第6話 口から飛び散る赤い汁
俺がスプーン片手に怒りの拳を震わせると、今度は春香ががっくりと肩を落とした。
「責任転嫁もここまでくると芸術ね……」
「責任転嫁じゃなくて事実だ。試しに春香のパンツを見せてくれ。そうすれば俺の正しさが証明されるから!」
「握りこぶし固めて何口走ってんのよ! て、夏希はいつの間にうしろに、やめなさい、スカートをつかまないで引っ張らないで、見えちゃうじゃない!」
ガタリと席から立ち上がった春香のスカートを握りしめ、夏希は口元を緩めながら引っ張りまわす。顔を赤らめながら必死に抵抗する春香が可愛かった。
「どるぁっ!」
「ぐはぁっ!」
女子にあるまじき怒声を伴い、春香の鋭い膝蹴りが、夏希のみぞおちに深く刺さった。
夏希の口から赤い汁が飛び散り、倒れ込み、ドサリという音と一緒に、テーブルの下へと消えた。
赤い汁は、付け合わせのトマトだろう。
幼い頃、トマトジュースを飲んでいる時に夏希がくすぐってきて、思わず噴き出したところに妹が来て「お兄ちゃんが血を吐いたぁ!」と叫びながら母さんを呼びに行ったことを思い出す。懐かしいなぁ。
俺がほんわかしていると、春香は顔に赤みを残しながら、椅子にお尻を降ろした。
「まったく、本当にえっちなんだから。それより幹明、ぐちぐち言っている暇があるなら、ちゃんとゲームの練習しなさいよ? あんたがパン耳生活から抜け出すには、月末試験で結果を出すしかないんだからね」
桜色の唇を尖らせながら、春香は語気を強めた。
「もちろん、わかってるって」
MR学園は毎月、月末試験と呼ばれる、MRゲームの実技試験を行っている。ここで残した成績によって、学園ランキングは大きく変動する。
だから、早ければ、俺は来月にもパン耳生活から脱出して、本来あるべき豊かな青春をこの手に取り戻せるはずなんだ。
「でも心配なんていらないよ。春香も俺の実力は知っているだろ? パンツ事件さえなければ、俺も春香と同じ、上位ランカー組なんだ。一度の試験で春香と同格、は無理だとしても、ぐいっと右肩上がりは確実だよ。そしたら、ゴールデンウィークは街で遊び倒そうな」
俺が歯を見せて笑うと、春香は肩をすくめた。
「やれやれ、調子に乗っていると、また足元をすくわれるわよ?」
「そう思うなら、特訓に付き合ってくれよ。NPC相手じゃ気分でないし」
「いいわよ。たっぷり揉んであげるんだから」
指をポキポキと軽快に鳴らしながら、春香は期待に胸を膨らませるようにして笑った。それ以上胸が膨らんだら生活に支障が出ちゃうぞ?
「夏希も頼むな……て、お前いつまで倒れているんだよ?」
未だに姿の見えない親友を求めて、俺は体を倒し、テーブルの下に顔を突っ込んだ。
「ッッ!?」
視線の先、そこには、春香のむっちりとやわらかそうな太ももがあった。
本来ならば、肉付きのいい、セクシーな太ももの間にはスカートのガードがあるのだけど、 夏希に散々引っ張られたせいでスカートは乱れ、ガードが甘くなっている。
それでも、テーブルの下は薄暗く、春香の至宝は闇に隠され拝むことは叶わない。
一瞬、安堵の息を漏らす。
これでいい。
春香を傷つけるのは、本意じゃない。
彼女と気まずくなるぐらいなら、パンツなんて見えないほうがいい。
これが悟りの極地か、俺は、とても穏やかな気持ちになれた。
が、刹那、俺の瞳孔――目に入る光量を調節する器官。これが開くと夜でも薄っすらと見えるようになる――が開き、闇のベールを剥ぎ取った。
「――――――――――――――!?」
顔に熱が奔る。心臓が跳び上がる。テーブルに指を食い込ませる。
瞳孔が開いても、スカートの中身は十分に暗かった。それでも、太ももと、太ももではないナニカの境界が、おぼろげながらも確認できた。
目に映るシルエットの正体に、俺は歯を食いしばった。
春香の心配そうな声が聞こえる。
「ちょっと夏希。幹明が呼んでいるわよ。いつまでも倒れてんの?」
テーブルの下から顔を上げた俺は、そんな彼女に呼びかける。
「……悪いけど春香、午後からの授業内容、あとで教えてもらえるかな? あと、練習は明日に延期だ……」
「え? 用事でも思い出したの?」
春香は、お人形さんのように、こくりと首をかしげる。
「ううん、違うんだ。ただ、今日はもう、何もできそうになくて……」
思考がぼやけて、焦点の定まらない視界で、そう告げるのが精いっぱいだった。
すると、俺の様子に疑問符を浮かべていた春香が、自身のスカートを見下ろした。
三秒後、両手でスカートを押さえて、顔をリンゴ色に染めて叫ぶ。
「ダイブ・アバター!」
春香の真横に、マシンガンを手にした分身が現れた。
あれは、彼女がいつも使っている【超能力学園】のアバターじゃない。
今、もっとも競技人口が多いMRゲーム【スクランブル】は、アバター生成時に、戦闘方法を六つのタイプから選ぶ。
全身に弾帯を巻き付け、両手にマシンガンを持ったあれは、【ミリタリー学園】のアバターだ。
でも、なんで今?
凶悪な銃口が、そろって俺に向けられる。
おや?
彼女の悲鳴と一緒に、無数の弾丸が唸りを上げた。
「幹明の、ばかぁあああああああああああああ!」
「ノォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
けたたましい銃声と金属音が重なり、無数の弾丸が俺を貫いていく。
現実さながらに作りこまれた音とグラフィックは、確かなリアリティを以って殺到し、俺は情けない声を上げて椅子から転げ落ちた。
あぁ、本当に、この性格さえ直れば文句なしの美少女なのに。
俺は、そのまま意識を失いたくなるほど残念な気持ちになった。
すると、周囲から心配そうな声がかかる。
「おい、誰か倒れているぞ」
「あ、ほんとだ」
「なんで倒れているの?」
「どうせローアングルから女子のパンツでも見ようって魂胆だろ?」
「なんだ、じゃあ放っておいていいね」
「いこいこ」
それはないだろ学友たちよ……。
散々な学園生活に、目から涙が止まらなかった。
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