第18話 甘酸っぱくもない話(後編)
「今日ホワイトデーじゃん?」
「あ、そうだっけ?」
待ちに待ったつくねがきたのでちょっとだけ気分が上昇した頼子は八束の問いかけに、そう答えて、はっとなった。
(そういえばそうか)
会社チョコレート配りの呪縛から解き放たれて数年。そういえばそんなイベントがあったことをすっかり忘れ去っていた。
一応父には義理で差し上げはしたが、たぶんお返しなどないだろう。
「お返しもらった?」
「むしろ上げてない」
「うっわあ予想どおり枯れてる」
指をさして笑われて、イラっとしたが今はそれよりつくねだ。
別容器に添えられた卵黄に割りばしを突き刺して膜を破る。
とろっと広がる卵黄の海に、どぼんだ。卵黄の海からサルベージしたつくねを串ごとぱくり。
(うっわあ、さっき夢見た味だ!)
たれもおいしい。つくねもふんわり、たまにこりっとした触感にたどり着く。
美味しい、美味しい。ミルフィーユというよりはマトリョーシカ? とか? なんか違うかも。
「そういうそっちは?」
「だから振られたし」
「チョコもらったのに?」
「チョコもらった翌週に振られた」
「やーい」
やられたことはやり返しておく。
八束に指をさして鼻で笑い飛ばしてやったが、あんまり楽しくはなかった。
「お返ししたかったけどさ、着拒されてんだこれが」
「なんでこの話題でそんな楽しそうに笑えんの?」
聞いてる頼子は全然笑えない。
笑うしかないとかそういう悲壮感溢れる感じだったらまだ理解できるけど、それすらないから反応に困る。
「だから代わりに頼ちゃんにお返ししようと思って」
「それで奢り? 私チョコ上げてないけど?」
「何年か前のバレンタインデーに奢って貰ったことを思い出しまして」
記憶を探るが八束に奢った記憶なんて見つからない。
奢ったことはあるが、全部返してもらっているはず。債務なし。後腐れなし。
「じゃ、遠慮なく」
だが、本人が奢りたいというのならば全力で乗っかってやる。
あぶく銭だという話だったし、お返しって意識だったらこれで貸し借りなしですっきりさようならできるはずだと頼子は考えて店員さんに見えるようにすっと手を挙げた。
「すみませーん!」
雄鶏のお尻のお肉、ぼんじり。
歯ごたえがあって、アブラギッシュ。これは絶対たれ味が勝つ。絶対に異論は認めない。
こってり×こってり、油の甘味とたれの甘味が口の中で交じりあう。ぼんじりの油が溶け込んだたれだけ舐めたいぐらい。
焼きたての焼き鳥をほおばりながら頼子は感嘆の息を漏らしていた。
そうだ、焼き鳥に罪はない。おごってもらっても罪悪感を感じる必要はない。
次はささみ。柚子胡椒と梅と両方あって、悩む時間が勿体ないと両方注文。
こっちは塩。あっさりした味わいの中に梅干しの酸っぱさ、そして柚子胡椒の香りが生きる。
こっちもおいしい。
口直しのトマト。
トマトスライスにマヨネーズが添えてあるが、ここはあえてマヨネーズは無視で。
そのままのトマト。さっぱりと口直しをして――次!
「容赦ないな、頼ちゃん」
「お酒は飲んでないからいいじゃん」
「えー酒の方がメインでしょ」
「焼き鳥がメイン」
だってあんまり焼き鳥専門店って行かないし。
お酒は明日の楽しみに取っておくのだ。珍しくウーロン茶を注文して次は何にしようかなとメニューを眺めた。
(内臓系、か)
ちらっと八束を見やる。
確か八束は贓物が得意でなかったはず。しかも人が食べているのを見るのも嫌なタイプでめちゃくちゃ嫌そうな表情をしていたような。
(やめとくか)
あの顔をしている人間の前で美味しく食べられる気がしない。
そういうところも、八束は我儘で面倒臭い。
(でもそれに付き合ってあげちゃう自分も、ちょっとアレなのかも)
ただ、目の前にいる人が不快に感じていたら食べるものも飲むものも美味しくなくなる。
それは、どうせ飲むなら楽しく飲みたいと思う頼子の心情にはそぐわないもので。
でも、この"人生の汚点"にそこまで付き合ってやる必要はあるのだろうか。
(それでも、贓物はなしで。ごはんものも食べたいな~。テッパンのお茶漬けかおにぎりかな)
当然〆ではない。ご飯を食べてからもう一度デザート感覚で焼き鳥だ。
そういえばもも肉を食べてないから。
「あ、そうだ。頼ちゃん、これもあげる。ハッピーホワイトデー」
お前と飲んでいる時点でアンハッピーだけどな、と反射的に口にしそうになってそれはさすがにトマトと一緒に飲み込んだ。
八束が差し出しているのは、ラッピングされた何かだ。プレゼントみたいな?
