第21話 傲慢さこそ我が美徳

「タオ、そして哀れな男エリックよ! 貴様らが使えなくなろうと、この我輩自身が贄となれば良いだけのことッ! まだ我輩の野望は、終わっていないのだッ!」


 ハーッハッハッハッハ! 教授は高笑いをしながら、魔法陣の中へ引きずり込まれていった。


 一瞬にして静寂に包まれる部屋。だが次の瞬間、グラグラと音を立てて揺れが発生した。


 まるで空間全体をねじ曲げられているかのような、強い揺れ。


 机に置かれていたティーセットは乱暴に飛び出し、少し離れた地点で粉々に砕け散る。


 壁に掛けられていた燭台も部屋を飛び交い、カーペットに着地した炎が勢いよく燃え広がる。


「しまった! このままじゃこの屋敷は崩壊するッ!」


「けどエリックさん、あの生徒達はどうやって……」


 こんな状況でもなお、生徒達は微動だにせずに立ち尽くしている。


 洗脳されているから教授絶対の状態なのは仕方ないけれど。流石に100人あまりの生徒全員を連れて逃げることはできない。


「ここは任せてください!」


 と、タオさんが前に出た。するとどこからか小型マイクのようなものを取り出し、


「総員ッ! 至急外へ退避せよッ!」


 命令を出す。するとタオさんの命令を受けた生徒達は一糸乱れぬ動きで敬礼を送り、地下室から脱出して行った。


「一応ボク、怪盗団の指揮役だったので。まだ権限残ってたみたいで助かりました」


「やるじゃないタオちゃん! さあ、こんな場所とっととずらかるわよ!」


 リタさんの勢いに身を任せて、俺達は急いで地下室から飛び出した。


 扉を潜り抜け、地上を繋ぐ階段を登り、エントランスへ出る。


 果たしてそこには、轟々と燃え盛る炎の海が広がっていた。


 地震によって崩れ落ちた瓦礫に火が回り、天井は雷雲のような煙で覆い尽くされている。


 そこに、純粋に夢を追い求めた生徒達が愛した“学び舎”の姿はなかった。


「もう炎がここまで……ッ!」


「けれど、あんなジジイと一緒にここで焼け死ぬなんて、死んでも御免だわ!」


 最早名残惜しさなんてないのか、リタさんは言う。


 空気まで焼き尽くす炎に対して、彼女の冷める速度はまるで氷のようだ。


 閑話休題。俺とリタさんは炎の中を突っ切り、教授邸を脱出した。


 その瞬間に冷たく新鮮な空気が肺の中に入り、あまりの冷たさに思わず咽せてしまった。


「はぁ、はぁ……何とか脱出できた……!」


 安堵のため息を漏らし、俺は後ろを振り返る。


 気が付けば炎は既に館全体へ回り、建物の半分は既に崩壊している状態だった。


 主人であるモリアーティ教授は、自ら生贄となって魔法陣へ消え、主人を失った館も共に炎に呑まれ潰れていく。


「これで、終わったのかしら……?」


 そうであって欲しいが、未だ胸のざわめきが止まらない。


 それどころか、館の地下深くに渦巻く闇の魔力が、段々と強く、大きくなっている。


 刹那、それを察知したのとほぼ同時。


 魔力は飽和して――爆発した。


「来るッ! 皆、伏せてッ!」


 俺はすぐさまリタさんの腕を引き、館から離れた。


 タオさんも同じく、爆発する魔力を察知したのだろう。生徒達に指示を出し、彼も館から距離を取った。


 次の瞬間、館の地下を震源地に地面が激しく揺れた。


 あまりの衝撃に、足のバランスが崩れて跪く。それでも尚、地面は俺達を振り下ろさんと荒れ狂う。


 まるで誰の指図も受けず自由に駆け回る暴れ馬のように、人類というノミを振り払う獣のように、揺れる。震える。荒れ狂う。


