第25話 美しき魔界

 七色の葉がモザイクのように覆う天井

 左右の木々が連なる壁には木目地に魔界の蔦や苔が覆い赤青緑が塗りたくられる。

 色の洪水が水面に煌めき過ぎ去っていく中を波紋を描いていく。

 沢と言えば緑に囲まれ岩棚を清らかな水が流れていく心安らぐ空間を連想するが魔界の沢は一味違う。煌めきに心が沸き立ってくる。

 魔木に囲まれて作られたトンネルは広々としていて屈むこと無く進めていける。だが水底の岩は滑らかで滑り易いので足を滑らせないように地味に一歩一歩踏み締めて進んでいく。

「ふん、ふん」

 重く進む男二人を尻目に鼻歌交じりにナァシフォは水面から飛び出た岩の上を小鳥の如くぴょんぴょん踊るように飛び跳ねていく。

 若いだけ合ってこの煌めく空間に当てられて浮かれているようで、よく見ると違うことが分かる。ナァシフォは水の中に足を入れないことで水中からの奇襲を受けにくくしつつ先行して水中に危険な魔物が潜んでいないか偵察しているようだ。足手纏と言われたことを気にしているのか役に立とうとしている姿がいじらしく、守るべき姫様が俺達より先行するなんて本当は辞めさせたいが何も言えなくなる。

 我ながら甘いと思うがしょうがない。それに多少は試練を与えないと人は成長しない。姫様には一皮剥けるのを期待している。何があったら俺がフォローすればいいと楽観的に考えることで好きにさせることにした。

「ん!」

 調子よく進んでいたナァシフォは突然立ち止まって耳を澄ます。

「どうした?」

「魔鳥の囀りが聞こえてきます」

 ナァシフォは目を瞑り耳を澄まして聞き入る。

「綺麗な歌声」

 ナァシフォは魔鳥の囀りに合わせるように岩の上で踊りだす。

 魔鳥の囀りはたしかに美しく聞く者を虜にする。安全な町中でなら酒を嗜みつつ鑑賞をしたいところではある。

「あんまり意識を向けて聞くなよ。三半規管がやられるぞ」

「分かってますよ」

 ナァシフォは部屋の掃除をしろと小言を言う母親に向けるように答える。

 たくっ。

 魔鳥のその美しい囀りに聞き惚れていると三半規管が狂わされまともに歩けなくなる。そこを魔鳥が襲い掛かってくるのである。魔鳥の巣に挑むなら特殊な耳栓は必須である。

「視認出来ませんな。出来れば仕留めてしまいたかったですね。

 あの囀りは厄介な上に食うとうまいですし」

 てんぷらが囀りがする方を見るが魔木に遮られ姿は見えない。残念そうな顔をするてんぷらだが同感である。うまいもんな魔鳥の焼き鳥、今夜の酒の肴にしたい。

 しかしまあ俺もてんぷらもこれからオオクニヌシに近付くというのに晩飯のことを考えるとは図太いもんだ。

「ここでは魔鳥の囀りも効果は薄い放っておこう」

 魔鳥の囀りも密集した魔木で遮られ水の音のノイズもあるのでそこまで効果はない。寧ろ地味な沢登りの丁度いいバックミュージックになる。

「ナァシフォもあんまり注意散漫に成るな。折角ここは大型の魔物が強襲してくる可能性は低いんだ。水の中に潜む魔物への警戒を怠るなよ」

 このトンネルの途中から外に出るのは困難だが逆に外からもこのトンネル内に入るのは困難であり、外から大型の魔蟲や魔獣が強襲してくる心配は少ないのでそちらへの警戒は薄くていい。出入り口から入ってこられたら、それはもうしょうがない腹を括って戦うだけだ。

