第5話 試される覚悟
あれから、何日も経った。あちこちの青あざや怪我が治るまでは何もさせてもらえなかった。私の世話は護衛待機所で持たせていたルナに全て担わせてくれたので、楽に過ごせはした。
そうしてやっと怪我のあとが消えたと思ったらイグニスに呼ばれた。
「ついてきてください」
王宮内の別棟の地下。
――独房だ。
情報を吐かせなければならない罪人を捕らえておく場所。侯爵家にもあった。
「引き返すなら今しかありませんよ」
檻の中にいる誰もが、瞳から生気が消えている。未来は拷問と死しかない。そんな場所だからだろう。
大きなナイフを渡された。当然ながら刃こぼれ一つ無い。切れ味がよさそうだ。ガチャリと一つの鍵をイグニスが開ける。
「こいつ、何をしたの?」
連れてこられた檻の中には、男が一人。
両手は拘束具で壁に繋がれている。首にも金属の輪っかが嵌められている。酷い拷問があっただろうことはその様子から分かる。
「必要な情報を吐き終わりました。あとは始末するだけですよ」
やっと死ねるという顔をしているわね。
「罪は?」
「重い罪でないと消せませんか?」
試されている……。
「もう一度言います。引き返すなら今しかありません。ミセル様も引き返してよいとおっしゃっていますよ」
私は自分が生きて死ぬために、人を殺さないといけないのね。
分かっていた。
だからここに来た。
こんな……ループを繰り返す場所、現実であるはずがない。終わらないただの夢。なのに、どうして震えるのだろう。あれだけ決意したのに……。
「戻りますか」
この世界で死を迎える時とは違う。私にははっきりと二つの選択肢がある。
戻るか。
戻らないか。
ループしても記憶は消えない。私が人を殺した過去はどうしたって消えない。場合によっては寿命よりも長い間、ループを通して自分を苦しめるかもしれない。
「戻らないわ」
手の震えはおさまらない。
私は殺せるの……。
「今なら戻れるんですよ」
ポタリと汗が落ちる。
変に体が熱いのに冷えている。
「選択肢があるって恵まれているわね」
ここで死を迎えるたびに私は強制的に生かされる。何度も繰り返してこれしかないと思ったのに……それなのに、躊躇うなんて。
「どうでしょうね」
「え?」
「選択肢のないそいつの方が、今のあなたよりも楽そうです」
……そうなのかもしれない。
イグニスはどうなのだろう。誰かを殺す選択しかできずにこれまで生きてきたのではないだろうか。
「私が憎くないの、イグニス」
「なんの話ですか」
「選択肢のある私を憎くは思わないの」
後ろを振り返ると、いつも通りの冷淡な顔。それなのに鋭利なナイフを突きつけられているような圧力を感じる。
「あなたには、なんらかの事情があるのでしょう」
「…………」
「調べましたが、何も分かりませんでした」
でしょうね。
「ですが、何かはあるのでしょう。分かっているのは、短期間で鍛えたにしては動きがよすぎること。何年もの間、鍛錬している実力です」
……ルナにも天才だと言われた。でも、鍛えては殺されてを繰り返しただけで、実際には凡才だ。
「でも、全てどうでもいいことです」
軽い調子で彼が言う。
「事情があろうとなかろうと、天才だろうと凡才だろうと。こいつはあなたがどうしようと死にますし、あなたが護衛に加わろうとそうでなかろうとご主人様は私が守るので無傷です」
「それ以外はどうでもいいって?」
「その通りです。あなたが引き返そうとそうでなかろうと、何も思いません。ミセル様もです。あなたはまだ引き返せる」
……やさしい人。
私の話す理由に納得していない。自分の主人に護衛としてつくのなら、不明点なんて残したくないはずだ。拷問してでも事情を聞き出したいだろうに。
ミセル様もなのかもしれない。イグニスに――聞き出せと命令していない。
「……殺し、たいですか?」
したいからでないと許さないとプレッシャーをかけてくる。私が後悔しないように。
残酷でやさしい人。
「ええ」
私の青あざや傷が消えるまで待っていたのは、引き返せるようにだ。何もなかった顔をして侯爵家に戻れるようにだ。
もしいつか私を殺すのが彼らだとしても――今はとてもやさしい。
「ここは、あなたが来ていい場所ではありません。汚れて堕ちて……もう戻れなくなってしまう」
少し驚いた。
彼が悲しそうだったから。
もしかして彼は個人的にも私にこの世界へ足を踏み入れてほしくはなかったのだろうか。
ナイフを持つ手に力を入れる。
これを終えたら、おそらくすぐに婚約は破棄される。断末魔と血飛沫を浴びて、私は自分で選んだ地獄を歩くんだ。
「私は自ら望んで堕ちるのよ」
震えは止まった。
彼が悲しそうにしてくれたから。
それでどうして震えが止まるのかは分からないけど――あとは突き刺すだけ。
――この時から、彼は私の上司となった。
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