第18話 ベルナールとフェデリカ


「フェデリカと話をしてみようと思う」

 モモの頭を撫でながら、私はそう言った。

「そう。いいんじゃない? 僕はその彼女のことをよく知らないけど、君がしばらくの間は交際していたくらいなんだから、きちんと話せば聞いてくれる人なんだろう?」

 アロイが言う。

 そう……そうだといいなぁ。

「じゃあどうする? まだ昼をまわったばかりだ。今からすぐに街に戻るか?」

 セロの問いには、思わず、うっと唸ってしまう。


「あー……ああ、いや、確かこのあたりにギオン草の群生地があったよね? 雪が降る前に少し採取しておきたいなぁ、なんて……」

「今さら何言ってんの? 本音は?」

 アロイの声がちょっと冷たい。

「雪が降ったら……ギオン草は枯れちゃうじゃないか……。あれは春に虫除けで使いたいから……」

「備蓄くらいあるだろう。それに、今日じゃなくてもいい。例年通りなら雪が降るまでにあと半月以上は猶予がある」

 アロイが逃げ道を塞いでくる。

 ううぅっ……。

「ギオン草を採取したいのは本当だもんっ! ただ……ただ、せめてちょっとだけ、話す順番を考える時間も欲しいなって!」

 慌ててそう言うと、セロがブッと噴き出した。

「マジで……マジで、大の男が『本当だもん!』って……おまえ、いくらなんでも……ぶふっ……!」

 くっそぅ……!


「じゃあ、僕とセロでギオン草を採取してこよう。そしてベルはモモと留守番しながら話す順番とやらを考えるといいよ。日暮れ前に街に戻ろう。一旦、僕の家に寄ってリナと合流する」

 アロイがそう言って、食事の間は脱いでいたコートを再び羽織る。

 セロも頷いて立ち上がった。

「その後はベルの店に戻って、明日にでも元カノと話をつける算段か。じゃあ俺は、おまえたちがリナを拾いに行ってる間に、冒険者ギルドに素材を売ってくるよ」

 素材と聞いて、私は思い出した。

「あ、セロ。エルクの魔結晶は私が買い取るから、査定だけしてもらって、売らないでとっておいて。確か、アネイラに深く接触する術式には、闇とか毒の属性が効果的だってフェデリカから聞いたことがある。さっきのは大きさもよかったし、フェデリカと交渉する材料のひとつになるかもしれない」

「了解」


 2人が出て行くと、小屋の中は私とモモの2人きりになる。アロイたちが出かける支度をしている間は、腰を上げて少しそわそわしていたモモが、私たちだけになるとまた安心したように寝そべった。

 そうか……おそらくこの子が、あの日、私が呼ぶはずだった使い魔の魂なんだ。リナだけはなぜか体も一緒にこちらに来てしまって、何かのアクシデントで体と魂が別々になった。本来、この子は私が作った使い魔の体に入るはずだったんだろう。

 どんなアクシデントがあったのか、どうすれば元に戻れるのか……アネイラから人間を呼ぶことについて、私が知る中で一番詳しいのはフェデリカだ。


「話すのは5年ぶりか……」

 フェデリカと出会ったのは魔導院時代だ。私は高等院を普通に20歳で卒業したのだが、その先、魔導院に進もうかという頃に、家族が首都に移住することになった。オスロンで機織りの女性たちをまとめる仕事をしていた父親が、首都で紡績工場を作る事業に誘われたのだ。

 高等院に在籍している頃から私は魔道具作りに熱中していた。素材を集めるために冒険者登録もした。自分の作った魔道具が冒険者仲間に売れるのも楽しかったし、近所の人たちのちょっとした困りごとを魔道具で解決するのも面白かった。

 首都近辺は開発が進んでいるし、特に父親が関わる工場が建つあたりは首都の中でも中心部に近く、冒険者の仕事はあまりない。冒険者は街と自然が接する境界にこそ需要があるからだ。家族と相談の上、私はオスロンに残ることにした。父と母に加えて、当時、父の仕事を手伝っていた姉一家も首都へ向かった。


 魔導院は教育機関でもあり、研究機関でもある。教育機関としての魔導院に通うにはそれなりの学費が必要だったが、それについては父親が用意してくれた。それをありがたく使わせてもらうことにして魔導院へ進み、そのかたわら、生活費のためと魔道具の素材のために、冒険者稼業にも精を出すことになった。

 中等院を出る16歳前後で独立する人間も多いなか、高等院だけでなく魔導院まで行くことができて、しかも学費は親が出してくれている。もちろん富裕層たちほどではないけれど、苦学生たちに比べれば私の学生生活はのんびりしたものだった。