 そして、最初に脱落したのは言わずもがな、教授邸だった。


 ガラガラと大きな音と土埃を立て、地面に喰われるように館は崩れていく。


「ああ、館が……」


 崩れていく館を前に、タオさんはどこか名残惜しそうに見つめながら呟いた。


 そして、そこに瓦礫の山が積み上がった瞬間、まるで噴火するかの如き勢いで、大きな影が飛び出した。


『フフフ! フハハハハ! 凄い、凄いぞ! これが「罪過ノ仮面」の力! まさに、我輩が持つに相応しい能力だッ!』


 巨大な影は月明かりに照らされ、大きく二対の羽を広げた。


 一つはコウモリのような翼膜状の羽。もう一つはフクロウなど、猛禽類を彷彿とさせる羽。


 胴体は巨大な猫などの四足獣のようで、頭がある位置から、人間の身体が生えている。


 そして極め付けは、人間の顔に付いている特徴的な仮面。それは白く無機質で、一対のねじれた角の装飾が施されていた。


 そのあまりに滅茶苦茶で混沌とした姿は、まさに悪魔そのものだった。


 するとそれは俺達の前に降り立ち、両手と羽を広げて高らかに笑った。


『どうだ! これこそ「罪過ノ仮面」が一柱、ルシファー様の力! 我輩自身が生贄となることで、ルシファー様と一つになった姿ッ!』


 よく見れば、獣の首から生えている人間は、どことなく教授と似ていた。いや、あれこそが教授自身だった。


「嘘、こんなのってアリ⁉」


「教授、人の姿を捨ててまでこんな……」


 大きく姿を変えた教授を前に、俺達は唖然とした。


『さあ恐れ慄け! そして、恩を忘れた裏切り者と共に、我が傲慢なる力の前に散るがよい!』


 教授は叫び、早速両手に闇の魔力を集めて放ってきた。


 俺達は咄嗟にそれらを避け、戦闘態勢に入る。


 コイツが現われた瞬間から、既に戦いは始まっていた。


 だが、どんな敵が現われようと、逃げるわけにはいかない。


 それはリタさんも、タオさんも同じだった。


「館ごと潰れてくれたら、少しは楽だったのに。しぶといわね」


「裏切り者でも構わない。教授の野望は、このボクが止めます!」


 タオさんは決意した表情で教授を見上げ、腰に携えたナイフを取り出して構えた。


『フンッ! 我が理想を理解する脳もないサル共め! ここで纏めて塵にしてくるわァ!』


 再び教授は怒りの雄叫びを挙げ、槍状に尖らせた闇魔法を放つ。俺はそれを回避しながら、庭に生えた雑草に魔力を送り込む。


 草は急速に成長し、教授の前脚に絡みつく。


「今だ! リタさんッ!」


「任された!」


 続けて、リタさんは草の縄を踏み台にして飛び上がり、剣に魔力を注ぎ込んだ。


 そして刃に氷の魔力が行き届いた瞬間、教授の身体に刃を払った。


 白銀色の閃光が宙を走り、教授の身体に確かなダメージを与える。


 しかし、そのダメージは微々たるものだった。


『今、何かしたか?』


「嘘……」


 教授はまるで羽虫が留まったような反応を示し、右の羽でリタさんを吹き飛ばした。


「リタさん!」


 俺はリタさんの元へ駆け寄る。幸い、大したダメージは受けていないようですぐに立ち上がることができたが……。


 教授はにやりと笑いながら、闇の魔力を放出する。


 それは球状、或いは槍状、そして4対目の腕の姿で顕現し、一斉に襲いかかる。


 球はブラックホールのように着弾した地点を抉り取り、槍は夜の帳に潜んで飛び込み、地面を貫通して消えていく。


 あまりの物量に、俺達は避けることだけで精一杯だった。


