大切な今を生きる根拠
芯の入った拳がヴォルフの顔面を穿つ。ストレートに入った拳が突き切り、魔法使いは二〜三回宙を回って地面に倒れ伏した。
核を失ったゴーレムはただの残骸になり、ヴォルフはピクピクと痙攣してその場にうずくまっていた。
「目羅。アルシェさん。やった、ぜ……」
バタンとその場に倒れた。
目羅が素早くホースのある消防車から明智の元へと軽いジャンプをして寄った。
「アルゴ……!」
「だいじょう、ぶ。……ちょっと、やり過ぎた」
「……」
「ゴーレム二体、何とかしてやった。あとは、任せるぞ」
そう言い残すと、明智は目羅に向けた拳を力なく落とした。
目羅は少し、ぎこちない動きで明智の口元へ耳を寄せた。呼吸をしている。しかし浅い。
「……世迷」
「よくもやってくれたよな。クソガキィィい」
ヴォルフがいつの間にか立ち直っていた。頬が赤く腫れているが、激怒した表情の方が目立った。
「ゴーレムをこんな簡単に攻略されたのは初めてだが、
法衣を脱いだヴォルフの腰には、石用のホルスターとでも表現すべき物が巻き付いていて、二つの空きのポケットを除いて、全てに石がストックされていた。
「小手調べだったんだよ。てめぇらが調子乗るには早いってようやく理解したか、あァ!?」
手に持てるだけの石を持つと、ヴォルフは充血した目を見開きながら呪文を唱えた。
「心臓のコドウ血のミャクドウ! 主のセイドウを受けし泥人形ドモ! 我を模倣し、タドウせよッ!」
怒りの迸る負の言霊が神社内に響く。しかし、
「……? オイ、動け! さっさとアイツラをねじり潰せ! なぜ動かない!」
「それは、主の体温が急激に下がっているからです。ヴォルフ先生」
不発動に終わったゴーレムの呪文。それを指摘したのは、朱の柵に手を添えて、ミントのような鮮やかな色彩をした目を
「錬金術の教師であるあなたが、そんな基礎的な事を忘れたのですか。そんな風に法衣を脱いでしまったたら、雨に体温を持っていかれます。石もです」
「くっ! 黙れッ! 生徒が教師に生意気な態度を取るんじゃねぇ!」
大量の石を腕から落とし、一つを手に持って、それをアルシェに向けて腕を引いた。
「生意気なクソガキがァ!」
「逃さない」
「くっ!?」
瞬間、目羅の手刀がヴォルフの首筋に当てられた。切るまではいかなかったが、血の筋がスゥッと滴り落ちる。
完全に生殺与奪の権利を得た目羅が、悔しさに震えるヴォルフに問いかけた。
「オリヴィア。どこ?」
「! 目羅さん……」
目羅の行動にアルシェは微笑んだ。本当なら今すぐにでも首を飛ばしたいと思っているだろうに、友達のためになんて勇敢な行動なのだろう。とアルシェの内心にはそんな事が過っているのだろう。
だが、無感情な瞳に冷たいものを漂わせる少女は、少しだけ裏切ったことを言った。
「オリヴィア。アルゴ、最後までしんぱいしてた。目羅、アルゴの気持ち、守るまで、ころせない」
誰が見ようと、少女の姿はプロの暗殺者。感情を殺しきった冷徹な存在に見えるだろう。
しかし、分かるものには分かる。少女の鼻息は微かに荒く、揃えた五指もわずかに震えている。
感情を表現する術を知らない少女だが、感情の波は確かに、ヴォルフを見て荒れ狂っている。
少女に感情の根源は分からない。ならば切ってしまえば良い。首と身体が離れれば、ほとんどの生物は動かず、それ以上に害を成すことはないのだから。
「世迷。迷子の生死、気にしないって。でも、今は、気にする」
「……それはなぜだ?」
意外にも、その命を握られたヴォルフが質問した。少女の機嫌を損なえば、先など無いと分かっているのだろうか。
冷や汗を垂らし、ヴォルフが「なぜだ?」と催促した。
「目羅さん。こんな奴の質問に答えなくてもいい。どうせ悪あがき」
「……目羅、まだ分からないこと、たくさん。こっちに来て、知らないもの、知ってるもの、知ってたもの、知らなかったもの、たくさん。見て、知って、感じて、話して、いつも、かんがえた」
ぐるぐると、言葉をなぞるように、会話に不慣れなんだと思える余韻を残しながらも、少女の語気はどんどん強くなっていった。
「目羅、生きる。大変。こっちは、そうでもない。でも、大変。生きるの。なんで、ずっとかんがえた」
確信するように、光の差す扉を見つけたように、言葉は加速し、少女の顔を一瞬、確かな感情が表を出した。
「アルゴががんばるから、目羅、がんばりたい!」
「……」
思いの丈を吐き叫ぶ少女の声。
日照り雨の中、銀髪が空色へ微かに染まる。
きっと今、この首が離れたら、後ろで眠っている相棒の今を穢す。この一瞬を作り出した精一杯を、血に染めたくない。
「……カッハ」
「?」
「カッハッハッハッハ。青いな。青いよ」
吹っ切れたように笑い出した。教師は天を見上げると、右手を己の目に押し当てた。
「過去の因果は、代え難い。どんなに今、この瞬間、現在を思っていようが、時に流され過去になる。過ぎた時は戻ってこない。それを取り戻そうともがけば、後が残って悔やむんだよ」
「……」
「それを人は後悔と呼ぶ。だが、私に言わせれば、そんなのは呪いだ。醜い過去を背負って今を生きろと? 決定された己の醜悪に向き合って今を見ろと? 忌々しいだろ、そんなもの!」
ヴォルフが首に当てられた目羅の手刀を掴んだ。
「たかだか『今』! 一瞬の『現在』! そんなもの意識してどうなる! 過去の呪縛はそんな軟弱なものさえ縛り壊すぞ! そんなものに、てめぇは命を賭けれるのかッ!」
「風よ吹け、空を裂け、流れを逆らえ! 目羅さん、もうこいつの言葉に耳を貸さなくて良い。アタシが決着を付ける!」
どうなんだ? 否定と拒絶の風が目羅を襲う。アルシェが魔法を放とうとする。
自分の言葉に答えられないのを見て、その程度なんだよと決め付けるように少女を睨んだ。
烈風がヴォルフを襲う
「かけれる。迷子。ならないから」
声を呑んだ教師が、烈風の渦に呑まれ、天高く飛び上がった。
渦は数秒後に霧散し、白目を剥いた男を落とす。アルシェは気が晴れたように鼻を鳴らした。
「ふん。ひとまず清々した」
「アルゴ」
明智の前に、前屈みした少女が、優しく声を掛けた。
「終わった……よ。ありがとう。あいぼう」
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