第5話 藤原清雅

 鏡から堂々と現れた男は、長い黒髪に白いメッシュが入り、後ろでゆるくまとめられている。身に纏う装束は平安時代の衣に似ているが、どこか現代的なアレンジが施されていた。


 男は紗月を見つけると、満面の笑みを浮かべ、両手を広げて堂々と語りかける。


 「現れたるは、天才陰陽師・藤原清雅ふじわらのきよまさ! 好きな食べ物は餅に干柿、それから甘酒もたまにたしなむ。齢二十四歳! さて、他に何か聞きたいことはあるかな?」


 「誰がそんな自己紹介聞きたいねん! しかも状況考えろや!」


 紗月の怒声にも動じる様子もなく、清雅は首をかしげながら、少し申し訳なさそうに笑った。


 「あれ?自己紹介、ちょっと長すぎたかな?」


 「そこやない! そもそも、なんで鏡から出てくるねん!?」


 「いやぁ、鏡って思ってたより狭くてね。久々に広い場所に出られて嬉しくて、つい張り切っちゃった。」


 紗月は肩で息をしながら、震える手で自分の頬を軽く叩いた。


 (落ち着け、落ち着くんや……)


 「すぅー……はぁー……」


 深呼吸をして、どうにか自分を落ち着かせようとする紗月。だが、目の前に立つ清雅も同じように息を吸い込み、吐き出している。


 「すぅー……はぁー……」


 「……何してんの? あんたが深呼吸せんでもええやろ!」


 「えっ、いや……なんとなく?」


 「なんとなくって……! もうええ! 無視や! 今そんな場合ちゃうねん!」


 紗月は頭を振り、鏡から少し離れると蔵の扉の方へ向かった。だが、後ろから足音が聞こえ、ふと振り返ると清雅がついてきている。


 「……なんや? なんでついてくるん?」


 紗月は怪訝そうに眉をひそめる。


 「いやー、なんか……体が勝手に引っ張られるというか?」


 清雅は苦笑いを浮かべながら、自分の足元を見下ろすようにしている。


 「はぁ? 気味悪いな……ついて来んといてや!」


 紗月は険しい顔で清雅を睨むが、清雅はまるで意に介さず。


 「いやいや、そう言われても、どうにも止まらんのよねー。なんか君が動くと俺も一緒に引っ張られる感じ?」


 「……は? アンタ、一体どうなってん……!?」


 紗月は呆れた表情で清雅を見上げたが、次の瞬間、蔵の外から妖たちの不気味なうめき声が聞こえてきた。その音にハッと我に返った紗月は、再び扉へと駆け寄る。


 「……もうええわ! とりあえず早く逃げな……!」


 そう言い放ちながら、扉を開ける準備をする紗月。その背後には、相変わらず能天気な顔をした清雅がくっついてきていた。


 蔵の外から妖たちの不気味なうめき声が近づいてくる。紗月は扉の隙間からその気配を感じ取り、全身が震えた。


 「……どないしたらええん……うち、戦い方なんて知らへんのに……!」


 顔を覆って蹲る紗月に、清雅が呑気な声で話しかける。


 「大丈夫大丈夫、俺が妖の倒し方、教えてあげるから。言った通りにやれば、妖なんて簡単に倒せるよ。」


 「ほんまかいな……めっちゃ怪しいねんけど……」


 疑わしげに清雅を見つめる紗月だが、時間もない。背後の扉を見つめて歯を食いしばる。


 「しゃあないな……ほな、何したらええん?」


 清雅は紗月の抱えてる霊符に目を向けると、無造作に霊符を指差した。


 半信半疑ながらも、紗月は抱えてた霊符を摘み取った。


 「ほんまに、これで妖倒せるんやろな? 適当なこと言うてへんやろな?」


 清雅は軽く肩をすくめて、優雅に笑った。


 「うーん、霊符だけだと少し厳しいかも……まぁ、俺がちょっと手伝うよ。えいっ!」


 紗月が答える間もなく、清雅が軽く紗月の肩に手を乗せると、身体中に不思議な感覚が走った。温かさとともに、じわじわと力が湧き上がるような――それでいて妙に重苦しい感覚が押し寄せる。