 そこへ追い打ちをかけるかのように、別れた4対目の腕が襲いかかって来る。


「ぐ、うぁぁぁぁぁ!!!」


 咄嗟の賭けだった。俺は倒壊した屋敷の木材に魔力を送り込み、二枚の盾を作り出した。


 それを力いっぱいに投げ、腕の攻撃を誘う。


『小癪な』


 幸いにも、教授は俺の攻撃に乗り、闇の腕で木の盾を破壊した。


 だが俺に気を遣いすぎて、気付いていない。


「後ろ、貰いましたよ!」


 音を殺して接近していたタオさんだ。


 彼は背後から教授のもとへ接近し、持ち前の跳躍力で教授の背中に載った。


 すると闇魔法を注ぎ込んだ投げナイフを羽の付け根部分に放ち、地面に着地した。


『効かぬ効かぬ、貴様程度の攻撃で我輩は――』


「それはどうか、すぐに分かりますよ教授――いや、モリアーティ!」


 言うとタオさんは羽の方へ大きく開いた手の平を向けて、力強く握りしめた。


 それを合図に投げナイフは爆発し、コウモリのような羽を襲った。


『ぐ、グォォォ!』


 大きさ故に効いているかどうか見えないが、しかし闇の爆発が発生した瞬間、確かに教授は苦しみの声を上げた。


 けれど投げナイフ爆弾の威力は弱かった。爆撃を受けた羽はそのまま動き続けている。


「リタさんッ! お願いしますッ!」


 だが諦めず、タオさんは続けてリタさんに指示を送った。


「任された! エリック、踏み台お願い!」


 リタさんは剣を振りながら俺の方へと近付いて来る。


 俺は瞬時に彼女の作戦を飲み込み、両手を合わせて踏み台になる準備をした。


 そして彼女の脚が俺の両手に載った瞬間、全力でリタさんを上空へ放り投げた。


『何――!』


「これでも喰らえッ! 我流魔氷剣! 《スパイラル・アクセル》ッ!」


 技名を叫びながら、リタさんは剣の柄を両手で掴んで、遠心力を駆使して回転技を披露した。


 刃には氷の魔力が宿っており、大気中の水分が急激に冷やされることで、彼女の周りに真っ白な竜巻が発生する。


 やがて彼女を覆う竜巻が教授の負傷した羽を襲った瞬間、コウモリのような羽が切断された。


『グオォォォォォォォォォッ!』


 羽を失った教授はもがき苦しみ、ガクンと浮力を落とした。


『おのれ鬱陶しい蠅どもがァァァァァ!』


 しかし教授もただでは怯まない。


 怒りの感情を闇魔法として出力し、再び俺達を襲った。


 無数の闇の魔法弾、槍の雨、そして四足獣の前脚を駆使した爪攻撃。


「まずい! 二人とも、回避に集中してッ!」


 俺は二人に叫びながら、自身の腕に魔力を集中させた。


 すると俺の両腕は通常の数十倍以上に膨れ上がり、文字通りの豪腕になった。


 俺は豪腕と化した腕で教授の攻撃を受け止め、二人の攻撃の隙を作ろうと奮闘した。


「ウオオオオオオオオ!」


 次々と降り注ぐ闇魔法の槍は俺の腕を貫き、前脚の爪は肥大化した俺の腕の肉を無慈悲に斬り裂いていく。


 痛い。猫に引っかかれるよりも痛いし、槍を受けた箇所なんかは風穴が空いている。


 正直泣きたい。めちゃくちゃ痛いし、無限回復で治癒するのにも時間がかかる。


 けれど――


『愚かなりエリックよ! いくら特異な回復魔法を持っていようと、我が極められし闇魔法を耐えることは不可能だ!』


「んなもん、二人を守るためなら、死ぬ気で耐えてやるよクソジジイ!」


 タオさんとリタさんを信じる。二人なら必ず、教授を弱体化させることができる。


 信じる二人のためなら、時代遅れのオッサンにできることはただ一つッ!


 若者の踏み台として、肉壁になることだッ!


