第五章 4-2 魂の伴侶

          *



 心配して駆けつけてきた千夜子の足下に、びしょ濡れの赤坂このみの身体を横たえさせた。


 海に叩き落とされたときには何をするのかと思ったが、海面に上がったエルが見たのは、燃え上がったソフィアの姿。

 海に沈められていなければ、油だったらしい液体に火が点いてエルは傷を負い、赤坂このみに至っては焼け死んでいただろう。


 赤坂このみの息が安定していて、命に別状がなさそうなのを確認したエルはヤマタノオロチに振り返る。


 その瞬間、背中を向けた格好で炎を纏ったソフィアが迫ってきた。


 船着き場のコンクリートを砕き、エルたちのすぐ側に身体の半分を海中に沈めながら、座り込むような格好で動かなくなるソフィア。

 衝撃で火は消えたのか、ボディのいろんなところからは煙が上がっていた。

 ソフィアの身体を見て、エルは震えそうなほどの衝撃を受けていた。


「和輝!」

「待て!!」

 駆け寄ろうとする千夜子を手で押しとどめ、エルは前に出る。


「まだ熱せられて表面は酷いことになっている。千夜では焼け死ぬぞ」


 泣きそうな顔をしている千夜子の両肩をつかみ、できるだけ強い視線で睨みつける。諦めてくれたらしく視線を落とした彼女を残し、自分でもどんな顔をしているのかわからないエルはソフィアへと近づいて行く。

 海水を浴びて急速に温度が下がっているアルドレッド・ソフィアのボディは、激しい湯気を発していた。


 その湯気の向こうに見える、胸部。

 そこには、細いソフィアの腰ほどの太さがある、金属柱が突き刺さっていた。


「ソフィア、大丈夫か?」

『――%&、$』


 弱々しく、ノイズ混じりのソフィアの応答にひと安心するが、金属柱が突き刺さり、装甲を押しつぶしているそこは、和輝が説明してくれたのでは、コックピットのハッチがある場所のはずだった。


「和輝! 和輝!! 返事をしろ!」

 呼びかけても、返事はない。


 太股や腕など、肌が露出しているところでソフィアの装甲に触れないように気をつけながら、エルはボディを上っていく。フラウスで金属柱を斬り裂き、排除する。


「ここを、開けてくれ。ソフィア」

『――#、$%』

 ひしゃげて大きく凹んでいるハッチを見ながら言うが、ソフィアから返ってきたのはできないと言う返事。


「済まない、ソフィア」

 斬りすぎないように気をつけながら上下を斬り、蹴り飛ばしてハッチを取り除く。

 中からあふれ出てきたのは、濛々とした湯気。


「和輝……。和輝……。返事を、してくれ」


 声が震えているのは、もう自分でもわかっていた。

 返事のないコックピットの中に、エルは震える唇を必死で噛みながら、身体を滑り込ませていく。


「くっ……。くっ……」

 声は、言葉にもならなかった。


 凄まじい威力で打ち出された金属柱は、コックピットハッチだけでなく、その内側をも、ひしゃげさせていた。


 和輝の身体は詳しく確認するまでもなく、まだ微かに口から息をしているだけで、奇跡のような状態だった。


「和輝……」


 呼びかけながら、エルは彼の頭を覆っているヘルメットをそっと脱がせる。

 ヘルメットとともに前髪が持ち上げられて、いつもは見えていなかった和輝の瞳が、見えていた。


 緑がかって見える黒い瞳には、どこまでもどこまでも深い優しさを湛えた色があって、ただひとり、エルディアーナのことだけを映していた。


 本来は衝撃からの防御用であろう、いまは彼の身体を押しつぶしているだけのクッションで覆われた板を無理矢理外して、フラウスを投げ出すようにコックピット内に放り出したエルは、両手に治癒術の光を灯す。


 いまは生きていても、もう幾ばくも命が続かない身体を光で撫で、回復を試みるも、エルの力は届かない。回復には至らない。戦乙女エルディアーナの治癒の術は、死を避け得ないほどの傷を治癒できるほどには、強力ではない。


