第18話 乙女の誓い
足裏からの反発が消え、そのままに落下していく俺の真下にナァシフォはブルーマーを滑り込ませた。
タイミングバッチリのいい腕だ。
俺がブルーマーの後方に着地した衝撃を足裏に感じるのと同時にぐんっと体が沈み込むのを感じた。荷物を背負った俺の重量物を受けたのだから当然とも言えるが前はこれで失速寸前になった。今回も危ないようならここから俺が飛び降りる必要があるが、まあこの高さなら何とかなるだろ。バンジーハントに比べれば児戯に等しい。
なんて考えは余計なお世話とばかりにブルーマーは一瞬沈み込んだのは着地の衝撃に逆らって無理やり上昇するようなことをせず衝撃を滑らかにスピードに変換して何事も無かったかのように飛んでいく。
たった一度の経験でナァシフォは重量物が飛び乗った時の対処を身に付けたようだ。末恐ろしい才能だ。この姫さんならテイトのスカイレースで優勝も夢じゃないな。
「ガイガさん、大丈夫?」
ナァシフォの振り返った顔には余裕が見て取れる。
「ああ、大丈夫だ」
俺はブルーマーの後部に立ったままに城壁の上を振り返って見る。
城壁では大騒ぎでシトヤが何やら喚いているのが見えるがライガンは姫さんのこういう行動には慣れているのか諦めたような顔を此方に向けつつ、俺に姫を頼むと目で訴えてくる。
「ガイガさん飛ばすからしっかり捕まって」
そう言われてもな。ブルーマーは基本一人乗り、後部座席など無い。捕まれと言うならナァシフォに覆い被さるようにブルーマーに抱きつくかナァシフォの腰に手を回して抱きつくしか無い。
「どうしたの早く」
ナァシフォは特に気負うこと無く安全の為に自分に抱きつけと言うが、こんな観衆の前で嫁入り前の姫さんの体に抱き付く訳には行かないだろ。シトヤがどんな化学反応をするか分かったもんじゃないし、比較的寛容なライガンでも卒倒しそうだ。
恩人に迷惑をかける訳には行かないな。
「大丈夫だ。後方を警戒していたいこのままでいい」
ナァシフォにそういった事を言っても気にするなと言うだけなのでそれらしい理由を上げて断る。
まあ実際小娘の操るブルーマーから振り落とされると思われるのも業腹だしな。幸いナァシフォの操るブルーマーは安定している。両足に掛ける重心に気をつけていればそうそう落とされることはないだろう。
「分かりました。落ちたら笑いますからね」
「そりゃ恥ずかしいな。頑張らないとな」
俺達はイーセの兵たちに見送られながら外壁を超えて森の方へ飛んでいくのであった。
静かな闇から鮮やかな色が浮き出してくる。
騒がしい一夜が開け朝日にイーセ壁外の南西の森も緑に彩られだす。イーセの北側には魔界が迫ってきているがここはまだ侵食されていない。ここから魔界を通ること無く陸路でキョートへ行くことが出来る。
「ふう、追手は来なかったな」
夜の森は危険なので森の入口で姫さんと交代で見張り番をしていたが何事もなく朝を迎えられた。
ダイダラボッチが何時襲ってくるか分からないんだ。シトヤとか言う男は別として上層部は旅人なんかに拘っている暇はないのだろう。
まあ俺がお転婆姫を手籠めにする心配をしない当たり剣を交えた友誼で俺も多少は信用されているのかもな。
「そうですね」
ナァシフォもイーセの街の方を見て自分を連れ戻しに来ないことにホッとした表情を見せる。
ほっとする場面じゃないだろ。得体の知れない男と暗い森の入口で二人きりなんだ、もう少しこの娘は危機感を持ったほうがいい。普段は気のいい男でも傍に若い女がいたら理性が切れても不思議じゃない。まあ親でも先生でもない俺が心配することじゃないが袖振り合うも多生の縁他人事ながら心配にはなる。
「俺なんか助けて良かったのか?」
つい口から出てしまった。この娘にとって俺を助けていいことはないだろう。王宮での立場が悪くなるだけだ。
あの程度なら俺なら切り抜けられる。流石に無傷で済ますことは無理だろうから、イーセの衛兵に怪我人が出ることになる。つまり姫さんはイーセの民を救ったことになるのだが、そんなことあの場にいたライガン以外には分からないだろう。