 雄叫びを挙げながら、俺は教授の前脚を掴み、動きを封じ込めた。


「リタさん! タオさん! 俺に構わず教授の羽を落とせッ!」


 化け物になった教授の相手は、両腕化け物と化した俺の相手。


 それにどんなに飛ぶのが上手な鳥でも、羽を失えば自ずと地面に落ちてくる。


 特に全長数メートル大の化け物教授であれば尚更、巨体を空に浮かすことは不可能となる。


『そうはさせぬッ! こんな蠅ども、我が闇魔法でぶち殺してくれるわァ!』


 教授は叫ぶと本体の両手に力を込め、周囲に闇魔法の弾を生み出した。


 次の瞬間、それは闇の槍に成長し、リタさん達へと矛先を向けた。


 その数およそ100本以上!


「まずいっ! 二人とも、警戒してッ!」


 精一杯叫び、俺は教授を抑え続ける。


 そろそろ両腕の方も限界が来ている。


 過剰回復させた腕はミノタウロスを爆散させた時と同じ。使用時間に比例して魔力も尽きていく。


 更についさっき教授に魔力を奪われたまま。これ以上の魔法の使用は、文字通り身を削ることになってくる。


 頼む! どうか二人とも無事であってくれッ!


「あんな量、どう避ければいいのよッ!」


「リタさん、ここはボクに任せてくださいッ!」


 言うとタオさんは上空へ飛び上がり、自身の周りに闇魔法の盾を展開した。


 瞬間、100本の闇の槍がタオさん目掛けて上空へ飛んだ。まるでタオさんの闇に惹かれるように。


「タオちゃん!」


「こっちです! 来いッ!」


 飛び込んでくる闇の槍は次々とタオさんの盾を貫通し、突き抜けた矛がタオさんの体に傷を付けていく。


 しかしタオさんは退かず、飛び込んでくる闇の槍を耐え続ける。


「……このまま負けてばかりじゃ、終わりませんよ!」


 血まみれになりながら耐え続け、果たしてタオさんはニヤリと笑みを浮かべた。


「今ですッ! 《ギガドゥンケル・ノヴァ》ッ!」


 次の瞬間、闇の槍を受け止めていた盾は爆発した。


「《ギガドゥンケル・レイン》ッ!」


 続けて爆散した闇の粒は再び槍の姿になり、教授の背中に目掛けて降り注いだ。


 それはまさに雨のように、100本を超える無数の槍が降り注ぐ。


『グ、グォォォォォ!』


「リタさん! 弱っている今がチャンスですッ!」


「心得たッ!」


 するとリタさんは飛び上がり、剣を大きく振り上げた。


 同時に降り注ぐ槍の雨が剣に落ち、自然と闇の魔力が注ぎ込まれる。


 更にそこへリタさんの氷の魔力が注ぎ込まれ、二つの属性が混ざり合う。


(この不思議な感覚、初めてだけど、悪い感じはしない!)


「これでも喰らえッ! 《オーロラナイト・ストラッシュ》ッ!」


 瞬時にコツを掴んだリタさんは闇と氷の魔力を解放し、オーロラのような揺らめきと共に教授の羽を一気に斬り裂いた。


『何――!』


「よくやったリタさん、タオさん――!」


 これで教授は空を飛ぶ術を失った。そして俺も、足止めをする理由がなくなった。


 俺は両腕にかけていた無限回復を解除し、教授から距離を取った。


 魔力の供給がなくなった両腕は口を開かれた風船のように萎み、やがて普通の腕に戻る。


 あと少し遅ければ俺の命が削られ始めていた。だがリタさんとタオさんがやってくれた。


 お陰で魔力も温存できている。


『ぐぅ、おのれゴミ虫共がァァァァァ! 絶対に、絶対にぶち殺してくれるわァァァァァァァ!』


 羽をもがれ激怒した教授は雄叫びを挙げる。


 だが空を飛ぶ術を失った今、恐れるものは最早なにもない。


「エリック、大丈夫?」


「エリックさん、足止めありがとうございます!」


「問題ねぇ! リタさん、タオさん、あと一息だ! 勝ちに行くぞォ!」

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