「和輝……。死なないでくれ。死ぬな、和輝……」

 胸が詰まってどうしようもなかった。


 あのとき自分が危険を察知することができていたら、和輝も回避することができていたかも知れない。

 自分を助けずに回避していてくれれば、和輝はこんな目に遭わずに済んだかも知れない。

 けれどいまは、和輝の身体を回復させることもできない。時間を巻き戻して身代わりになることもできない。


「和輝! 死ぬな!! 貴方の身勝手で呼び出されたわたしは、まだ責任を取ってもらっていない!」


 顔を近づけて大きな声で呼びかけても、優しい色を浮かべ続ける彼の瞳が反応することはない。もう耳が聞こえていないかのように、口元に笑みを浮かべているだけだ。

 溢れた涙が頬を伝い、和輝の頬を濡らす。次々と滴り落ちる涙を、エルは止めることができなかった。


「ゴメン、な。エル。お前の勇者を、魂の伴侶を、一緒に探すの手伝うって約束したのに、約束を、守れそうにない」


 かすれて、半分も音にはなっていない。しかし彼の言いたい言葉は、彼の意志から読み取ることができた。


「何を言ってるのだ、和輝! そんなことよりも、いまは生きることを考えるんだ! 命をつなぐことを考えるんだ! 何か……、何か方法を考えるんだ!」


 首を左右に振り、涙を振りまきながら、エルは和輝に呼びかける。それでも彼女の言葉に応えることのない和輝は、唇を動かし続ける。


「エルは、こんな風に泣く奴じゃ、ないだろ。もっと、強くて、気丈で、悲しいことがあっても、人の前で、俺なんかの前で、泣くような性格してないはずだろ」

「そんなことはない! わたしは……、わたしは弱いのだっ。泣きたいときも、いつも我慢してきただけだっ。お前が思っているほど、わたしは強くなど、ない……」


 伝わらないだろうことはわかっていても、和輝の言葉を否定して左右に首を振ったエルは、右の手甲を外し、右手を彼の頬に添える。

 暖かく、柔らかい頬は、しかし生気が失われ、急速に死に近づきつつあるものだった。


 涙が止まらなかった。


 どうしてこんなことになってしまったのか、わからなかった。

 どうして自分がこんなにも泣いているのか、わからなかった。


 戦乙女エルディアーナは、いまさらながらに、自分が和輝のことをほとんど知らないことを意識していた。

 そして彼のことを、もっと知りたいと思っていた。


「もう俺は手伝えないけど、エルは自分の幸せを探せ。魂の伴侶を、お前が愛せる人を探せ。この世界では見つからないかも知れないけど、エルなら、この世界で生きていけるはずだ。この世界でなら、平穏で、平和な生き方を見つけられるはずだ。そのために、俺はお前をこの世界に、リアライズしたんだから」

「何を、言っているのだ、和輝……」


 ――わたしの、幸せだと?


 ずっと、和輝は自分の好きなものを身勝手に実体化させたのだと考えていた。

 後先考えず、リアライズプリンタを手に入れたことに浮かれて自分をリアライズし、この世界にはいないだろう勇者を探せといったのだと思っていた。


「俺の都合でたくさんつらい目にも、悲しい想いもさせたけど、俺は本当は、お前に笑っていてほしかったんだ。笑顔でいられる世界で生きてほしかったんだ……」

「そうか……。そうだったのか……」


 悲しくて、つらくて流れていた冷たい涙に、暖かさが混じるのを感じていた。

 和輝の想いを聞き、受け止めて、エルディアーナの胸には暖かさが溢れてくる。


「わたしは、見つけたよ、和輝」


 物語の中でも、実体化した後でも望み続けていたもの。

 自分のことを想ってくれ、自分が想いたいと感じられる人。


「わたしの求める勇者は、貴方だ、和輝」


 言葉に出した瞬間、胸の中にあったシコリがすとんと身体の中に落ちて消えてしまう感触があった。


 もう疑問に思うことなどない。

 もう探し求める必要などない。

 求めるものは、目の前にある。


「我が勇者よ。我が魂の伴侶よ。いま互いの魂を分け合い、混ぜ合わせよう。わたしは貴方の魂がある限り、貴方とともに在ることを誓う」


 和輝の瞳を見つめながら、エルディアーナは彼の顔に自分の顔を近づける。

 重ねた唇から和輝の魂を吸い、吐いた息から自分の魂を分け与える。


「くっ……」

 死にかけ、身体から離れる直前であった和輝の魂の半分を受け入れたことで、激しい痛みを感じた。しかし、彼に入ったエルの魂は、確実に彼の中で息づいている。彼の命を、つなぎ止めている。


「少し待っていてくれ、我が勇者よ。すぐに終わらせて、戻ってくる」

 涙を拭い、剣帝フラウスを手にした戦乙女エルディアーナは、コックピットから出て空へと浮かぶ。


「か、和輝は?!」

「もう大丈夫だ。彼が死ぬことはない。助け出すよりも先に、彼の望んでいたことを片付けることにする。待っていてくれ、千夜」


 心配そうな顔で見上げてくる千夜子に力強い笑みを返し、エルは上空へと舞い上がった。


「いま、わたしは魂の伴侶を得た。我が身体に秘められし力をすべて解き放とう。我が勇者に仇なし、我が勇者を傷つけた怪物を、この手で討ち滅ぼそう」


 言葉とともに、エルの身体が光に包まれる。

 強い光の中で、彼女の服が、鎧が形状を変える。


 スカートの裾はドレスのように長く伸び、頭を守る桜色の兜は、宝石をあしらったティアラとなった。

 胸や背中、肩を守っていた鎧は外れて宙を浮き、形状を変化させて四枚の盾となった。


 ハイ・ヴァルキリー。


 魂の伴侶を得てその身に宿した力を解放した彼女は、もう地上に住まう怪物などに触れられることなどない。鎧など必要がない。四枚の鉄壁の盾があらゆる攻撃から彼女を守る。


 見るとどうやら和輝が病院と予測していた場所に向かっていたらしいヤマタノオロチは、上陸する手前でそれ以上前に進めず、何かの障壁への攻撃を繰り返していた。


 エルディアーナの光に気づいたオロチは振り返り、危機を察したのか、炎と雷撃を放つ。

 攻撃はすべて盾が防ぎ、余波すらエルが纏う光の中で消え失せた。


「滅びよ、ヤマタノオロチよ。姿ばかりの破壊の権化よ」

 右手にぶら下げていた剣帝フラウスを両手に持ち、天に向けて構える。


「応えよ、剣帝フラウス。我が力と、我が勇者の願いと、我が想いに!」

 エルディアーナの声に応え、剣は刀身を伸ばす。


 どこまでも、どこまでも伸び、エルはひと息にそれを振り下ろす。

 鋭い光を放つ刀身が、ヤマタノオロチの身体を両断した。

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