第24話

 土曜日の午後六時前、健二は源三に連れられ、再び潮原しおはら神社に向かっていた。


 だんだんと神社が近づいてくる――そう思っていた健二の目に飛び込んできたのは、夜間も営業中の喫茶店の看板だった。


「――看板?! 店があると言うのか?!」


「ハハハ! そうあわてるな。

 今はただ、目の前にある物を素直に受け止めておけ」


 源三の言葉に困惑する健二は、押し黙って看板を睨み付けた。


 『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』とつづられた看板は、日が落ちた海沿いの通りで明々と輝いて見えた。



 リムジンが店の前で止まり、源三が車を降りる。


「お前も降りろ、健二」


 健二は訝しみながら車を降り、奥まったところにある店舗を見渡した。


 神社の敷地内だった場所はコンクリートがしっかりと打たれ、昨日今日施工されたものではない年月を感じさせた。


 本殿があったはずの場所には大きな店舗が待ち構えていて、健二を呼んでいるように感じた。


 店内を覗いてみるが、客は誰もいないようだ。


 源三と共に健二が店に近づいて行く。


 慎重に建物の基礎を確認してみるが、大道具などのまやかしには思えない。


 これでも潮原しおはら建設をグループに抱える男だ。まがい物と本物の区別ぐらいはつく。


 困惑する健二に、源三が声をかける。


「店に入るぞ健二」


 源三が扉を開けると、カランコロンと小気味よいドアベルの音が聞こえた。


 戸惑いながらも健二は、源三の後を追って店内に足を踏み入れた。





****


「いらっしゃいませ!

 『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』へようこそ!

 浜崎様ですね?」


 源三の前に、快活そうなウェイトレスがカウンターから飛んできた。


 肩までのストレートショートボブ、おそらくこれが『バイトをしている女子高生』だろう。


 源三がうなずいて告げる。


伊勢佐木いせざきさん、まだ席は空いてるかな?」


「はい! きちんとご予約通り、確保してあります!

 今日はお客さんがたくさんいるから、狭いけど我慢してくださいね!」


 健二は呆然とその言葉を聞いていた。


 どう見ても店内に客はいない。


 静かなジャズが流れ、穏やかな空気の中でカウンターには背の高い青年が一人、コーヒーを入れていた。


 カウンター席には二人のウェイトレスが待機していて、こちらを窺っているようだ。


 その近くにいる青年――孝弘に健二の目が吸い寄せられた。


「孝弘! お前ここで何をしてる!」


「なにって、ヘルプのバイトだよ。

 忙しいから手伝ってくれって言われてな。

 俺にできるのは、大したことじゃないけどさ」


 健二が眉を逆立ててカウンターにいる青年に告げる。


「貴様が店主か! いったいこれはどういうことだ!

 ここは我が浜崎家の敷地、何を勝手に奇術師まがいの真似をして店を構えている!」


 カウンターの中の青年が口を開く。


 ――だが、彼の言葉は何も聞き取れなかった。


 健二が眉根を寄せて青年を睨み付けた。


「なんだ? 口がきけないのか? 手話なぞ俺は知らんぞ。

 通訳は居ないのか」


 そばにいるショートボブのウェイトレスが、健二に告げる。


「マスターは『ようこそ健二、気分はどうかな?』って言ってますよ?」


 きょとんとした健二が、少女を見る。


「なぜ背後を向けていた君が、あの男の言葉を言える?」


 ――口の動きなど、一切見えなかったはずだ。


 少女がニコリと微笑んで応える。


「だってちゃんと聞こえてますから。

 今この場で、マスターの言葉が聞こえないのは健二さんだけですよ」


 訳がわからず混乱する健二に、源三が告げる。


「健二、そろそろいい頃合いだろう。

 お前にこれを渡してやる」


 そう言って和服の袖口から何かを取り出し、健二に手渡した。


「これはお守り……? これにいったい、なんの意味が――」


 健二の耳に、喧騒が聞こえだした。


 それと同時に、店内におびただしい客の姿が浮かび上がってくる。


 だがその客の姿が、人間ではなかった。


 顔のない老人、首の長い女性、雨傘から足が生えたもの――妖怪の類だ。


「ひぃっ?!」


 思わずあとずさる健二の背中を、源三が押し留めた。


「あわてるな小心者が。そのお守り、胸ポケットにでも入れておけ。

 ――伊勢佐木いせざきさん、席に案内してくれないか」


 ウェイトレスが「はい! こちらです!」と声を上げ、混み合う店内を器用に歩いて行く。


 源三に背中を押された健二は、恐怖でおののきながら席へ案内されて行った。





****


 私は浜崎のお爺さんと健二さんを席に案内し、メニューを広げて手渡した。


「ご注文がお決まりでしたらお呼びください」


 浜崎のお爺さんが応える。


「とりあえずブレンドを二つ頼むよ」


「かしこまりました!

