第31話


 最後まで聞いて、俺は刀の柄を潰さんばかりに手に力が入るのを感じた。


 俺も人間だ。

 ハンターになる前だって、どれだけ冷めていても人間だ。


 何度も怒ったし、イラついたしムカついた。


 むしろ、子供の時にムカつくことが多すぎて、でも自分がどれだけ怒っても、どうにもできない事を知っているから、いつの間にか怒らなくなったのかもしれない。


 小学六年生の頃、クラスメイトが自殺した時もそうだった。

 人が死んだ実感なんてない。

 転校したとか、ずっと学校を休んでいるような感覚だった。


 それでも、先生の話を聞いて、もうあいつが学校に来ない事、死んだ事を実感しないまま、理解した。


 それで思った。

 人一人が自殺するほどいじめるなんて、どれほど悪逆な性格ならできるんだろう。


 当時十一歳だった俺は、凄く嫌な気分になった。


 なのに、あいつらは反省するどころか、自殺したことをネタのようにして笑いながら楽しんでいた。


 学校側はいじめの事実を隠蔽して自分達の不祥事を揉み消した。

 俺とは別の生徒が、いじめの事実を証言したが、裁判所はいじめと自殺の因果関係を証明することができないからと、学校側を無罪にした。


 自分達の楽しみで人を自殺に追い込むほどいじめる生徒達。

 保身の為に死んだ生徒の苦しみを黙殺する学校の教師達。

 その教師達をかばい、生徒の証言を無視する裁判官達。


 この頃の俺は子供だったけれど、子供ながらに思った。

 それは嘆きとか憤りとか、そんな単純なものじゃない。


 今の日本語では的確に指し示す単語がない感情で『理不尽がまかり通る世界への感情』としか言えなかった。


 でも、俺がどれだけ何を思おうと何も変わらなかった。

 思い出した……あの時に、俺は怒るのは無駄だと学んでしまったんだ。


 そもそも、この世界は誰かの感情の影響を受けるようには出来ていない。

 だから中学も、高校も、大学も、会社でも、何が起きても、あーそうなんだ、ふーんそうなるんだ、なるものは仕方ない、と流してきた。


 感情的になる連中を見て、ガキっぽいと冷めた目で見てきた。


 でも、十九年ぶりに、俺はあの日本語にできない感情とよく似た感情に支配されていた。


「ふざけんなよ」


 俺が刀を押し込むと、ジャガーノートの顔色が変わる。

 二本の指で押さえていた刀身を、掌全体で受け直して、眉をひそめた。


「いままで学校でも会社でもクズ野郎なんざ飽き腐るほどに見てきたけどな、その中でもテメェが一番カンに触るんだよ! このクソ野郎がぁああああああああああ‼」

「ッ!?」


 俺の刀身が、ジャガーノートの手を裂き、腕を裂き、白刃は一気に肘まで通り抜けた。


 骨と筋肉を通り抜ける感触が終わると、ジャガーノートの右腕の片割れが地面に落ちた。


 同時に、咲月が連射した弾丸が、残らずジャガーノートの喉を抉った。

 ドーントレスの極太の首と違って、ジャガーノートの首は細い。


 ダメージの残る今なら、咲月の一刀で首を刎ねられそうだった。


 勝った。

 そう確信した直後、俺にアスファルトが迫っていた。


「え?」


 ずしゃり、と音を立てて、俺は倒れていた。

 ジャガーノートへ刀を構えて踏み込んでいた咲月は立ち止まり叫ぶ。


「清史‼」


 足を引っ張ってしまった。

 俺に構わなければ、咲月はジャガーノートの首を刎ねられたかもしれないのに。

 と瞬間的に思いながら、自分の体の異常に意識が押し出されそうだった。


 息が荒い。

 疲労感が尋常じゃない。

 俺の体を支配する疲労感は底なしで、無尽蔵に膨張をつづけた。

 いくら息を吸っても、ずっと息を止めているように苦しい。


 心臓の鼓動が脳みそまで響いてくる。


 心臓が痛い。

 心臓が破裂しそうだ。


 咲月の声が遠くなっていく。


 全身が燃えているように熱くて、熱と疲労の限界を超えた、何か知らない向こう側へと投げ出されてしまいそうな恐怖感を押し殺すように、歯を食い縛るしかなかった。


 でも、それも限界だった。



 そして………………俺は、吸血鬼の顔面をぶっ飛ばしていた。



 ジャガーノートと俺の間に割って入ってきた吸血鬼の顔面を、俺の右拳が貫通していた。


 吸血鬼は即死だろう。

 アスファルトの上で首から下だけが、陸に打ち上げられ放置された魚のように跳ねている。


 殺したい。

 コイツはいちゃいけない。

 だから、殺そうと思う。


「˝あぁあああああああああ唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖‼‼」


 俺が再度ジャガーノートに殴りかかると、側近の吸血鬼達が次々跳びかかってきた。


 だから顔面を殴り潰して、胴体を蹴り千切って、頭をつかんで、ジャガーノートに石のように投げつけた。


 邪魔だ。

 とにかく邪魔だ。

 そいつを殺せないからどけろ。


「ジャガァアノォオオオトォオオオオオオオオオオオオオオオオオ‼‼」

「ッ、相手をしよう」


 俺の拳が、ジャガーノートの再生した右手に受け止められる。

 それでも構わず、拳を、足をブン回して、ジャガーノートに叩きつけようとする。


 ジャガーノートは真剣な顔をしながら両手で受け止めて、逆に俺の顔面にジャブを打ち込んできた。


 だからその拳に噛りつくと歯が折れた。代わりに向こうの拳は肉が抉れて白い骨が見えていた。


「今日は、あくまで査定なのに、面倒なことだ」


 ふざけるな。

 何が面倒だ。

 てめぇはここで――死ねばいいんだ‼


「蛮族が」


 突然視界が消えた。

 いや、どうやら両目を突かれたらしい。

 続けて、頭をつかまれてねじられて首からおかしな音がした。


 首の骨を折られたんだと思う。

 体が動かなくなって、アスファルトに転ぶ感覚だけがあった。


「ふん、やはり、バーサーカーの対処法は、昔からこれに限る。では、失礼させてもらうよ、十六夜咲月。君以外にも戦力があって良かったよ。でないと、余興にならないからね」


 ジャガーノートの冷徹な声。それから咲月が何かを叫んでいた。

 でも、俺はこれ以上、何も聞こえなかった……。

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