2話・お菓子をくれてもいたずらしたぞ
『と、トリックオアトリート、お菓子をくれなきゃいたずらしますよ!』
あまりにも大嘘だった。お菓子をくれても、いたずらする気満々だった。
『ごめんナナカちゃん! 明日のハロウィン一緒に行けない! でも名前貸して!』
ナナカは苦笑いしながらも親友の頼みを受け入れたが、我ながら結構ひどいことをしているという自覚はアイリにもあった。
しかし、アイリがした最もひどい行いは、そんなことではなかった。
『……手作りですか?』
『う、うん。最近ちょっとハマってて。わたしの手作りとか無理かな?』
『……いや、こう、お姉さんならなんかやばいもの入れてそうだなと……』
大嘘である。
ゆかりがそんなことするはずがないと、分かっていた。
というか、現実にやばいものを入れたのはゆかりではなくアイリだった。
具体的にはなにか。
よだれである。唾液である。つばである。調理中にたらりと口から垂らしたのである。
『昨日ナナカちゃんと作りました。貰ってばっかりも悪い気がしたので』
当然これも嘘だった。自分一人で作ったのである。よだれ入りクッキーを友人の前で作る胆力は流石にない。そういう意味でも名前を貸してもらった。
クッキーによだれを入れた。アイリは自分のよだれ入りクッキーをゆかりが食べるのを目の前で見た。
……股のあたりが、むずむずした。
アイリは11歳だが自分のやったことがかなりやばいと自覚していた。でもやった。止められなかった。
小日向アイリは愛に生きると決めたのだ。
愛に生きることとクッキーによだれを入れることになんの因果関係があるのかは不明だったが、それでも、やりたいからやった。
(わたしだったらお姉さんのよだれ入りクッキーうれしいけど)
なんてことを考えながら、アイリは自室にてゆかり謹製のクッキーを食べていた。普通の美味しいチョコクッキーである。おそらくよだれは入ってないだろう。入っていてもわからないのだけれど。
なんにせよ、わかっていた。葵ゆかりは本物のロリコンではなく、漫画やアニメで頭の悪い学習をしてしまったファッションロリコンでしかないことを。
あの人の自分に向ける感情はあくまでぬいぐるみに対する可愛いと大差ない――そんなことは、嫌になるくらいにわかっている。
だから本物にしてやる。
アイリは自分が可愛いことを十分に理解していたし、だからこそ気合を入れてコスプレしてハロウィンに臨んだのである。この赤ずきんちゃんの格好だってお年玉とお小遣いを限界まで投入した。
けれども結果は……よくわからなかった。
とりあえず自撮りを送ってみた。鏡の前で精一杯可愛く決めてみた。これで相手が本物ならとっくに陥落しているだろうが、現実には既読がついてからまるで返事が来ない。悪あがきめいて『わたしと撮った写真ください』なんて送ってみたが、こちらに至っては既読すらついていない。
「ああもう!」
変な駆け引きとかしないで素直に好き好きアピールするべきだったのではないか。いやでもお姉さんは大学生で私は小学生だからきっと真面目に受け入れてもらえないしその前に女として意識させることのほうが絶対大事で――何度やったか分からない議論が脳内で火花を散らす。
いかがわしいと言いまくることで実際に認知をいかがわしいの方向へ連れて行けてる気がする! いや知らないけれど!
なんにせよ、ゆかりの考えてることなどわかるはずがない。わかったら苦労していない。どころか、自分の気持ちさえも不透明であった。
きっと他人にこの気持ちを打ち明ければ、単なるあこがれで、気の迷いだと笑われるかもしれない。だけど、それだけは違うと断言できた。
確かに葵ゆかりは美人であった。贔屓目抜きに美人だと思う。不健康に白い肌に、脱色した銀色のセミロングの、線が細くて背の高い美人だ。
でも実際は友達がいないし、漫画やアニメ以外趣味もないし、自分以外には基本的にコミュ障だし、いつも猫背だし、髪を脱色したのだって大学デビューのつもりだったのだろうが逆に怖がられてるしで、ろくな大人ではないと知っている。つまりは、あこがれる対象ではないと十分に理解していた。
だけど、それでも好きだった。好きになっちゃったんだから仕方なかった。
アイリは既読がつかないラインを睨みつける。もちろん、いくら睨みつけても既読はつかないのだが。
「……ファッションロリコンのくせに」
自分でも何を言ってるのかわからない。しかしそこで、アイリは気づいてしまった。
「……まさか」
自撮りには既読がついている。……しかしその後の投稿には既読がついていない。それはつまり、自撮りを見てから急に忙しくなったということで。
「それってもしかして」
急に顔が熱くなる。
「いやいや、小学生だよ、私?」
お姉さんもそこまで堕ちていないはずだ。まさかそんな、小学生の自撮りで……。
自分で送っておいて何を言っているのか、何ならそれを期待して送ったくせに――なんて冷静な自分は考えているが、一方の自分はただただ、恥ずかしくて、顔が熱くて。
「いやいやいやいや、そんな変態じゃないしお姉さん!」
変態じゃないから困ってるのだが。
子どもに欲情させたいが、いざ欲情したらそれはそれで困る――我ながらメチャクチャであった。
「……でも大人なんだし、それくらい普通なのかも」
普通だろうか。少なくとも、知り合いの小学生の自撮りでするのは普通じゃないと思う。
そんなふうに悶えているうちに、知らぬ間に既読がついていて。
「……あ」
超可愛い! の意のスタンプが貼られて、ついでゆかりとアイリのツーショットが送られてきた。
「……」
思わず、自撮りになれてないヘナヘナなゆかりの笑顔をアップにする。
……ドキドキする。むずむずする。
「いや、しないし!」
そもそもやり方もよくわからない。何となく漫画でそれっぽい描写を見ただけだ。まだ自分には早いと思う。なんか怖いし。
「……私、変態じゃないし」
変態じゃない。変態じゃないのか、自分は。
クッキーによだれを入れておいて、変態じゃないのか。
「……いや、それは」
好きな人に自分のよだれって、飲んでもらいたくない? 間接キスの延長線上じゃないの?
「……もしかして、私ってかなりやばい?」
今更に恥ずかしくなってきた。
しかしいくら恥ずかしくても、ゆかりへの気持ちが収まるわけでもなくて。
スマートフォンの液晶でヘナヘナな笑顔を浮かべるゆかりを見つめると、どうしようもなく込み上げるものがあって。
「……」
アイリは、拡大した画像、ゆかりの唇にキスをしていた。
「~~~~~~ッ!」
悶絶する。味なんかしないのに。そのままベッドでゴロゴロ転がる。
ゴロゴロ転がって、そのまま勢い余って床に落ちて。
「……何やってるんだろう、私」
画面の中のゆかりは相変わらずヘナヘナとした、陰キャ丸出しの笑顔を浮かべていて。
(……可愛い。うわ)
拡大を解除すると、自分もまた、大差ない表情を浮かべていて。
「……まあ、二人で写真撮れたし、いいか」
今回のハロウィンはそれだけで十二分の成功だと、そう思った。
……アイリは知らない。
自撮りを送ってからツーショットが送られてくるまでのあいだに、ゆかりに何があったのか。
アイリは知らない、知るはずがない。
気になる大学の同級生から連絡が来たことも。
今度その人とデートすることになったことも、何もかも。
だってアイリは、単なる近所の仲良しの小学生で。
8歳の年齢差があって。
葵ゆかりはファッションロリコンなのだから。
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