第50話 クトゥブ・ナイール・アル=アッタール

 その知らせを受けた時、クトゥブは喜びよりも安堵の息を洩らしていた。

「……娘と街の事は引き続きヤークートとカターダに任せると伝えてくれ。それと感謝も」

 伝令が一礼して借り上げた民家を出て行った。


 クトゥブは動かなかった。茫然としたように扉を見つめ、細長い息を延々と吐き続ける。

「……良かった」

 呟き、クトゥブは眼を瞑った。ややあって開け、隣に控える大柄の青年に声を絞り出すように話しかける。


「想定外はあったが、ここまでは上手くいったな。改めて礼を言う。カイロからの穀物輸送の任、良くぞ果たしてくれた。あれだけ用意できれば高騰した値も元に戻る。重要とはいえ退屈な任だったろう。許してくれ、イフラース」


 イフラースと呼ばれた青年は表情を動かさず、声にすら感情を乗せずに答えた。

「いえ、アミールの力になる為にマムルークになったのですからお気になさらず」

「そう言ってくれて助かるよ。ナーディヤが総督の手を離れた今、残る問題はイルハンの兵だけだ。しかしこれも斥候程度で、率いる将もサイード殿だと確認が取れている。まだ早いが、なんとか片が付いたな」

「おめでとうございます」


「そうだイフラース」

 クトゥブは表情を緩めた。

「見つかったかもしれないぞ。それもダマスクスの街にいるかもしれない」

「マリードがですか?」


「ああそうだ。少なくとも私はそう確信している」

 クトゥブは笑みを浮かべるが、イフラースは眉をひそめた。

「マジュヌーンの死骸の回収を命じていたリズク教団からそのような報告はありませんでしたが」


「リズク教団はあくまで協力者だ。彼らの目的は世を乱すジンの討伐であり、ついでにジンの死骸を融通してくれていたに過ぎない。私の言う事を聞く部下ではないのだからいちいち報告はしてこないよ。それにおそらく、彼女たちは私に隠し事をしている」


「何か根拠でも?」

「彼らはジンやマジュヌーンを排除していた。その多くはホーエンハイムが廃棄せずに横流ししていた失敗作に由来する偽物らしいが」

 イフラースが溜息を吐いた。

「困ったものです」


「元を辿れば私の咎だ。しかし気になるのはホーエンハイムの件を抜きにしても、ここ最近リズク教団が届けてくるマジュヌーンの死骸が多すぎるという点だ。故に思うのだ。マリードに匹敵するジンがダマスクスの街に潜伏しており、部下のジンたちを呼び寄せているのではないかとな。実際、報告に上がってくるマジュヌーンの目撃情報の中には、一介のジンでは起こせないほどに強力な力の痕跡が散見される。秘密主義の彼らであれば、マリードの存在を隠していてもおかしくはあるまい」


 イフラースは曖昧に答え、肯定も否定もしなかった。

「さあ出発しようか。万が一に備えてリズク教団も呼んでいる。そこで真実を確かめ、一刻も早くアル=イクシールを完成させなければ」

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