「は~い」

 ナァシフォは再び上から魔魚が水の中に潜んでないか警戒しつつ岩から岩から飛び跳ねて行き、俺達も歩き出すのであった。


 暫く順調に進んでいたが、再び先頭を行くナァシフォの足が止まった。

「蝶」

 一羽の魔蝶がナァシフォの前方を飛んでいた。

「お前綺麗ね」

 七色に煌めく羽で蝶が舞う。ナァシフォはその舞に魅入いっているばかりか止まれとばかりに指を出し、差し出された指に蝶は羽を休める。

「てんぷら」

「はい」

 俺とてんぷらは素早く周囲の警戒に入る。天井の葉などに擬態している可能性もある目を凝らして探る。

 沢を流れる水音と魔鳥の囀りの合唱が響いていく。

 二人で四方を警戒するが、どうやら魔蝶はナァシフォの側を飛ぶ一羽だけのようだ。

 群れから逸れたか。

「ふう~」

 あれは魔蝶のナナイロモツヤクだ。群れを成してその美しい羽の群舞で獲物の警戒心を解き解して近付き、毒の鱗粉で弱らせると一気に獲物に集り体液を吸い尽くす。

 俺も見たことがあるが初見で群舞に心を奪われない者はいないだろう。俺も一人だったらミイラになっていたかもしれない。あの時は頼れる先輩がいたから助かった。

 だが一羽だけでは脅威は少なく鑑賞するのにちょうど良く。好事家の金持ちが魔界ハンターに賞金を出して採集させて飼っていたりする。

「じゃあね」

 ナァシフォが指を上げるとナナイロモツヤクは飛び去っていく。緊張が解けた俺とてんぷらは裏では食うか食われるかの関係ながらその牧歌的な光景に暫し心を癒やす。

「てんぷら、あとどのくらいだ?」

 緊張が解けた俺はてんぷらに確認する。

「半分くらいですかね。この沢を更に登っていくと崖に囲まれた滝壺があります。ヒノツジノカミは普段はそこにいます」

「そうか。

 ならここらで一旦休憩にするか。ずっと水の中に足を入れているとふやけそうだ。どこか適当な場所はないか?」

 沢を見上げても迫り上がっていく沢が見えるだけで滝壺とやらは見えやしない。ここまで一時間は登っている。普通の山登りなら一時間程度なんてこと無いが、ここでは常に水の中を歩いている。更に魔物への警戒。気付かない内に疲労が蓄積されている可能性が高い。急ぐ必要もなくオオクニヌシに万全の体制で挑む意味でも休息は必要だな。

「そうですね~、ずっとこんな感じですが、そういえばこの先に比較的大きな岩がありましたな。そこなら水から上がって三人座れます」

「じゃあ、そこに着いたら休憩にしよう」

 暫しこの美しい光景を眺めながら携帯している干し肉を食べるのもいいな。酒は流石にまずいか。

「そうしますか」

「はい」

 再出発するという矢を番え弓を引き直すという緩んだ緊張をこれから張り直すという間であった。

 !!!

 俺とてんぷらは頭で考える前にその場から飛び退き、ナァシフォが一人取り残される。

 ちいっ油断した。ナァシフォを放って本能に従って動いてしまった。だから俺は護衛に向かない。

「ナァシフォ退避しろ」

「えっ」

 慌ててナァシフォに逃げるように言うが遅かった。取り残されたナァシフォの足元の水面が盛り上がったかと思えば、あっという間にナァシフォの背を超えるほどの波が湧き上がり飲み込んだ。

「アメムシっ!!!」

 アメムシは透明のゼル状の魔物。その体の透明性を活かして溶け込むようにして水底に潜み、獲物が近付くと一気に襲い掛かる。

 今回は特に水面がキラキラと光りを乱反射するので見付け難く、俺もてんぷらも目視ではその存在を察知できなかった。だが僅かにアメムシが獲物を察知して襲い掛かる違和感を感じ取り反射で飛び退った。俺やてんぷらとナァシフォとの経験の差が如実に出た結果だ。

 これだから魔界は怖い。護衛が幾ら強くても守り切れない。ある程度力がある者でなければ踏み入る資格はない。分かっていてナァシフォを連れて来た俺の責任だ。

「ちっ」

 ナァシフォを飲み込みんだアメムシは蕾状に自らの身体を捻りながらナァシフォの体を雑巾のように絞りつつナァシフォの穴という穴から内部への侵入を試みる。

 その様子は透明なので克明に見える。

 ナァシフォは必死になって歯を食いしばり鼻をを抑え耳を塞ぎ下半身を守る。脱出どころか体への侵入を阻止するだけ手一杯の様子。だが内部への侵入を防いでも刻一刻と体は拗られ口から泡が絞り出されていく。

「どうしますか、旦那」

 てんぷらはいつの間にかその手に筒状のものを持っていた。流石マカイビトだ用意がいい。アメムシ対策の火炎弾だろう。

 ゼリー状の体は切断しても直ぐに元通りくっつき。打撃も吸収してしまう。そんなアメムシに有効なのが火炎で細胞ごと燃やしてしまうことである。ただそれが分かっているわけではないだろうがアメムシは基本水辺に生息して火炎が効きにくい場所にいる。半端な火炎弾では水に潜られすぐに消されてしまう。仮に強力だとしても飲み込まれているナァシフォごと燃やしてしまう可能性がある。そうでなくとも下手に暴れられてナァシフォの体が砕かれてしまう可能性もある。

