口から血を流していた。スマホの画面には、@Banshee_◯の動画がループ再生されている。


警察は自殺と断定したが、彩花は信じられなかった。彼女は真由のスマホを手に取り、@Banshee_◯のアカウントを調べた。フォロワーは数百人に増え、動画は拡散されていた。コメント欄には「見た瞬間頭痛が」「夜中に叫び声が聞こえる」と恐怖の声が並ぶ。だが、彩花がアカウントをブロックしようとすると、スマホが勝手に再起動し、動画が自動再生された。


「逃げられない…見たな…」


女の声が、スピーカーからではなく、頭の中で響いた。



彩花は大学の図書館で、バンシーの伝説を調べ始めた。神話のバンシーは死を予告する幽霊だが、現代のこれは違う。ネットの奥深く、ダークウェブのフォーラムで、@Banshee_◯の噂を見つけた。


「バンシーはネットいじめの犠牲者の怨念。彼女は生前、SNSで叩かれ、命を絶った。死後、彼女の怒りが電波に乗って拡散する。動画を見た者は、彼女の叫び声に取り憑かれる」


彩花は背筋が凍った。彼女自身、SNSで軽い嫌がらせを受けたことがあった。匿名のアカウントからの悪口、晒された写真。バンシーの怨念は、そんな闇を糧にしているのかもしれない。


その夜、彩花のスマホに再び通知。@Banshee_◯からのライブ配信の招待だった。拒否しても、アプリが勝手に開き、配信が始まった。画面にはあの女――バンシー。だが、今度は顔がはっきり見えた。彩花の高校時代の同級生、莉奈だった。


莉奈は2年前、ネットいじめを苦に自殺していた。彩花は彼女を助けられなかったことを思い出し、涙が溢れた。バンシーの赤い目が画面越しに彩花を睨み、叫び声が部屋に響く。ガラスがひび割れ、彩花の耳から血が滴った。


「なぜ…助けなかった…?」バンシーの声が、頭を締め付ける。




彩花はバンシーを止めるため、莉奈の過去を調べ始めた。莉奈のSNSアカウントは凍結されていたが、魚拓サイトに残された投稿を見つけた。彼女を叩いたのは、彩花の友人グループだった。真由もその一人だった。


彩花は罪悪感に苛まれながら、バンシーの動画を解析する友人・拓海に協力を求めた。拓海はハッカー気質の理系学生で、動画のメタデータを調べた。「この動画、単なるファイルじゃない。AIが生成したウィルスだ。見た人の脳波を乱す周波数が仕込まれてる」


彩花は愕然とした。バンシーは単なる幽霊ではなく、怨念とテクノロジーが融合した怪物だった。拓海は提案した。「ウィルスを無効化するには、元のアカウントをハックしてサーバーをダウンさせるしかない」


二人は莉奈の旧アカウントを追跡し、ダークウェブのサーバーにたどり着いた。だが、ログインを試みた瞬間、彩花のスマホからバンシーの叫び声が爆音で響き、拓海が倒れた。彼の目は白くなり、口から泡を吹く。バンシーの声が彩花に囁く。


「誰も…逃がさない…」



彩花は一人、サーバールームに侵入した。そこは廃ビルの地下、埃と電磁ノイズに満ちた空間だった。モニターにはバンシーの動画が無限にループし、サーバーの冷却ファンが叫び声のように唸る。


彩花は拓海から教わったコードを入力し、サーバーをシャットダウンしようとした。だが、モニターにバンシーの顔が映り、彼女の手が画面から伸びてきた。冷たい指が彩花の首を締め、叫び声が脳を焼き尽くす。


「ごめん…莉奈…私が悪かった…」彩花は涙ながらに謝った。「でも、これ以上、誰も傷つけないで…」


その瞬間、バンシーの目から血の涙が流れ、締める手が緩んだ。彼女の声が、初めて人間らしく響いた。「ごめんなさい…。早く殺して…。」


彩花は最後の力を振り絞り、サーバーの電源を切った。モニターが暗くなり、叫び声が消えた。部屋は静寂に包まれた。



1週間後、彩花は大学に戻った。@Banshee_◯は消滅し、動画もネットから消えた。だが、彩花の耳には、時折、遠くの叫び声が聞こえる。彼女は莉奈の墓に花を供え、こう呟いた。「もう、誰も傷つけないよ」


ネットでは、新たな噂が流れ始めた。別のアカウント、別の叫び声。バンシーは死なない。彼女は電波の海を漂い、次の犠牲者を待っている。

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