第31話 目覚めた先

 どこからか、妙に浮かれた音楽が流れている。「迷子のお知らせをいたします」といったアナウンスまで聞こえる。


「へ?」


 扉は今、閉められた。「行ってらっしゃいませ〜」とスタッフに見送られる。


「は?」


 ガラス戸の向こう側でマスコットキャラクターの着ぐるみがどこかの家族と写真を撮っている。


 そして目の前には――あの男がいる。


 急いで鞄を開けてスマホを取り出す。鏡付きのスマホカバーをつけている記憶があるからだ。ナタリーの記憶と城之内未来の記憶が同時に私の頭に襲いかかり、手足が震えて息をするのもやっとだ。


 鏡には、黒髪と黒い瞳の私が映っている。


「嘘でしょ……」


 目の前の男を見る。

 一緒に死んだはずの人だ。


 DMで電話番号を教え合った。恋人がいたように思わせたいとお願いをした。意味のない恋人同士のようなやりとりの痕跡をスマホに残した。デートした帰りに一緒に死んだように見せかけたいと言った。だからゴールデンウィークにここに来た。帰りに一緒に死ぬ約束もしていた。


 ――飛び降りで。


 転生した時は覚えていなかった。そんなやりとりをしたことさえ忘れていた――忘れ、させられていた?


 誰に?

 女神に?


 どうでもいい。

 自分がどれだけ幼かったのかを知る。最後に誰かにちょっと甘えて、死んで全部終わりにできたらいいなんて。


 バカみたいだ。


 ここは現実?

 まだ生きるの?

 どうやって生きる?

 何を目指す?

 全部なくなった。

 大切なもの全て。


「落ち着きましたか、ナタリー」

「え?」


 目の前の男――園崎そのざき幸広ゆきひろが、私の名前を呼んだ。


「未来、と呼んだ方がよろしいです?」

「ふっ……、あなた、そんなしゃべり方していなかったでしょう」


 この口調……声の調子、トーン、しゃべり方、全部――、イグニスだ。


 大事な人。

 ずっと側にいてくれた人。

 涙がこぼれ落ちる。


 ゆっくりと観覧車は上へとのぼっていく。上へ上へ――他の誰からも顔を見られない高みへと。ガタゴトと小さな機械音を立てながら私たちを上まで押し上げる。


「実はあなたまで転生者だったわけ? 一言もそんなこと言わなかったじゃない」

「違いますよ。あそこにいた時に、ここの記憶はなかった。突然今、あちらの世界の記憶が降ってきたんです」

「なにそれ……」

「でも、たぶん転生とは違いますね。こちらの個性の方が強い。まるで夢だ。俺、園崎幸広が向こう側にいた夢をみた。そんな感じです」

「……イグニスではないってこと?」

「イグニスの記憶をもつ園崎幸広ですよ」

 

 イグニスそのままじゃない。


「それにしては、しゃべり方が変わっていないわ。イグニスのまま。幸広じゃないわ」

「はい、頑張っています」

「……頑張ってるの?」

「未来に好きになってほしくなりました」

「は?」

「たった今」

「なにそれ」

「イグニスのふりをすれば、もう少し生きようとしてくれるかもしれない。好きになってもらえるかもしれないと」

「一緒に死のうとしていたのに?」

「死ぬ気がなくなりましたよ、たった今。でも、未来のこと、ちょっとばかりは元々可愛いなと思っていましたよ?」

「ふっ……」


 笑ってしまう。


 若い男の子だ。工場勤務。大学に行きたかったのに親に反対されて行けなかった男の子。仕事も肌に合わなくて死んでやろうと思ったとか。今はすらすらと思い出せる。


「……祖父母宅も会社から遠くないので、いったんそっちに住まわせてもらえるよう動いてみます。今は親に搾取されているので一人暮らしするにも金がない。もう一度勉強もして、奨学金でも借りて大学に入れるよう動いてみます。親の反対ごときで屈していた私が馬鹿でした。もう少し……あがきます。そんな気になりました」

「……そう」


 やっぱりイグニスそのものではないのね。


「未来はどうします? 恋人になら今すぐにでもなりますよ、本物の」

「…………」


 私たちは護衛らしく死んだ。

 求めていた、最高の最期だった。


「ナタリー、一緒に生きてくださいとお願いしたでしょう? あなたは一緒に生きると言ってくださった」

「……幸広の個性の方が強いのよね」

「はい」

「イグニスの個性を利用していない?」

「していますね」


 頷いたら、どんな毎日になるのだろう。

 たまに恋人の勉強を邪魔しない程度にデートをして。電話をして。甘えちゃったりして。もうたくさん生きたのに。かなりの年月を過ごしたのに。


 ――それなのに、平和ボケした恋する少女の真似事をしたくなるなんて。


「幸広らしく告白してよ。そうしたら考えるわ。考えるだけ」

「えー……」


 彼が右手を頭にやって、真剣な顔をしながら空中を凝視している。悩んでいるのだろう。その間に私も悩む。これからどうしようかと。


 イグニスとは十分に最後まで生きた。本当にあれで終わりでよかった。でも……まだ生きなければならないのなら、この人との繋がりは絶ちたくない。


 何回も死んだだけあって、妙に冷静だ。


「うーん。俺さ、やっと強い嫉妬から解放されたんだよ」

「……どういうこと?」

「全部の記憶が突然入ってきたんだ。未来がナタリーの記憶を思い出して大混乱している間、俺も大混乱していたんだよ」


 そう、幸広はこんな口調だった。

 

 ……って、真顔だったじゃない。フリーズしていたってこと?