つまり姫さんは悪い魔道士に誑かされた愚か者の烙印を押される。
「恩があります。でもそれ以上に私達を助けてくれるのはガイガさんしかいないと思ったからです」
ナァシフォが突然真剣な顔を此方に向け俺を射抜くように見てくる。
「教えて下さい。どうすればイーセを救えますか?」
ふんっ、若者の安っぽい正義感かと思えばこれが聞きたくて俺を助けたのか。上に立つ者として広く意見を求めるのは実にいい。思えばナァシフォは出会った時からイーセの為にと動いていたな。王族の鏡だよ。
「方法は一つダイダラボッチを倒すしかあるまい」
「はい」
ナァシフォはそんな分かり切ったことを言われても先を急かすこと無く俺の次の言葉を待っている。
いい娘だ。それ故に俺は甘い夢は一切見させない辛い現実を告げてやるのが俺の役目だな。
「1年半前のツでの大魔界嘯を防ぐ為の戦で近辺の国の戦力は大幅に低下している。もはや再度の大魔界嘯を防ぐ為に大戦力を結集するのは無理だろう」
「私もそう思います」
王族でありながら一人魔界で死骸拾いをしてまで国の復興に尽力していたんだ俺に言われるまでも無いだろう。
「数を集められない場合質に頼ることになる。オオクニヌシを倒すならサムライマスターが最低7人はいる。だが今からサムライマスターを7人集めている時間はない」
近辺に自由に動けるサムライマスターはいないだろう。そうなるとキョートなどの大都市国家に行って探すしか無い。
だが俺の予想では天に狂気が満ちる次の満月に大魔界嘯は起こる。はっきり言って遠征して在野のサムライマスターを探して交渉している時間はない。
「他に方法は?」
ナァシフォは鬼気迫るように聞いてくる。
ナァシフォもそんなことは俺にわざわざ言われなくても分かっているだろう、それ以外のイーセを救う方法を期待している。その期待を砕くのが俺の役目。
「俺の予想では大魔界嘯は次の満月に起きる。サムライマスターを集める時間はないが逃げる時間なら十分だ。
周りの国に受け入れを要請するんだ」
それこそがイーセの王族の仕事だろう。ギリカタは可哀想に立て続けて国を失うことになるのか。それでも生き伸びられる。
「イーセを捨てろというのですか」
「そうだ。
死ぬよりはいい」
「イーセを捨てるのは死ぬのと同じだわ」
「生きていれば再建できる」
「人は土地と共に生きているんです。どっちか一方ではないのです」
ナァシフォの言うとおり古来より国を失った民は死に等しい辛酸を嘗めることになる。それでもだ。生きて未来に命脈を伝えられる。
「それでもだ。国も民を救えるなら理想だがそれは夢だ。現実を直視するんだ」
「現実が見えていないのはガイガさんです」
今まで大人しく俺の話を聞いていたナァシフォが声を荒げて真っ向から俺に反抗した。
「ツの国が滅びた時に周りの国々はツの国の難民を受け入れました。それから数年も経たずに更に難民の受け入れなんてどの国も出来ません。今の時代どこの国も精一杯なんです。この一見豊かそうなイーセだってもう限界だったんです。これ以上難民が増えるのなら口減らしの為に人間同士の戦争になります。それを避ける為にも私達はイーセの国を守らないといけないんです」
ナァシフォは俺が思っていた以上に現実を直視していた。だからこそ藁をも掴む気持ちで魔道士である俺に秘策を求めたのか。
「下手をすればイーセの民は国とともに死に絶えることになるぞ」
「そんなことさせません。
ガイガさんならその方法を知っているはずです」
「なぜそう思う? 魔道士と言っても多少魔界の知識があるだけの男だぞ」
俺はそんな大言壮語を酒の席とかで一度たりともこの娘の前で口走ったことはない。
「勘です。ガイガさんの目には冷たい現実を突き付けつつも宵の明星のような希望が灯っています」
甘かったのは俺だというのか。俺はナァシフォに心の底を見透かされたというのか? 冷酷に成り切れず俺がナァシフォに甘い夢を見させてしまったのか?