 爆弾で粉々に吹き飛ばしてしまい元に戻るまでに逃げるという手もあるが、これもナァシフォが飲み込まれている以上絶対に使えない。

 アメムシとの戦いは先手で発見し仲間が飲み込まれる前に行動をするのが常道で、仲間が飲み込まれた場合は犠牲を覚悟する必要がある。非情だがそれが魔界に踏み入った者の覚悟。

 だが俺に逆は合ってもナァシフォを犠牲にする覚悟はない。

 手を考えている間にもナァシフォは透明な塊の中で藻掻いている。藻掻くたびに口から泡が溢れ、顔色は死期色に近付いていく。ナァシフォの抵抗していた手の動きも弱くなる。このままではナァシフォの穴という穴からアメムシが入り込み内側から消化されてしまう。そうでなくても窒息死するだろう。

 ナァシフォの弱まっていく姿。

 あの光景が脳裏に蘇っていく。

 全てが燃えて仲間の血で大地に赤く染まり、世界全てが赫灼に染まった光景。

 恐怖で視界が真っ赤に歪みそうになる。

 駄目だ。逃げるな。事態を冷静に受け入れろ。

 あの光景を二度と見ない為に俺は魔道士となり旅に出たんだろ。

 視界の歪みは治り、苦しむナァシフォの顔を事実として冷徹に見る。

 やるしか無い。

「俺がやる。失敗したら次策は頼む」

 俺は静かに気を高めつつ番傘を構える。

「了解しました」

 てんぷらが固唾を飲んで俺に託す。

 ここがこんなトンネルでなければ魔木に登って稼げるんだが、・・・。ここからの踏み込みだけでは威力が足りないだろうが、その分は手数でカバーするしかない。

 俺はアメムシに向かって突進する。

「ヨロイドマリ」

 渾身の踏み込みから放たれるヨロイドマリだが重力加速が乗ってないのでやはり威力はイマイチでアメムシの軟体の体の表面を少し破砕するだけだった。ナァシフォが露出するにはまだまだ及ばないどころか、すぐさま再生が始まる。

「ヨロイドマリ」

 ナァシフォの顔色が刻一刻と悪くなる。少しづつでも砕いていくしか無い。

「ヨロイドマリ」

 ナァシフォの手の動きが止まり力が抜けてだれていく。

 ピキッと腕に痛みが走った。技の連続使用の反動が表れてきた。

「ヨロイドマリ」

 ナァシフォの目がゆっくりと閉じられようとする。

 肉離れの数倍の痛み。腕の筋肉がズダズタに引き裂かれるような激痛が走るがあの光景を見た心の痛みには比較にならない。

「ヨロイドマリ」

 ヨロイドマリの反動で俺の腕も砕けそうだが、ナァシフォと腕一本なら安い。

 必ず助けるから、その前に生命尽きないでくれ。

「ナァシフォ、俺の嫁と言うなら根性見せろ」

 俺の叫びが届くわけがないがナァシフォは反応した。

 ナァシフォの目が再び開けら黄金に輝いていた。

「ヨロイドマリ」

 放たれるヨロイドマリに合わせるようにナァシフォから無数の泡が沸き立ってアメムシが膨張した。

 番傘から繰り出される衝撃がアメムシの表面だけに巡って共振し破砕する。アメムシの表面が弾け飛びナァシフォの顔が露出する。再生される前にと開いた穴に腕を突っ込むみナァシフォをむんずと掴んで引き釣りだす。

 熱い? アメムシの内部は燃やされたような熱を感じた。あの泡、ナァシフォから高熱が発生したというのか?

 それにあの目。

 ナァシフォこそ探し求めた運命の人なのか?

「ごほっげほっ」

 ばしゃっと赤子が生まれるように体液塗れのナァシフォが引き釣りだされえずく。内部をアメムシに侵食されていなかったようで、人工呼吸などの処置は必要ないようだ。

 ナァシフォが引き釣りだされ開いた穴にてんぷらが抜け目なく筒を投げ込む

 ボンッ

 アメムシは内部から爆散し飛散した。火炎弾ではなく爆弾のようだ。

「良し、逃げるぞ」

 俺はナァシフォを抱え一目散にその場から逃げるのであった。

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