第32話 駆け引き

「遅い」

 久しぶりに会ったリヤードはえらく不機嫌だった。ところが夜を食らうように大欠伸をするのを見て、ただ眠いだけなのかもしれないと考え直す。


「どう、最近」

 声がぼやけている。やはり眠いようだ。それでいて時折俺の手足や腰に視線を向ける辺り、戦士たるマムルークの本能は起きているらしい。


「組織から追い出された。また潜入の手筈を整えてくれ」

 リヤードの眼がすっと細くなった。

「何があったのか話しな。まずはそこからだ」


 俺はミシュアルの存在を伏せてそれ以外の事を伝える。隊長を尋問して殺し、おそらくそれが理由で戦闘部隊ごと潰された。組織構造もそのまま明かした。


「なるほどなるほど、状況は分かったよ。ただ──」

「──ボズクルトはどうなった」


 開きかけた口を閉じ、リヤードは口角の片側を持ち上げる。

「そう急かすなって。まずボズクルトって名前の奴はいない。俺やお前と同じように別の名前を主人から与えられている筈だ」

「勿体ぶるな」


「だから調査中ってことだよ。急くなって。ボズクルトなんて名前を知ってる奴は多分本人だけだ。見た目だって元々曖昧な上に似たような奴はいくらでもいる。そう簡単に見つからないさ」

 そう言われては追及できない。それに必死だと思われて足元を見られる恐れもある。

「で、もう一度組織に潜入したいんだったな。勿論可能だ。でもタダってわけにはいかない。こっちもそれ相応のものを払うんだ。そっちも対価を払ってもらう」


 こうなるのは眼に見えていた。

 クトゥブに正体を知られたくないという弱みをリヤードに握られている以上、俺の立場が圧倒的に弱い。その上隙を見せてしまえば胸糞悪い状況が待っているのは当然だ。


「……俺が潜入する。お前が補佐をする。それが条件だった筈だ」

「補佐はした。でもお前は失敗した。そうだろう? だったら対価を払うべきだ。それとも俺にタダ働きしろっていうのか?」


 俺の調査結果は渡している。俺が距離を置いていたのが原因の一つとはいえ、最初の潜入以降仕事をしていないのはリヤードの方だ。組織を追い出されたという一点のみで食われるわけにはいかない。俺はすぐさま身を翻した。


「それならここで手を切らせてもらう」

「ボズクルトは良いのか?」

「調査の対価を払え。話はそれからだ」


 下らない取引だ。リヤードとて本気で主張が通るとは思っていまい。適当に粉を掛けて成功すればおいしい、その程度の考えでたかってきただけだ。この男の性根はそこいらのごろつきと変わらない。


「まあ待てって。言われてみればお前の言うとおりだ」

 ここで本当に手切れにした方が却って良い結果になるかもしれない。そう思って振り返るか迷ったが、ボズクルトのことがある。俺は結局伝手を残すのを優先した。

「もう一度俺を潜入させろ」


「分かった分かった、タダでする。その代りに一つ頼まれてくれよ」

 心底嫌になる。この後に及んでありもしない恩を着せ、それを返させようとしてくる。

「貸しなら引き受けよう」

「ボズクルトの情報と引き換えなら?」

 言って、リヤードがにやりと笑う。喜びより苛立ちが勝った。


「……内容は」

「お前は調査結果の報告を怠っていた。俺と手を切ろうとしてたんじゃないのか?」

 俺は何も答えなかった。リヤードは構わず話を続ける。

「言ったらお前はそのまま逃げるかもしれない。先に用事を済ませろ。そうしたら教える」


 全てが後手に回っている。しかし俺の立場が弱い以上どうしようもない問題だ。

「報告するような有益な情報がなかっただけだ。俺もいちいち報告するほど暇ではない。今ここで無意味に揉める暇もな。用事というのは何だ」


「幹部の一人を攫ってくれ。今度は売人の方だ。俺が拷問する」

「しても無駄だ。それにこれ以上スルタンを刺激すれば色々と支障が出てくる」

「お前の尋問じゃ信用できないんだよ。幹部が不届き者について知らないわけないだろ、普通に考えて。俺が本当の拷問ってやつで聞き出してみせる」

「危険を負うのは俺だ。しかも無意味な危険だ。攫いたければ自分でするといい」


 リヤードの眉がぴくりと反応する。そして、感情を無理に抑えたような不敵な表情を浮かべた。

「バラしてもいいんだけどな」

「……何をだ」

「俺はアミール・ターリクに自分の行動を知られても、成果を独り占めできなくなってちょっと困るだけだ。対してお前の行動を知ったアミール・クトゥブはどうするだろうなあ」


 本格的に脅迫してきたか。今まで立場の違いを言及していなかったのに、ここに来て急に俺たちの関係性を変えてきた。それだけ幹部の身柄が欲しいのだろう。それと引き換えなら、俺は捨石にして良いと思われた。


 思ったより早かった。というより俺はその程度の評価でしかなかったという事か。こうなれば俺もリヤードと手を切るしかない。

 だが、まだ駄目だ。リヤードは自分が殺されても良いように俺の正体を控えてあると言っていた。それを始末するのが先だ。


「幹部の居場所は分かっているんだろうな」

「勿論、案内するよ」


 すぐにその場所に向かい、幹部が下っ端に新種のハシシを渡している現場を襲撃した。下っ端は殺し、幹部を縄で縛って連行し、空き家で待機していたリヤードに引き渡す。

「ボズクルトの情報を寄越せ」

「ない」


 無意識に腰に下げた曲刀に手が伸びていた。リヤードもにやけ面で自分の曲刀の柄に触れる。

「バラしても良いんだよ? いいから黙って俺の為に情報を集めてな」


 今さら怒りは沸いてこない。なんとなくそうなるだろうと思っていた。リヤードはチンピラやごろつきの類だ。死ぬまで俺をしゃぶり尽くすつもりだろう。俺は曲刀から手を離した。

「……潜入の手筈は整えておけよ」


 リヤードが無言で笑う。同意を求めるように縛られた幹部の肩を叩き、俺を嘲笑うように顎をしゃくってくる。俺は無視してその場を立ち去った。

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