 「な、何するんっ!?」


 紗月が叫ぶと、清雅が得意げに胸を張った。


 「取り憑いたよ! 俺の霊力が少しだけ君の身体に流れ込んでるから、今なら術が使えるはず!」


 「何勝手に取り憑いてん! そんな軽いノリで言わんといて! 気持ち悪いわ!」


 「え、そう? 取り憑かれるの、初めて? まぁまぁ、これで術が使えるようになったんだから文句なしでしょ!」


 「どこがや! 身体痛いし、変な汗出てきたし、めっちゃ気持ち悪いんやけど!」


 清雅は紗月の抗議を無視して、指を霊符に向けた。


 「じゃあ、扉開けて、いくよ! この霊符を空中に投げて、呪文を唱えてみて。こうやって――」


 紗月がサッと扉を開け、後ろに下がると、隙間から妖がゆっくりと蔵の中に入り込んできた。清雅が手本を示すように、手をかざしながら厳かに呪文を唱えた。


 「天地を貫く清き風よ、闇を焼き尽くす陽の光よ、五芒の理を結び、我が声に応えよ――『朱雀降臨』!」


 その優雅な響きと力強い声に、紗月は思わず圧倒される。


 「長っ! そんなん、覚えられるかいな! もっと簡単にできひんの?」


 清雅は少し考えるように顎に手を当ててから、にっこり笑った。


 「うーん、しょうがないなぁ。じゃあ、短縮版でいこうか。『火の鳥、出てこい!』って言ってごらん。」


 「それでええんかいな?!……最初からそれでええやん。よし、やったる。」


 紗月は清雅に言われた通り、霊符を空中に投げて叫んだ。


 「火の鳥、出てこい!」


 霊符が空中でくるくると回り、かすかな光を放ちながら何かを生み出そうとする――。


 そして、出てきたのは……。


 「……スズメやん!」


 紗月の前に現れたのは、火の鳥どころか、かわいらしいスズメだった。しかもチュンチュンと小さな声で鳴いている。


 「どこが火の鳥やねん! こんなんに火ついたら、焼き鳥やんか! これでどうやって妖倒すん!」


 スズメはピッと鳴いて飛び立つと、妖に向かって一直線に突っ込む。そのまま妖にぶつかり、ぽん、と小さな爆発を起こした。


 妖は一瞬驚いたように後ずさると、霧状の身体がぐらりと崩れ、そのまま地面に消えていく。


 「……倒れたやん。」


 「ほら、言った通りでしょ?」


 「いやいや、どう考えても力不足や! これ運が良かっただけやん!」


 「うーん、じゃあ次はもっと簡単なやつにしよう。虎の式神なんてどう?」


 清雅が霊符を指差しながら次の指示を出す。


 「霊符を握って、こう唱えるんだ――猛き獣よ、我が敵を滅ぼせ――白虎降臨!」


 紗月は渋々その言葉を唱えた。


 「猛き獣よ、我が敵を滅ぼせ――白虎降臨!」


 霊符が輝き、力強い光とともに何かが姿を現す……。


 すると、紗月の足元には可愛らしい白い子猫がちょこんと座っていた。


 「……猫やん!!」


 小さく「にゃあ」と鳴きながら、のんびりと尻尾を揺らしている。


 「いやいやいや、こんなん妖倒されへんやろ! これ何すんの!? 癒されるだけやんか!」


 清雅は苦笑いしながら子猫を眺める。


 「でも、可愛いでしょ? 癒されるんじゃない?」


 「癒されてどうすんねん! 妖おるんやで!」


 子猫は、そんな紗月の怒りをよそに、のんびりと妖に向かって歩き始めた。そして、その小さな肉球が妖に触れた瞬間――妖の霧が驚くほどあっさりと消え去った。


 「……倒せたやん。」


 「ほらね、やっぱり俺の言った通りでしょ?」


 「ちゃうちゃう! どっからどう見ても戦闘用やないやん! ただかわいかっただけやんか!」


 「弱い妖ならこんなんで十分ってことかな?」


 清雅が得意げに笑う。


 「いや、全然納得いかへん……。」


 紗月は霊符を握ったまま、蔵の中でしばらくじっとしていた。外から聞こえていた妖のうめき声や、地を這うような不気味な気配が次第に遠ざかっていく。


 (……もう、妖は来ないんやろか。)


 耳を澄ませる。蔵の外は妙に静かで、さっきまでの混沌が嘘のように感じられる。


 「もう、蔵に入ってくる妖はおらんみたいやな……。」


 紗月がぽつりと呟くと、背後から当たり前のような調子で声が返ってきた。


 「ほら、言った通り倒せたでしょ。」


 清雅が肩をすくめながら、どこか得意げな表情を浮かべている。


 紗月は深いため息をつき、肩の力を抜いた。冷静になって考えてみると、いろんな違和感が頭をよぎる。


 (鏡から現れた? しかも、術使えるとか何もんなんや……それに、取り憑いた言うてたし……。)


 紗月は清雅の方を振り返り、じっとその姿を見つめた。


 (……でも、足もあるし……こいつ、幽霊とか妖怪ちゃうんやろか?)


 「なぁ、あんた……いったい何者なん?」


 恐る恐るそう問いかけると、清雅は急に背筋を伸ばし、得意げな顔をして語り始めた。


 「ふふふ、現れたるは、天才陰陽師・藤原清雅ふじわらのきよまさ! 好きな食べ物は餅に干柿、それから甘酒もたまにたしなむ。齢二十四歳! 趣味は笛に和歌、まだ独身です。」


 「そんなん聞いとらん! しかもさっきより増えとるし!」


 紗月は思わず声を荒げ、清雅の無駄に長い自己紹介にツッコんだ。清雅は首をかしげながら、のんびりとした笑みを浮かべている。


 「え、そう? でも、詳しく話したほうが親近感わくでしょ?」


 「どこがや! そんなん逆に怪しいわ!」


 清雅は軽く笑い飛ばし、紗月の言葉をさらりと受け流す。そして、のんびりした口調で続けた。


 「まぁまぁ、とにかく妖もいなくなったことだし、一件落着でしょ?」


 「落着やないわ……もうええ、外見てくる!」


 紗月はため息を吐きながら、重たい扉をゆっくりと開けた。外の空気は、ほんの少しだけ冷たく感じられる。恐る恐る蔵から顔を出すと、蔵の前にはもう妖の姿は見えなかった。


 (ほんまに……全部、倒せたんやな……。)


 紗月は肩の力を抜き、清雅をちらりと振り返る。相変わらずのんびりした顔をしている清雅に、なんとも言えない気持ちが湧き上がる。


 (……こいつ、何者なんか全然わからんけど、まぁ、一応助けられたんやし……礼くらいは言わなあかんかな。)


 「……ありがとな。助かったで。」


 清雅はその言葉に、柔らかく微笑んだ。


 「どういたしまして。これからもよろしくね、相棒。」


 「誰が相棒やねん!」


 再び紗月のツッコミが響いた後、彼女は蔵を出て中庭の方へ歩き出すのだった。

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