第3話 交渉
いつものミセル様とのお茶会の場で、給仕してくれていたイグニスが部屋から出ていくのを止めた。
お二人ともに聞いていただきたいことがあると言って、覚悟を決めて口を開く。
「ミセル様、私はあなたの婚約者であることをやめようと思います」
「…………は?」
私のいきなりの宣言に少し目を大きくした金髪碧眼のミセル王子は、気を取り直したように柔和な表情に戻った。
「ふむ……君は僕の婚約者であることをやめたいと考えているんだね。それで?」
「婚約を破棄していただきたいのです」
「……君はそんな愚かなことを言い出す子だったかな。婚約は互いの両親が決めたことだ。僕たちの意思でどうにかなる問題ではない。そんなことくらい知っているはずだ」
そうね。私になる前の私、ナタリー・モードゥスはそう考えていた。
今はミセル・ノヴァトニー王子の私室にいる。どこもかしこも豪奢だ。彼の後ろには従者のイグニス・レカルドが佇んでいる。やや長めの藍の髪に金の瞳の侍従長であり護衛頭であり執事という肩書きを持つ。
「ええ、通常はそうでしょうね。ただし、私に著しく問題があった場合には婚約破棄もまっとうだと受け入れられるでしょう?」
「……著しい問題でもあるのかな」
「ええ。私はミセル様の隣で妃として支えるよりも、あなた様を盾としてお守りしたいのです。ミセル様に忠誠を誓い、護衛として生きることが何よりの願いです」
――これしかない。
私が生きる方法はこれだけだ。
……いや、少し違うか。ループを繰り返さずに生きて死ぬ方法はこれしかない。未来の内情を探り自分もあのメイドに勝てるほどに強くなり、第一王子の婚約者という肩書きを捨てる方法はこれしか考えつかなかった。
それに、私を殺す犯人が彼なら側にいた方がボロを出してくれるだろう。私に殺意をもつ人さえ分かれば、今回殺されたとしても問題はない。どうせ……またリセットされる。
ミセル様の前に跪く。
「そのために鍛錬してまいりました。イグニス侍従長には到底敵わないとは存じますが、お手合わせをお願いしますわ。私の実力をお試しください。そしてぜひ、婚約を破棄していただき、ミセル様の護衛に私も連ねていただきたいのです。私の意思を汲んでの婚約破棄、お願いできますか?」
彼が目を細める。
私が最近鍛錬に勤しんでいることは、耳に入っていたのかもしれない。
「聞きたいことはたくさんあるけど……円満な婚約解消を目指さず、一方的な破棄を望むのはなぜ?」
「私の両親を説得するには時間がかかりすぎるからですわ。私の鉄の意志を汲んで、ミセル様の一存で破棄していただきたいのです」
「……意味が分からないな。どうして君は――」
目にも止まらぬ速さで、隠し持っていたナイフをシャキッと構える。瞬時にイグニスが前に出てきた。やはり私以上に凄まじい速さだ。ヒロインの攻略対象者の一人だけあって、設定通り常人離れしている。
「いつでも、手合わせの準備はできていますわ。お願いいたします」
太ももに巻いたベルトにつけてある武器もチラリと見せた。婚約者であるせいで身体検査などはされていないから持ち込めた。
「確かに、身のこなしは鍛錬を積んだようだね」
「ええ。分かっていただけたのなら光栄です」
「それで、理由は?」
「あなた様の盾に――」
「僕に対して、そんな忠誠心は持っていなかったはずだ。本当の理由を教えてくれ」
……やっぱり一筋縄ではいかないか。なんて答えよう。
「生きていたいのです。私が生きていると感じられるのは、そちら側です」
具体的には、生き延びてループせず確実に死ぬためだ。
彼にこんなに凍ったような目で見られるのは初めてだ。いずれ、婚約者を殺しそうに見えなくもないのかな……。犯人はあなたですかと聞きたいけれど、まだ事件は起きてもいない。
「淑女の教育を受けた君に、あちら側の任務に耐えられるとは思えないけど」
「これでも貴族です。裏側は知っていますわ。ミセル様のためならなんでもします。この手で誰かに裁きの鉄槌を下すことに躊躇いもありません」
まだ人を殺したことはない。さすがにそんな経験は積めなかった。でも、覚悟はある。凍てついた目を初めて私に向けるミセル様に、真っすぐに私も視線を返す。
私は自分の存在を消滅させたい。そのためには何がなんでも生きなければならない。
「証明してみせましょう。私の意思をお試しください」
ミセル様がイグニスと目配せをして、私にいつもの愛想笑いを向けた。
「場所を変えようか、ナタリー」
この世界に転生したのは、十五歳の夏だ。
高校一年生――、孤独の中で私は知らないどこかの誰かと一緒に無になることを選んだ。
今も十五歳。けれど、度重なるループの中で過ごした年月で数えると何歳なのかはもう分からない。
「ええ、ありがとうございます」
――今度こそ生きて、そして確実に死んでみせるわ。
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