第41話 戦いに備えて
「きな臭えとは思わねえか、カラジャよお?」
襲撃の指示を出しに来たハラーフィーシュのスルタンがそう言った時、俺は点検するふりをして曲刀に手を伸ばしていた。
「かなり前からこの街はそうだ」
「……てめえは気付いてねえのか。最近マムルークの動きが臭えんだよ。治安維持に見せかけて何かを嗅ぎ回ってやがる」
「俺たちを嗅ぎ回っていたとして、それがなんだと言う」
住宅の陰に潜んで月明かりから身を隠すスルタンは、仮面の奥で短い笑いを洩らした。
「俺は延々と戦い続けるほど馬鹿でも暇でもねえってことだ」
危惧していたまずい状況だ。スルタンが身を晦ませる可能性が出てきた。
この男は口調とは裏腹に尋常でないほど慎重だ。未だに俺に素顔を見せず、マムルークが関わるハシシにも手を付けず、あまつさえ俺に偽マジュヌーンを率いさせておきながら、女マジュヌーンの母体であるリズク教団は放置している。
まさに保身の塊のような男だ。俺に精鋭部隊を任せたのも、矛というより盾としての役割を求めたのが本当のところかもしれない。
この場でスルタンの身柄を押さえるか──頭に浮かんだ瞬間に否定する。
かなりの実力を持つ偽マジュヌーンのスルタンを生きたまま捕縛できるかは動いてみないと分からない。仮にできたとしても俺にスルタンの口を割らせる術はなくリヤードに頼るしかないが、俺が求める情報をリヤードがすんなり渡すとも思えない。
どうにかして次に会う機会を作り、それまでに準備を整えて一気呵成に決着をつける。粗くはなるがそれしかない。
「リズク教団のマジュヌーンがマムルークを襲っていただろう」
「まあそっちを探ってる可能性はある。だが時期がどうにも合わねえ。それにリズク教団を潰してえならハーンカーを襲えば良い。こそこそ嗅ぎ回る必要がどこにある? 俺を探ってるとしか思えねえな」
「逃げるのか」
「何?」
スルタンが住宅の陰から足を踏み出した。
「別にマムルークを殺しまくっても良いぜ? で、その先に何がある? 儲かんのか? 良い女が抱けんのか? 殺し合いがしてえなら戦場に行けば良い。馬鹿は勝手に死んどけって話だ」
ここまで成り上がっただけあって流石に冷静だ。これなら説得はできそうだ。
「少なくとも、面目は立つな」
「誰に対する?」
「世間だ。マムルークに眼を付けられた途端に尻尾を巻いて逃げた奴に、誰が従いたいと思う。先々で笑い者にされて終わりだ」
言いながら、俺はさりげなく曲刀の柄をさする。その仕草の意味に気付いたのかどうか、スルタンが全身を月明かりに晒した。
「マムルークどもの鼻っ面ぶん殴らねえと気が済まねえのか、カラジャ」
スルタンを逃がすわけにはいかない。しかしあまりにも好戦的な人間だと思われれば、それはそれで付き合いきれないとスルタンが逃げ出す恐れもある。
「俺も俺で守るものがある」
「……まあ、てめえの言う事も一理ある。俺だってマムルークのクソッタレ共に良い顔されんのはムカついてしょうがねえ」
妙な間が開いた。スルタンが何も話さないのを見て俺が話を続ける。
「組織を一つに纏めるべきだ。マムルークに先に動かれれば確固撃破される」
「なるほどな……」
ようやくスルタンが一言絞り出した。その魂胆は分かり切っている。
俺が望みを口にするのを待っている。スルタンの方から迂闊に聞き出そうとすれば顔色を窺っていると俺に侮られるかもしれない、そう思っているからだ。総じてスルタンは配下に弱みを見せたくない節がある。
「組織を纏めてマムルークの初撃を跳ね返す。それで互いに面目が立ち、また別の場所で荒稼ぎできる。マムルークが俺たちを探っていればの話だがな」
「……今日の襲撃は無しだ。次に備えておけ」
そう言ってスルタンは住宅の陰に戻り、そのまま夜の闇に消えた。
釘は十分に刺した。逃げはしないだろう。マムルークの動きが確定していない今、スルタンが逃げればそれだけで後ろ指を指される。時間は稼げたと思って問題なさそうだ。
俺はリヤードに会って手筈を整えた。美味い部位を渡すつもりはないが、リヤードの力も必要になる。だが、それだけでは足りない。
俺は翌日になってサービトとしてリズク教団の修道場を訪ねた。以前助けられた恩に報いる為と称して、近々マムルークがハラーフィーシュを掃討するという噂を耳にしたとして外出は控えるよう忠告した。
これまでの動きから、俺とリズク教団の目的と考えている事は同じだと思って良い。スルタンを捕まえる力はあるが、万が一を考えて新種のハシシの出所を唯一知るスルタンに対して強硬手段には出られない。だから組織に潜入して情報を得ようとしていた。
ミシュアルが死んだ今、リズク教団は小休止を強いられているだろう。だからこそ掃討の噂を流せば必ずリズク教団は動き、スルタンとマムルークの間で戦闘が始まれば必ず介入してくる筈だ。
「マジュヌーン共を引っ張り込むのは反対だな、俺は」
アスワドの声がいつもより硬い。
「他のザコ共は別にいいぜ。でもあのマリードだけは駄目だ」
遠くから肌で感じたマリードの威圧感は鮮明に思い出せる。全盛期の俺でも厳しい戦いになるだろう。だが、それがどうした。
「不満なら俺から離れろ」
「見えなくなるぞ」
「ボズクルトを殺せればそれでいい」
目的はあくまでもボズクルトだ。どれだけ状況が混沌としようがそれだけは変わらない。
「そうかい……ま、好きにしなよ」
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