いや、ブラフの可能性もまだある。迂闊な対応は許されない。
確かに秘策はある。
だがあれは更なる悲劇を呼び寄せる可能性のほうが高い。策とも言えない賭けだ。そんなもに縋るのは現実逃避と同じで上に立つ者が選ぶべき行動じゃない。
「あなたならイーセを救うことが出来るはずです」
「そうだとして流れ者の俺が命を懸けてこの土地を守る理由がないな」
「大勢の人の命が掛かっているんですよ」
「俺はイーセとは縁のない流れ者だ。悪いがイーセの民の命運を背負うのは重すぎる」
逃げれば命は助かる可能性は高い。近辺が無理なら遠い国に逃げればいい。なのに救えるはずだった命まで背負って戦う資格は流れ者の俺には無い。それはこの国で育ち積み重ねてきた者にこそある。決して流れ者に委ねていいものじゃない。
それに俺には夢がある。臥薪嘗胆卑怯者裏切り者などと後ろ指を指されようとも果たさなければ国を捨て流浪の旅に出た意味が無くなる。
「見損ないました。ガイガさんなら立ち上がってくれると信じていたのに」
ナァシフォは俺を糾弾しているが、実際問題として俺がやると言ってもイーセの民は決して俺に命運を預けようとはいないだろう。
そもそもナァシフォは俺の何にそんなに期待しているんだか。
「見誤ったな。俺は所詮その程度の男だ。俺はこのままキョートに向かわせて貰う。お前も早く逃げる準備をしろ」
ジューゴとかの上層部は俺に言われるまでもなく民の受け入れ先の打診を既に始めているだろう。
「それでも男ですかっ」
俺が未練を断ち切る為にナァシフォに背を向けるより早くナァシフォは拳を振り上げ地面を力の限り踏み込み殴り掛かってきた。
熱い衝撃が走って目の前が真っ赤に染まった。
ナァシフォに殴られた。
「気が済んだか?」
典型的なテレフォンパンチ避けようと思えば避けれたが、それでナァシフォの気が済むのならと殴られてやった。それでも気が済まないのかナァシフォは俺の胸ぐらまで掴んできた。
今のナァシフォは期待を裏切られた怒りで冷静さを失っている。気が済むまで好きにさせてやろう。冷静になればナァシフォは賢い娘だ現実的な選択をするだろう。
そんな情を出したことを俺はこのあと一生後悔することになる。
胸ぐらを掴まれそのままぐいっと引き寄せられ鬼の形相で俺を睨むナァシフォの顔が近づく。頭突きでもされるかと思えば
キスをされた。
「!?」
暖かく甘い体温が伝わってくる。
時が止まったかのような後柔らかさは余韻を残して離れていく。
「乙女の誓いの接吻です。これであなたと私の婚約は成立しました。
誓いは絶対です。逃げたり反故にすることは許しません。そのときは地の果てまで追いかけて殺します」
「なっなっ何を考えています」
ナァシフォは本気の目で俺を見詰めてくるが俺は年甲斐もなく動機が収まらない。まるで童貞の少年のように手玉に取られてる。
「これでガイガは私の夫となりイーセの国主の一族ですね。ごちゃごちゃ男らしくないので理由を作ってあげましたよ」
ナァシフォは今まで一夜を共にしたどんな手練れの商売女よりも悪女のように微笑み天使のように無邪気に笑うのであった。
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