「元カノへのお返しを用意してたんだけど連絡つかないし。頼ちゃんかわりに食べてよ」
「お菓子?」
このまま捨てられるのは忍びない。
本当は「いらん!」と突っ返したい気持ちもあるがしぶしぶ受け取る。
許可も得ずにラッピングを解いて中の箱を取り出して開けてみる。
ビー玉のよりも少しだけ小さい色とりどりの丸いお菓子が宝石のように並んでいてすごく見ているだけで楽しい。
女子が好きそうなお菓子だと思いつつ八束に視線をやった。
「え、本当にこれやっつんが選んだの?」
「なんかバカ高いブランドチョコもらったからさすがにちゃんと買わなきゃいかんかなと思って」
「やっつんがそんなに人っぽいことするの!?」
思わず本音が出てしまったが、仕方ない。
八束に付き合っている恋人に対してお返しするという概念が存在していたことも驚きだったが、こんなに可愛らしいお菓子をセレクトできたのも、驚きだ。
「俺は人ですが?」
かなりひどいことを言ってしまったと頼子にも自覚があったが、言われた八束はやはりケラケラ笑っているから気にしてやる必要もないかと思い直す。
「でも、お高いブランドチョコもらったらお返しはブランドのアクセサリーとかじゃないの?」
「え? なんで菓子もらってアクセサリーで返す必要があんの?」
(こういうところが……!)
「チョコ以外にも何かもらったんでしょ? 彼女なんだし」
「趣味の合わないタイピンとカフス」
「やっぱり……」
八束の性格を考えたらチョコ以外を送るのは悪手だが、彼女だったら恋人に何かを送りたい、喜ばせたいと考えるだろう。
「あれに対してお返しって。いや、無理ゲーだわ」
「もうちょっとだけ人間に寄りなよ、さすがに人でなしと言わざるを得ないよ、その発言は!」
八束だから、で飲み込むには限度がある。
さすがに頼子が苦言を申し立てるが八束はわかっていないのか、「マジで?」を繰り返している。
八束だから何を言っても無駄だ。そう結論づける。
最低な輩だとはわかっていたから、もうそういう奴だと思うしかない。
「これってボンボン?」
「あ、知ってた? ボンボンっていうとチョコレートってイメージだけど、砂糖のがかわいくて女の子向けかなって」
やや白みががったピンクや緑色の殻の中にはウイスキーが包まれているはず。小さい丸い形のそれらはまるで宝石のようにも見えて美しいし、可愛らしい。
確かにチョコレートの方がポピュラーではあるが、ホワイトデーのギフトとしてはこちらの方が華やかでふさわしいように思えた。
「やっつんにしては趣味がいいなぁって思った。けど、彼女お酒ダメな人じゃなかったっけ?」
「あぁ、そういやそうだっけ」
(こいつ本当にどうしようもないな……)
ウーロン茶にしといてよかった。この話を聞いた今、おいしく飲める自信がない。
「つまり、彼女と別れて頼ちゃんの手に渡ることを俺の第六感が感じ取っていて無意識に購入したってことで!」
「きれいにまとめようとすんな!」
さすがの頼子も思わずツッコミを入れる。
「前言ったじゃん。お酒にお菓子に混ざってんのって好きじゃないの。どうせアルコール摂取するならまんま酒って形がいい」
「さっすが頼ちゃん、わかりやすくて最高!」
どうでもいいが褒めるところじゃない。
多分八束は酔っているのだろう。ずっとにこにこして楽しそうなのは酔っているせいだ。
酔ってるってことにしたい。こんな話題で素面で笑ってたら怖すぎる。
絡まれるよりも前に解散した方がよさそうだ。
宣言どおり、全部八束がおごってくれた。
文句を言ってしまったが、お菓子も貰ったし奢ってもらったし、関係を絶つつもりでいたがなんとも切り出しにくい。
店の外に二人とも出て、まずはお礼からだと頼子は頭を下げた。
「ごちそうさまでした。お菓子もありがとう。それで、やっつん、あのさ」
「頼ちゃん、もし俺たちが40越えて――うーん、やっぱ50で! 50歳越えてお互い一人だったら結婚しない?」
「……ちょっと待て、なんで今言い直した、年齢!」
なんか釈然としないものがあり、問い詰める。
問い詰める前に拒否るのが先だろうと思ったが、それよりもひっかかったのはそっちだ。
40じゃ結婚していない可能性が高いと踏んだのか、今!