 魔導院を卒業する前年、24歳の時に、2歳下のフェデリカと出会った。学年は彼女のほうが1つ下で、あまり接点はなかった。数ある講義や実験のいくつかでたまに見かける程度だったが、彼女は学内では有名だった。優秀さと、その美しさで。

 そのフェデリカが私に声をかけてきた。今でもその理由はわからない。美しく聡明な彼女に、付き合わないかと言われて悪い気はしなかったし、いざ付き合いはじめてみると、彼女は思っていた以上に魅力的だった。学業に関しては非常に優秀で、1学年上であるはずの私が、とてもついていけなかったほどだ。彼女と付き合っている間に、私に声をかけてきた理由を聞いてみたことはあるけれど、彼女は笑うだけだった。


 私が卒業した年に、私とフェデリカは婚約した。フェデリカは魔導院の研究員になることを希望していて、私は魔法屋を開くことを目標にしていた。お互いに自分の魔法技術を磨きながら、2人で時間を重ねていけると思っていた。

 けれど、フェデリカが希望通りに魔導院に研究員として働き始めてから、少しずつ噛み合わなくなっていった。フェデリカは研究にのめりこみ、私と過ごす時間はほとんどなくなった。魔導院の職員寮と、冒険者ギルドの伝手で入っている安下宿とで、離れて暮らしていたからというのもある。ただ、時間を見つけて会おうとしても、フェデリカは「研究があるから」と断ることが多くなっていった。


 最初はフェデリカの研究内容を知らなかった。ある日、フェデリカに会いに魔導院に行った。そのついでに、在学時に世話になった教授に挨拶をしようとしたら、その教授とフェデリカが言い争っているのを聞いてしまった。人間の魂を召喚しようとしていると、フェデリカははっきりと言っていた。その後、フェデリカを問い詰めると、彼女はあっさりと認めた。理由はまたしても教えてもらえなかったけれど。


 ――フェデリカに会ったら、まずなんて言おう。

 久しぶり? 元気だった? そっちは最近どう?


 ……せめて、ベルナールの姿だったらそこから始めてもよかったかもしれない。どちらにしろ、彼女からは「ふん」の一言しか返ってきそうにないけれど。

 まずは、魔法陣のことから話すか。

 魔法陣を使って使い魔を呼び出そうとしたら、自分が女の子になっちゃってさぁ……うわぁ、嘘っぽい!


「モモ、どうしたらいいと思う……?」

 思わず、眠っていたモモに話しかけてしまう。モモは目を開けて、首だけを動かしてこちらを見上げた。まっすぐに見つめてくるその眼差しに、少し心が痛む。モモのために、そしてリナのために、元に戻りたいと思ったはずなのに、フェデリカと話すという最初の壁に躊躇している。


 自分が情けない、とため息をついたその次の瞬間、バン!と扉が開いた。

「ぅひゃ!」

 少しびっくりする。

「おい、客だ」

 扉から顔を覗かせたのはセロだった。手にはギオン草の束を3つほど持っている。虫除けにも使われる、強い清涼感のある香りが扉からここまで届いた。

「きゃく?」

 馬鹿みたいに繰り返した。

 部屋の中に入ってきたセロに続いて、顔を見せたのはフェデリカだった。

「ひょゎっっっ!!!? フェデリカ!? あ、い、いやいや、違う、違わないけど、違う!」

 私の中身がベルナールであることは知られていないはずだから、こんな反応をしてはいけない。


 自分の迂闊うかつな反応を呪っていると、フェデリカは何でもないような顔をして口を開いた。

「ごきげんよう、ベルナール」

 艶のある赤毛が背中で波打っている。女性にしては背が高く、並んでいるセロと同じくらいに見える。つんと尖った鼻の上には金縁の眼鏡がのっていて、彼女の美貌にアクセントを添えている。着ているのは、こんな山の中には似つかわしくない、布をたっぷりと使ったブラウスにロングスカート。その上には上質なロングコートを羽織っている。

 そんなフェデリカが、ベルナールと呼んだのは、私の足もとにいたモモに向けてではない。しっかりと私の目を見つめている。

 これはつまり、私がベルナールであることはとっくに知られているのだろう。


「ひ、久しぶり……元気だった……?」

「ふん」

 想像通りの返事をしたフェデリカの足もとに、黒い犬が姿を現した。リナだ。リナの後ろにはアロイの姿も見える。

 5人と1匹が集まると途端に部屋が狭く感じた。モモは急に人が増えて驚いたのか、部屋の隅に移動して、伏せの体勢をとっている。

「こ、これって、どういう状況?」

 私は誰にそれを問えばいいのかわからず、セロ、アロイ、リナ、フェデリカの順に視線を巡らせた。

 最後にモモにも視線を向けようと思ったが、さすがにそれは思いとどまった。


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