「なんか知らねーけど、タロットのアドバイスは口から勝手に出ていたんだ。イグニスの人格はもったままな。で、あの白い世界のイグニスは全部見てた。ナタリーが最後のループをする前のあいつの記憶も全部ある。だから、これでやっとイグニスの嫉妬は消えたわけだ。全部俺の頭に集まってきた」

「……イグニス、死ぬまで嫉妬していたわけ? しつこくない?」

「しつこいんだよ。知ってただろ」

「そこまでとは思わなかったわ」


 全部の私を見たかったと言ってた願いはやっと叶ったのね。幸広になっちゃったけど。


「これであなたとくっついたら、余計にイグニスは嫉妬するんじゃない?」

「イグニスは俺だよ!」

「そうかな……」


 記憶があるだけじゃない?


「で、イグニスの記憶をもつ俺は、あんたと付き合いたい。幸せにしたい。甘やかしたい。いっぱい好きだって言いたい。いきなりそんな気分になった」


 イグニスに引きずられているわね。

 

「……もう十分聞いたわよ?」

「俺がそうしたいんだよ! やっぱ学歴がないと駄目か? なんとか大学にも入るよ。勉強はそれなりにできた方ではあるんだ。悪くはない、悪くは。今からなら間に合う」

「……若いわね」

「若いんだよ!」


 どうしようか……イグニスの記憶を持つ彼に他の女性と付き合ってほしくはない。思い出も共有したい。


 ミセル様はもうどこにもいないのかな。

 私は……。


「未来。もう誰も殺さなくたっていい。死にたいなんて思ったら俺がすぐに駆けつける」

「……自分も死ぬつもりだったくせに」

「うるさいな、たった今その気がなくなったんだよ!」

 

 人付き合いはあっちでも最後まで苦手だった。この世界では、この人とくらいしか恋人にはなれないかもしれない。


「じゃ、友達から始めましょう。恋人になるかは気分次第ね」


 他に渡したくない。理由はそれだけだ。


「えー……、そりゃねーよ。くっそ、やっぱりイグニスの力を借りるか」

「借りないで」


 ゆっくりと進んでいた観覧車は真上に。

 あの場所とは違う。

 まったく違う世界だ。


「ま、死ぬ気がなくなったんならいいや。友達から始めるか」


 そう言われると、わずかにがっかりする。私も勝手なものだ。


「たださ、イグニスの思いも強いんだ。伝えたかった言葉がたくさんある。俺はやっぱりあいつでもあるんだ」


 彼は……イグニスなのか幸広なのか。


「ナタリー、あなたには幸せになってほしい。わざわざ堕ちる必要なんてなかった。もし次に生を受け、ミセル様の生まれ変わりと共にいるのが幸せなら――」 

「もうナタリーは死んだのよ」


 彼の言葉を遮る。


 生まれ変わりがあるとしたら、ミセル様にもイグニスにも幸せになってほしい。歪みなんてなく光だけが射す道を歩んでほしい。


 でも、ナタリーは死んだ。

 ミセル様のために生きる彼女は死んだんだ。

 イグニスも死んだ。

 私と最後まで生きて、死んだのよ。


「城之内未来と友達から始めましょう」

「ああ。あんたは一仕事しないといけないもんな。手伝うよ」

「どんな一仕事よ」

「クラスメイトに『恋人がいるのよ、私!』と勝ち誇るんだろ?」

「うっさいのよ」


 まだ十五歳。

 そんな十五歳だった。


 恋人がいるのよといい気になってみせる、そんな少女のふりを――ここでならできる。

 

 ♠

 

 ゴールデンウィーク開けには高校に行った。


 全校集会があり、クラスメイトの天野咲月が亡くなったことを知らされた。ゴールデンウィーク中に、弟を助けようとして川に流されたらしい。弟はどうにか通行人が助けたようだ。


 天野という名字は知っていた。みんなに「あまのん」や「あまちゃん」と呼ばれていたから。下の名前は知らなかった。あのゲームについて布教めいたことを話していたあの子だった。


 きっとパルフィは、私がクラスメイトの城之内未来だと確信していた。だから名前しか教えなかったんだ。私に死の記憶がないことを知って、戻る可能性があると考えたのかもしれない。意味深だった彼女の言葉の辻褄が全て合うことに気がついて――。