「なんか、40歳の頼ちゃんは普通に独身だろうなぁって思って」
「喧嘩売ってんのか! っていうか、したくないんだったらそういう冗談を言わないでよ! ぞっとするから!」
「50歳になれば俺も人恋しいとかって気持ちがわかるかなぁって」
(絶対嫌だ!)
例えアラフィフになって、アラ還になって売れ残っていたとしても、コイツと家族になるなんて絶対嫌だ!
激しく首を横に振って否定する。
絶対お断りだ! 死んだ方がまし!
「例えば、死ぬか俺と結婚するか選んでって言われたらどうする?」
「死ぬ!」
「即決かー。じゃあ、一生禁酒か俺と結婚するかどっちか選べって言われたら」
「き、……きん、っきんっ!」
究極の選択すぎて選べない頼子を見て八束は大声で笑った。
だから笑えるような話じゃないのに、と頼子は八束を睨みつけたが全く動じることはない。
「ま、いいよ、俺も頼ちゃんとは付き合いたくないし」
「え……え、ああ、うん、すごく助かる」
普通に普通の人から言われたセリフだったら傷ついたかもしれない。が、相手は八束だったと思いなおした。
助かる、その一言だ。ありがとうと言ってやってもいいかもしれないが、なんかそれも変な話。
「じゃあ、このまま縁も切っとこうか!」
八束を真似て極力明るい声音で頼子は提案してみた。
今日一番言っておきたかったことだ。
「ほらほらやっつん、スマホ出して。電話帳開いて連絡先削除しよう? 簡単でしょ?」
スマホを出せ、というのに出そうとしない八束に焦れながらも自分のスマホを取り出す頼子に、八束は笑いが止まらないようで腹を抱えはじめた。
「いいじゃん別に。どうせ頼ちゃん彼氏もできなさそうだし。たまに遊んでよ」
「お断りだ! そもそもなんで私に彼氏ができないと言い切れるわけ?」
「そういうとこ。いやあ、本当に、頼ちゃんと飲むのは楽しいなぁ~。また遊びましょう~!」
「どういうとこ!? ちょっと待て! やっつん、ちゃんと説明してからにしてよ、気持ち悪いから!」
「はいはーい、そんじゃまた!」
そう言って手を振りつつ八束は大通りに向かって歩いて行ってしまう。
「どういうところかはまた今度会ったときに説明してあげるから!」
「……いや、ちょっと、待って……」
大通りに出たとたん、八束はタクシーを掴まえてさっと乗り込んでいった。
八束はやたらとついている男だ。この週末にさっと流しのタクシーがつかまるあたり、本当についている。
が。
「え……? ええ……? えー?」
一人残された頼子は呆然と立ち尽くすしかない。
関係を絶てないどころか思わせぶりなことを言われてしまって、頭がフリーズ状態だった。
彼氏できないって、あんなにはっきり言うか? 普通?
「着拒だ」
すかさず着信拒否。もうそれでいい。
彼氏ができない理由なんてどうでもいい。"人生の汚点"は拒否リスト。
「絶対! 絶対! 50歳までには結婚してやるぅ! 絶対にだ!」
死んでもいいが、禁酒は無理だ。
だから絶対にまともな彼氏も作るし、結婚だってする。
早春の曇った夜空を見上げ、頼子は力いっぱい誓った。
それから一週間後、謎の番号から「着信拒否したって無駄だよ、頼ちゃん」とSMSが届いて頼子の肝を冷やす出来事となり、"人でなし"と名付けられたその謎番号も拒否リストに放りこむことになったが、またそれは別の戦いの話。
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