 ――マスター! ブレンド二つお願いしまーす!」


 私は混み合うお客さんの間をくぐり抜け、カウンターに戻る。


 振り向いて健二さんたちの様子を窺ってみた。


 浜崎のお爺さんは初めて見るはずなのに、どっしりと構えて楽しそうに店内を見回している。


 健二さんは小さく縮こまり、怯えながら店内を見ましていた。


「大丈夫なのかなぁ?

 孝弘さんも、最初は凄い驚いてたもんね」


「うるせー! 初めてあやかしを見たら驚くにきまってんだろ!」


 不満げな声が孝弘さんから上がった。


 歩美あゆみがクスクスと笑いながら告げる。


「おかしかったわよねぇ。

 三井さんを見て『うわぁ~~~~?!』とか言って、床を転げまわって。

 いくらのっぺらぼうだからって、あれは失礼じゃない?」


 早苗さなえも楽し気に告げる。


「天狗の三枝さんを見た時も、呆然としてたよね。

 『ほんとにいたんだ……』とか言っちゃってさ!」


 私は一応、二人に指摘をしておく。


早苗さなえ歩美あゆみだって、最初は似たようなものだったじゃない。

 あんまり笑うのはかわいそうだよ」


 マスターがカウンターから声をかけてくる。


「ブレンド二つ、おまちどう。

 源三たちに持っていってあげて」


「はーい」


 私はトレイにカップを二つ載せ、再び健二さんたちの席に向かった。





****


 怯える健二さんの前にカップを置きながら告げる。


「そんなに怖がることですか?

 どのお客さんも、みんな気の良い人ばかりですよ?」


「なにが『気の良い人』だ!

 どれもこれも化け物じゃないか!

 どんな手品で俺を騙してるんだ!」


 隣の席の石井さんが、こちらに長い首を伸ばしてきた――ろくろ首って、本当に首が長いなぁ。


「化け物とは失礼ね。

 せめて『あやかし』と呼んで欲しいわ。

 あなた、『人でないもの』を見るのが初めてなの?

 かんなぎの一族と聞いていたけど、全く力がないのね」


「ひぃっ! こ、こいつは『ろくろ首』じゃないのか?!

 なんで妖怪が喫茶店に居るんだ?!」


 怯える健二さんに、私は優しく応える。


「『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』は『ちょっと変わったお客さん』がくるお店なんです。

 最初は戸惑うかもしれませんけど、すぐに普通のお店と変わらないってわかりますよ?」


「そんなわけがあるか!

 なんだなんだこの店は!

 食品衛生法や消防法はどうなってるんだ!」


 浜崎のお爺さんが楽し気な声で応える。


「全部クリア済みだよ。

 この店は書類上、我が浜崎家が経営する喫茶店だ。

 儂が念入りにチェックし、人を手配し、書類を整備した。

 ぬかりなどありゃしないよ」


 健二さんは眉をひそめて浜崎のお爺さんを見つめていた。


「……親父は全部、知ってたのか」


「客がいる店内に入るのは初めてだがね。

 浜崎家のバックアップがあって、初めてこの店が立ちゆく。

 ――健二、お前にはこの店の運営の手伝いを引き継いでもらいたい」


「こんな化け物屋敷を運営しろと、本気で言ってるのか?!」


「本気だが、それがどうした?

 ――ほれ、辰巳たつみがやってきたぞ。

 我が家の氏神だ、きちんと挨拶しろ」


 背後から近づいてくる気配を感じて振り向くと、マスターがケーキを二つ、トレイの載せて立っていた。


 マスターが微笑んで告げる。


「改めて、健二。『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』へようこそ。

 これは当店自慢のショートケーキだ。

 味わって欲しい」


 健二さんは、マスターの琥珀色の瞳を困惑しながら見つめているようだった。

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