第41話

 コテージに帰った私は、リビングのソファに倒れ込んだ。


「……ご飯の味がしなかった」


「ごめん! 朝陽あさひ

 お母さん、私のスマホのロック外しちゃったの!」


 私はよろよろと起き上がって早苗さなえに応える。


「隠す努力はしてくれたんでしょ?

 それならもういいよ。しょうがないし」


 マスターも眉をひそめて困ってるみたいだった。


「どう言えば理解してくれるだろう」


 歩美あゆみが首を横に振っていた。


「秀一さんが見えない人には、どう見てもカップルだったはずよ。

 その上に写真付きだもの。弁解の余地はないわ」


「そうか……」


 インターホンが鳴って、マスターがエントランスに向かう。


 少しして、マスターと一緒に入ってきたのは――案の定、お母さんだった。


 浜崎のお爺さんと秘書さんも同伴してるみたいだ。


「すまんが、早苗さなえさんと歩美あゆみさん、それに孝弘は部屋に戻っていてくれ」


 みんなはうなずいて部屋に入っていった。



 ダイニングキッチンで私とマスター、お母さんと浜崎のお爺さん、秘書さんがテーブルに着く。


 浜崎のお爺さんが口を開く。


「事情は伺った。

 今回のことを、辰巳たつみはどう考えているんだ?」


 マスターはテーブルを見つめながら応える。


「……やはり、言い訳のしようがないかと」


辰巳たつみは喫茶店のマスターとして、バイトの朝陽あさひさんを預かる身だ。

 それもきちんとわかっているね?」


「はい」


「では、とるべき道もわかっているね?」


「はい。朝陽あさひさんとは、清く正しい交際を続けられたらと」


 お母さんが頷いて告げる。


小金井こがねいさんの口からそれが聞けて、ひとまず安心しました。

 ではこれからも、朝陽あさひを預けても大丈夫だと、信頼してもいいと言えますか?」


 マスターがお母さんの目を見てうなずいた。


「それにかけては、神に誓って」


 浜崎のお爺さんが小さく息をついた。


伊勢佐木いせざきさん、何かあれば儂が全責任を取る。

 だからここは、儂に免じて辰巳たつみを信じてやって欲しい」


 お母さんが浜崎のお爺さんを見つめた。


「それは、浜崎さんの力で『きちんと小金井こがねいさんに責任を取らせる』と受け取って構いませんか」


「ああ、その解釈であってるよ。

 心配はいらないと思うが、万が一の時でも安心して欲しい」


 お母さんが深くため息をついた。


「――朝陽あさひ、恋愛が楽しいのもわかるけど、勉強もおろそかにしないでね」


 私はうなだれて「はい……」と応えた。


 浜崎のお爺さんが立ち上がって告げる。


「もうこれで充分だろう。

 本人たちもよく理解している。

 あとは、辰巳たつみ朝陽あさひさんの問題だ」


 お母さんもうなずいて立ち上がった。


 マスターに見送られ、お母さんたちは自分のコテージへ帰っていった。





****


 ドゴン! とすごい音がしてコテージが揺れた。


 パラパラと天井から何かが落ちてくる音が聞こえる。


 柱に拳を叩きつけた姿勢のまま、マスターが歯ぎしりをしていた。


「――秀一め、すべて計算ずくか!」


「えっ?! これ、秀一さんの仕業なの?!」


 部屋から飛び出てきた孝弘さんが、マスターを見て驚いていた。


 体中から怒りを迸らせるマスターは、まだ怒りが収まらないみたいだ。


 孝弘さんがため息をついて告げる。


「なんだ、やっぱり葛城さんのしわざだったのか。

 九頭竜神社の神様は、縁結びの神様でもあるからな。

 トリックスターかと思いきや、小金井こがねいさんと朝陽あさひをくっつけに来てたのか」


 私は小首をかしげて孝弘さんに尋ねる。


「なーに? そのトリックスターって」


「良くも悪くも場をかき乱す神様のことだよ。

 神話じゃ珍しくない存在だ。北欧神話のロキとかな」


 いや、北欧神話とか知らないし……。


 でも『場をかき乱す』ってのは、まさに秀一さんの特性っぽい気がするなぁ。


 早苗さなえ歩美あゆみも、おそるおそる階段を降りてきた。


「何? 今の音。地震?」


 孝弘さんが歩美あゆみに応える。


「葛城さんに振り回された小金井こがねいさんが、怒って柱を殴ったんだよ。

 たぶん、朝陽あさひのお母さんに交際宣言させられたんじゃないか?」


 私は黙ってうなずいた。


 早苗さなえが「えー?! ずるくない?!」と声を上げる。


 私は肩を落として応える。


「あの話し合いの場にいて、『役得』とか思えるなら代わってくれないかな……」


 歩美あゆみは小さくため息をついて告げる。


「ともかく、明日も予定があるのでしょう?