 私は泣いた。

 体育館でわんわんと泣き崩れた。クラスに戻ってからも泣き続けて、その日は早退した。


 クラスメイトからはたまに話しかけてもらえるようになった。仲よかったのと聞かれて、偶然外で会った時に好きな人について相談したと答えた。


 恥ずかしくて恋人とは言えなかった。たまに進捗を聞かれるようになった。私は以前より雰囲気が柔らかくなったらしい。人との付き合い方を知ったからだと思う。


 私はこの世界に馴染み……親からの関心がないことについても何も思わずに済むようになった。お金は払ってもらえるし進学についても文句は言われない。それで十分だと。


 自分を一人でも好きでいてくれる人がいるのなら、強く生きていける。


 あのゲームをやる気にはなれなかったけれど、ついネタバレは読んでしまった。ミセル様のお母様は、歪んだ形で彼を愛していた。自分とは違って愛し合う人と結ばれてほしかった。だから、私がいつでも結婚できる年齢になり――消した。


 勝手に息子の婚約者を決めた夫への当てつけもあったようだ。早く消しすぎてもまた夫が新たな婚約者をあてがうだけ。だからミセル様の発言力も増していたあの時期だったようだ。それがゲームの真相。


 私がループしていた時に殺された理由は分からない。同じ理由だったかもしれないし、違うかもしれない。私が主従両方とも手玉にとっているように見えたのかもしれない。


 ゲームにおいて王妃様を葬ったのはイグニスだ。突然あの人の前に現れて「体調が悪いようですね。薬でも飲みますか」と毒薬を持って現れる。王妃様はミセル様の差し金だと察して言うんだ。「あとで飲んでおくわ。それでこそ次期国王ねとミセルに伝えておいて」と。


 ミセル様はその歪んだ愛情にも気づいていて――自分がそうすれば自死するだろうと確信していたに違いない。過去の思い出話をする彼は複雑そうだった。


 あの世界でどうだったのかは幸広が全て知っているだろうけど、聞く気にはなれなかった。私が調べたことも言わないつもりだ。あの世界のことを口に出して深く持ち込むのは躊躇いがあった。


 私はもう、ナタリーではないから。


 ここでは前のような生き方はできない。問答無用で私はぬるま湯に浸かったような生活をして――それに違和感も持たなくなっていた。


 ♠


 天野咲月はあの時に、女神に願った。


「決められた未来なんてなぞりたくない。だってそれが、生きるということでしょう? 私は生きたいの。もっともっと生きていたかった。だからここでも私は私らしく生きる。望みが叶うというのなら、彼女の死を回避させて」


 ――よかろう。彼女が彼女のままなら死は回避できない。新たな生をナタリー・モードゥスにも――。


「ねぇ、女神様。ナタリーとして新たな生を受けるのもまた転生者なら、まだ生きている子にはできないの?」


 ――夢を見せてやることはできるが。


「私の生は終わってしまった。それなら、まだ未来のある誰かに何かを残したい」


 ――一生を終えれば、さらに生きることに意味など見いだせないだろう。


「それを決めるのは、あなたじゃない」


 女神は何も答えない。

 世界は白く塗りつぶされ――、天野咲月は現れた。ナタリー・モードゥスが死なない世界へ。


 ♠


 あれから、十二年が経った。


「……どうだった?」


 黒髪に黒い瞳の彼が、診察室から出た私を見てすぐに立ち上がった。


「妊娠していたわ」


 今の名前は、園崎未来だ。


 未来という名前はそんなに好きじゃなかった。未来に夢も希望もないと思っていたから。


 でも、今は気に入っている。彼の名字と合わせると音が「その先の未来」のようで。なんだかすごく希望を感じる。そこは両親に感謝してもいい。愛してくれる人がいる今、変に干渉されるより無関心の方がありがたいとすら感じている。


 どちらの家にも里帰りはできないけど、私は幸広と一緒にいたい。あの無限のように感じた地獄のようなループは、私に未来をくれた。


 二人で超音波写真を見る。まだ胎嚢しか見えないけど、私の赤ちゃんだ。


 ――パルフィ、私に人生をありがとう。あなたがナタリーの生きる世界を望んだから、私はここにいる。


 私はもうどこか別人で。

 パルフィもミセル様も他の皆も、記憶はなくなっていて別人になっていたとしても、この世界のどこかにいて、幸せに過ごしていたらいいなと思う。


「名前はどうしよっか、幸広」

「男の子と女の子、両方考えないとな!」


 私たちの先は何も定まらず決まったものはない。無限の可能性に、満ちあふれている。

 

 ふと思い出す。

 イグニスにはたまに、タロット占いをお願いしていた。死を迎える前に最後に彼が示してくれた未来は「運命の輪」の正位置だった。


 幸せの車輪がまわる。

 まだ見ぬ世界が開ける。


 彼は晩年、


『もし――、あなたがまたどこかの世界へ転生したとして』


 と、仮の話をよくしていた。

 

 予感がしたのだろうか。

 新しい世界の幕開けの。


「家族が増えるな」

「ええ、楽しみね」


 待合室で二人並んで、笑い合った。



【完】

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