第44話 ハラーフィーシュのスルタン
アスワドが笑い続けていた。スルタンとマジュヌーンが潜む民家にリヤードたちマムルークが突入しても、その笑いはとどまることを知らない。
「いい加減静かにしろ」
「いやいや、あのマムルークの顔を思い出すとな。やっぱり人間ってのはああじゃないと」
戦闘音が響く。マムルークの低い声にマジュヌーンの高い声が重なり、ともすれば狂乱に興じているようにも聞こえてくる。そして、炎が消える寸前のように一際激しくなった。
そろそろ決着がつく。俺は曲刀を抜いてその民家に入った。
中庭で四人のマジュヌーンと二人のマムルークが戦っている。マムルークの方はよく戦っているが二人とも満身創痍だ。俺は前に奪っていた弓を構え、マジュヌーンの一人に矢を放った。
久々の感触だった。遅れて破裂音が鳴り響く。
残るマジュヌーンが俺に視線を寄越す。その隙を、マムルークたちは見逃さなかった。マジュヌーンの一人が斬り殺され、さらに一人の腕が落とされる。俺は二の矢を番えた。反撃でマムルークが二人とも炎に包まれ絶叫する。俺は即座に矢を放った。
五体満足のマジュヌーンの頭部を貫いた。残るは片腕を失ったマジュヌーンのみ──俺は駆けた。曲刀に持ち替えながらマジュヌーンの懐に潜り込み、残った腕を斬り落とす。さらに前に出た。マジュヌーンを突き飛ばし、壁に押し付け力づくで拘束する。
「退け、焼かれるぞ!」
アスワドが言ったと同時に俺は跳び退った。
瞬間、目の前に炎が立ち昇った。マジュヌーンがジンの力で自らを燃やしている。密着すれば燃やされないと思っていたが、俺の想定が甘かった。炎はのた打ち回るマジュヌーンを容赦なく焼き、異様に濃い煙が揺らめいた。
「一緒に死にやがった。やだねえ……ほんとに同じジンかよ」
残った一人にスルタンが吐いた情報を聞こうと思っていたが予定が崩れた。俺は辺りを見やる。中庭だけでなく周囲の部屋にも死体が転がっている。マジュヌーンはともかくマムルークの半数以上は焼死体で顔が分からない。俺は一つ一つの部屋を見て回り、それに気付いた。
四肢を失った死体かと思えば息がある。寝かされた体躯は立派だが顔はどこにでもいそうな中年の男だ。良く見れば四肢の断面は焼いて塞がれ、それ以外にも同じように処置された傷や純粋な火傷が無数にあった。
「……てめえが来るとはな、カラジャ」
ハラーフィーシュのスルタンの声だった。片目も潰され、舌を斬られたのか呂律が怪しいが、その表情だけは何事もなかったかのように平静を保っていた。
「バケモンかよ」
アスワドが遠慮なく声を出すと、スルタンは微かに眼を見開いた。
「そうか……てめえもマジュヌーンだったのか」
そこで短く笑う。
「まあなんでもいい。欲しいのはハシシか?」
「その前に、新種のハシシの在処や出所を話したか」
「俺は新種のハシシの中でも上等なやつを飲んでてな。拷問されようが何しようが何も感じねえんだよ。そのせいでこんななりになっちまったがな」
そうそう上手くはいかないか。リズク教団に新種のハシシの情報が渡ってないだけマシと思うしかないだろう。しかしどうやって口を割らせるか。
「新種のハシシはどこから手に入れた」
「その前に聞かせろよ、カラジャ。お前はそれを知ってどうする?」
風向きが変わった気がした。
「……俺が独占する」
「してどうする。キメて気持ち良くなりてえのか?」
「ばら撒いて偽マジュヌーンを量産して、この街を襲わせる」
「何の為に?」
「殺したい奴がいる。偽マジュヌーンはその為の陽動だ」
「……堪んねえな」
スルタンが自嘲気味に笑った。
「その為なら街がどうなろうが構わねえってか。大勢が死ぬぞ」
「俺には関係ないことだ」
「ほんと……堪んねえな」
今度はため息交じりに笑う。
「……しょうもねえ小悪党だったと思い知らされるぜ。ハシシキメて気持ち良くなって良い女抱いて、大金稼いでムカつく奴ぶっ殺して、俺が考え付く事なんてその程度だったっていうのによ」
スルタンは眼を閉じ、深々と息を吐く。その顔は疲れ切った中年そのものだ。頭髪は薄くなり皺も目立つようになり、生物としての衰えが隠せなくなっている。
「……新種のハシシはあるルーム人が作ってる。俺はそいつの代わりにハシシを売り捌き、売り上げの一部を渡してた」
ルーム人──俺の故郷の西方に住む連中だ。俺も何度か会ったことがある。この地にもルーム人がいないわけではないが、大した影響力は持っていない筈だ。
「そいつが黒幕か」
「そんな上等なもんじゃねえ。ただの錬金術師だ。俺が何してるかなんてあいつは知らねえよ。俺もあいつが何してるかは知らねえ、というか言われても分からなかった。何かを作ってるらしくてな、新種のハシシはそのできそこないだそうだ」
錬金術師か。聞いたことはあるがよく知らない。それに急に知らない情報が増えた。ルーム人がわざわざ異国で何かを作ろうとしている。ただの偶然なのか。
「どこにいる」
「市内の北東に異教徒が住む街区がある。そこでホーエンハイムって豚男を探せ。胡散臭え分知らねえ奴はいねえ」
場所は分かる。何か問題が起こったとしてもクトゥブに仕える奴隷として振る舞えばどうとでもなるだろう。
「カラジャ、最後に頼みがある。俺を殺」
そこでスルタンは言い淀んだ。
「いやなんでもねえ。早く行けよ」
「そうか」
俺はスルタンの眼に曲刀を突き刺した。眼孔を貫いた刃は骨を割り、脳を潰す。
それで即死の筈だった。しかし新種のハシシの影響は強く、スルタンは生きていた。顔や首が痙攣し、無い筈の四肢を動かそうと胴の筋肉が収縮する。俺は曲刀を抜き、スルタンの首に刀身を当てて峰に足を乗せた。
「死にたくねえ……俺は……まだ」
体重を乗せて首を落とした。頭と胴体が離れればさしものスルタンも大人しくなった。アスワドが嬉しそうに口笛を鳴らす。
「殺したな?」
「新種のハシシの出所を知るのは俺だけでいい」
「俺は?」
「下らない事を聞くな。お前もそろそろ身の振り方を考えておけ」
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