第35話


 咲月はベッドからお尻を離して、玄関へと向かう。


「……なぁ、それ好きならあげようか?」


 咲月はビクリと立ち止まり、小脇にがっちりと抱え込んだくまお君クッションを見下ろした。


「あら、抱えたままなの忘れていたわ、ごめんなさい。それと清史、貴方は私を馬鹿にしているの?」


 咲月は一切の感情がこもっていない、読み上げアプリ並に淡々とそう尋ねてくる。


「馬鹿にって、え?」


「私は今年で一八歳で、高校三年生に相当する年齢よ。なのにこんな、対象年齢九歳以下、来泉グループ玩具部門来泉トイズイメージキャラクターで二〇一三年三月三一日誕生以来、子供たちに絶大な人気を誇り日曜の朝七時から五分アニメが放送されスマホゲームも出ているくまお君の限定モデルシルククッションを欲しがるとでも思っているの?」



 詳し過ぎんだろが‼

 というツッコミは飲み込んだ。



「そ、そうだよな、咲月はくまお君になんて興味ないよな」

「……その、とおりよ」


 咲月はベッドにくまお君クッションを置くと、手で三モフしてから玄関に向かった。


 いつも通りの無表情で機械のように正確な足取りなのに、その背中は心なしか小さく見えた。


 無理にでも押し付けたほうが良かったかな、と思いながら、俺は咲月と一緒に医務室へと向かった。


   ◆


 医務室の坂上先生に事の顛末を話すと、最初は驚いていたが、すぐに色々と精密検査をしてくれた。


 診断結果は機械がすぐに出してくれたので、俺と咲月は長くは待たずに診察室で坂上先生と向かい合う。


「結論から言うと、高崎さんは吸血鬼になったわけではないわ。ただ、吸血鬼ウィルスの影響を強く受けている状態よ」

「それは、どういうことですか?」


 俺の問いに、坂上先生は考えをまとめるようにして額へ指先を当てた。


「そうね、単語が少し紛らわしいのだけれど、デイウォーカーである貴方の吸血鬼性が上がったのよ。ここでいう吸血鬼性というのは、超身体能力の度合いだと思って欲しいわ」


 人差し指を立てて、坂上先生は教師のような説明口調で俺らと向かい直す。


「順を追って説明すると、まず全ての生物の筋骨の性能は同じなの。骨密度や白筋赤筋とかで多少は違うけど、だいたいは同じよ。だから、より高い運動能力を得るには、その分だけ大きな筋骨が必要になるわ。なのに吸血鬼達は違う。吸血鬼の体格は人間と同じなのに、身体能力は人間の数十倍。これが吸血鬼性。吸血鬼性が高ければ高い程、生物として本来あるべき能力を超えた力を発揮できる」


「じゃあ、俺が急に強くなったのは、そのおかげなんですか?」


「その通りよ。本来の身体能力の何倍の能力を発揮できるか、この倍率は意図的には上げられない。だからハンターには体を鍛えて貰っているの。でも貴方は、吸血鬼性そのものが急激に上昇している。貴方の元々の握力が四〇キロで、デイウォーカーになったことで身体能力が二〇倍になっていたら握力は八〇〇キロ。握力を鍛えて筋肉を五〇キロ並にしたら握力は一〇〇〇キロに達する。でも、吸血鬼性が上がって倍率が二〇から四〇になったら、それだけで握力は一六〇〇キロに上がるわ」


「なるほど、でも俺、身体能力が上がるだけでなく、牙が生えているんですけど? これってつまり、俺のウィルス耐性を越えて、本物の吸血鬼になったんじゃないんですか?」


「それはないわね。人口太陽光を当てても貴方の体は燃えなかった。吸血鬼化した、というよりも、ダンピール化したと言ったほうが正しいわ。貴方の体は、咲月と似たような性質になっているの。デイウォーカーを越えた者という事で、デイランナーとでも言いましょうか。ふむ、人間の細胞と吸血鬼性の融合……高等吸血鬼並の身体能力と再生力、それに吸血能力を持ちながら太陽を浴びても燃えない体。生まれつきの融合体であるダンピールだけでなく、後天的に吸血鬼ウィルスを取り込んだ人間でも同じ結果が……でも、他の被験者にこんな結果は現れなかった……」


 ぶつぶつと思考モードに入ってしまった坂上先生の意識を、咲月が呼び戻す。


「先生、私が直接吸血したのが原因でしょうか?」


「ん? あ、ああそれなら関係ないわ。だってハンターたちに投与した吸血鬼ウィルスは、元々咲月の体から生成したものよ。二度噛みやウィルスを大量に投与して吸血鬼性が上がるなら苦労はしないわ。高崎さんの場合は、生まれつきの体質か、でなければ、精神的なものかもしれないわね」


「精神的なもの……」


 そう言われて、俺は後ろめたい気持ちになる。

 ここ最近の精神的な変化と言えば、咲月に対して邪な感情を抱いた事だろう。


 万が一にも、性的なホルモン分泌が関係している、とかだったら、本当に死ぬ程恥ずかしい。


 いや、それはないだろう。

 もしもそうなら、咲月に対して恋愛感情丸出しの、オタク系グループの連中なんて、速攻で牙が生えているはずじゃないか。


 自分にそう言い聞かせて、俺は平静を保った。

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