 温泉に行くなら、そろそろ行かないと」


 私はうなずいて、重い足取りで階段を上り、部屋に戻った。





****


 温泉に行く道すがら、私はマスターに尋ねてみる。


「あんなにマスターが怒ったのに、雨粒ひとつ降らなかったのはなんで?」


 マスターが疲れたような微笑みで応える。


「ここは秀一の領域だからね。

 僕の影響力が及ばないんだよ。

 ――それより、本当にごめんね。朝陽あさひさん」


 私は首を横に振って応える。


「ああなったら、もうあれしか道はなかったし」


 早苗さなえが星空を見上げてつぶやく。


「イケメンマスターと公認カップルかー。いいなー」


「よくない! ――いや、嫌って意味じゃなくて!」


 あわててフォローしたけど、マスターはしょんぼりしていた。


「本当にごめん。

 全部、僕の責任だね。

 これじゃあ朝陽あさひさん、バイトをしてる間は他に恋人を作れないかもしれない。

 もしそういう人ができたら、いつでもバイトを辞めていいからね」


「――そんな! 私、恋愛の予定とかないし!

 『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』で働けるのが、今は一番楽しいんだよ!

 だから『辞めろ』だなんて、言わないでよ!」


 マスターが私の目を嬉しそうに見つめてきた。


「……ありがとう、朝陽あさひさん」


 私はニコリと微笑んで、マスターの目を見つめた。


 歩美あゆみがコホンと咳払いをしたのを聞いて、あわててマスターから目をそらす。


「なによ、立派にいちゃついてるじゃない」


「そういうのじゃないってばー!」


「はいはい、言い訳は署で聞きます」


「犯罪者か!」


「『イケメン捕縛罪』で『永久就職の刑』ね。

 おめでとう。ご祝儀は弾んでおくわ」


「結婚式の話なの?!

 ちょっと待って話について行けないよ!」


 気が付くと、マスターがクスクスと楽しそうに笑っていた。


「――朝陽あさひ、少し声を小さくしないと、ご近所迷惑だよ」


「はーい……えっ?! 今、何て言ったの?!」


 マスターが私に優しく微笑んだ。


「内緒。

 ――さぁ着いたよ。

 温泉に入ろうか」


 さっさと男湯に入っていったマスターの背中を、私はぼんやりと見つめて居た。





****


 温泉につかりながら、今夜のことを思い返す。


「――はぁ。色々あり過ぎて、頭がついて行かないよ」


 早苗さなえが唇を尖らせながら告げる。


「何を言ってるのよ、この贅沢もの!」


 歩美あゆみはため息交じりで告げる。


「まぁいいわ。他人のものでもイケメンはイケメンだもの。

 目の保養には使えるし」


「マスターは別に私のものじゃないってばー!」


「あら、でもマスターの心は朝陽あさひのものになってるんじゃない?

 お酒を飲んだら、あんなに強く抱き着くぐらいだもの」


「それはっ?! ――そんなの、わかんないじゃん」


 早苗さなえがバシャンと私の顔にお湯をかけた。


「まだ言うか! 理性を失くしてああなったんだから、本心に決まってるでしょ!」


「――でも! 言葉で言われたわけじゃないし!」


 早苗さなえ歩美あゆみに耳打ちをする。


「聞きまして? 奥様。態度で示されるだけじゃ不満なんですって」


「まぁ~~~っ! 贅沢ですわね。

 次は『結婚してください』しかないのに、それが欲しいのかしら」


 私は思わず突っ込んでいく。


「なんで奥様談義になるの?!」


 早苗さなえたちが明るい笑い声をあげた。


 たくさん騒いだのに、今夜はマスターが注意をしてこなかった。


 温泉から上がった後も、なんだか口数が少ない。


「……それじゃ、戻ろうか」


 帰り道も、早苗さなえ歩美あゆみに散々からかわれながら、私たちはコテージに戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る