第4話 ARじゃないですよ

 真紅の剣が、赤いライトエフェクトを宙に刻みながら、春香に迫る。


「ちぃっ」

春香は舌打ちをすると、両手に水の剣を生成する。


 水の刀身は、表面がチェーンソーのように高速流動している。


 貴佐美の剣、設定上はフェンリルの爪と鍔迫り合うと、激しい水しぶきを飛ばしながら拮抗する。


 他の生徒たちは、すっかり観戦態勢に入り、おもしろがってはやし立てている。

 春香はバックダッシュで一度距離を取ってから、再度、猛然と斬りかかる。


「くぅっ、負けるかぁああ! おらおらおらおらおらぁ!」

「ふふ、遊んであげますわっ」


 上品な笑みながら、声には興が乗っている。

 二人は教室中を駆け回り、跳び回り、得物を振るって暴れまわる。

 春香の空ぶった斬撃が、俺の机を直撃した。


 すると、俺の机から半透明の机が飛び出した。半透明の机はバラバラに砕けながら、破片が床に散らばる。


 まるで、机が幽体離脱したようだった。


 当然、半透明の机がMRで、本物の机は無傷だ。


 耳のデバイスを外せば、朝のくまお君と同じく、机の破片も、春香と貴佐美の姿も、俺には見えなくなる。


 二人のアバターは空中に投影した立体映像ではなく、あくまでも複合現実、MRだからだ。


 二人が戦っているのは、厳密にはこの教室じゃない。


 教室に設置されている監視カメラ映像を元に、リアルタイムの現実を再現した、ローカルネットワーク内の仮想世界で戦っている。


 デバイスユーザーは、仮想世界の戦いを、現実世界に重ねるようにして観ることができる、というわけだ。


 別世界も同然の、完全仮想世界に意識を映すVRと違い、複合現実であるMRは、現実世界とリンクしているのが特徴だ。


 MRがVRに勝るメリットは多い、その一つが……あれ、夏希がいないぞ?


 親友の姿を求めて、視線を巡らせる。


 超能力と召喚術、異能と異能がぶつかり合う超常バトルの余波で、滅茶苦茶にされていく教室内を見渡した。


 机や椅子、教卓は粉々に粉砕され、床は剥がれ、天井はひび割れている。

 職員室など、生徒が立ち入り禁止のエリアを除けば、アバターの攻撃はフィールドのあらゆるものを破壊できる。

壁に空いた風穴からは、隣のクラスの生徒たちが顔を覗かせている。

 上位ランカー同士の戦いに、隣のクラスも大盛り上がりだった。

 そんな中、空間を薙ぎ払う斬撃や水の弾丸といったバトルエフェクトをもろともせず、夏希は真っ直ぐ、春香に歩み寄っていた。


「二人とも頑張ってくれ。君らの体はボクが保護しておくから」


 言って、夏希は春香の無防備な体を抱き寄せた。右手が、豊かな胸に触れている。


「ふんがぁあああああ!」

「ぐぼはぁッ!」


 春香がアバターとのリンクを切断。

意識を肉体に戻して、夏希に渾身の肘鉄をブチ込んだ。


 春香のアバターは消失して、肩をすくめる貴佐美の前には、【試合不成立】の文字表示された。


 壊れた机や椅子のMR映像は消失し、壁や天井の破損も、まるで幻のように消えてしまう。


 戦いの爪痕は、夏希にしか残っていない。


「か、肝臓が、ボクの肝臓が、でも、悔いは無い……」


 右わき腹を押さえ、床に崩れ落ちながらも、夏希の顔は勝利の余韻に満たされていた。


「夏希、お前はオトコの中のオトコだよ」


 傷ついた戦士に、そっと肩を貸してやる。



 

 これが、MRがVRに勝る、メリットの一つだ。


 仮想現実のVRは、技術的には可能だが、自分の肉体が無防備になるという欠点がある。


 一方で、MRなら、常に現実世界の状況を把握できる。


 安全性には、雲泥の差があるだろう。


 加えて、技術的には可能と言っても、実際に仮想現実を作るには、膨大な時間とコストがかかる。現実と遜色のない作り込みの世界など、何千人のグラフィッククリエイターでも何年かかるかわからない。


 でも、カメラの映像を元に、既にある現実を舞台にすれば、バトルフィールドは無制限に作れる。


 現実の物理法則には縛られない超常バトルを可能にしながら、プレイヤーの安全性を確保し、低コスト故に多くの企業が参入しやすい。

それが今、世界中の人々を魅了している、MRゲームだ。


 そしてここ、MR学園は、MRプロゲーマーを育成する学園である。


 俺も、夏希も、貴佐美も、そして殺意の波動をまとう目の前の豊乳バーバリアンも、将来はプロゲーマーを目指している。



 夏希を席に着かせてあげながら、俺はため息をつく。


「おいおい春香、女子同士――」チラリ

「あぁ、春香ちゃんのやわらかかったなぁ、えへへ」

「……だと思うし、そんなに怒るなよ?」

「なんで疑問形なの!? ボクはれっきとした女の子だよ!」

「いや、それを認めると何かに負けた気がして……」

「何に負けるのさ!」

「何かにだよ」


 俺と夏希のやりとりに、今度は春香がため息をついた。


「いつまで馬鹿なことしてんのよ。それにしてもあんたら、高校生になっても成長する気ゼロなのね」


 偉そうに腰に手を当て、春香はジロリと睨んでくる。

 俺らは、春香とは中学三年からの付き合いだ。


 進路が同じだったこともあり、放課後はよく対戦したし、ゲームイベントがあれば一緒に回る仲だ。


「まったく、いくらあたしが美人で可愛くてスタイル抜群だからって、もうっちょっと自制しなさいよね」


 背筋を逸らし、豊満すぎる胸を張りながら、一点の曇りもない眼で昂然と語る。

 全身から迸る自信は、貴佐美とどっこいどっこいである。

 まぁ、言うだけのことはあるんだけどな……。


「うん、そうだな。お前は美人でスタイル抜群で最高に魅力的な女の子だよ。だからもうちょっとおしとやかにしような。いくらなんでも『ふんがぁあああああ』はないだろ『ふんがぁあああああ』は」


 俺が慈愛に満ちた声で説得を計ると、春香のドヤ顔に赤みが挿した。

 それから、ぷいっとそっぽを向いてしまう。


「ま、まぁわかればいいのよ、わかれば……ね」


 口の中で頬を噛み、足先はいつの間にか内向きで、背けた顔はややうつむき気味だ。


 そして、その姿をやや離れた場所から、貴佐美が満足げに観察していた。

 その表情は、妹の成長を見守る姉のそれだった。


 夏希といい貴佐美といい、春香って愛されているなぁ。

そいつ女子だよ、男子は俺だよ?


 この教室には百合の花しか咲かないの?


 一抹の寂しさを味わっていると、まるで俺の心を見透かしているかのようなタイミングで、美少女の明るい声が投げられた。


「おはよう幹明、何かあったの?」


 声の主は穂奈美美奈穂(ほなみみなほ)。

 俺の初恋の相手であり、俺の青春を真っ黒に塗りつぶした諸悪の根源だった。

 そして、今は俺の、クラスメイトである。

 

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