第22話 沈みゆく空、浮かびあがる真実
@機内 エコノミークラス 後方通路
カチリ。
乾いたスイッチ音。
しかし──何も起きない。機体は揺れず、音もなく、ただ異世界への接続が静かに進行していた。
ネクレムの表情に、明確な“戸惑い”が浮かび、スイッチを何度か繰り返し押す。その姿は少し滑稽だった。
「……なぜ、起動しない?」
久我はゆっくりと、右手の拳銃をネクレムに向けたまま、静かに歩み出た。
「お前の“大切な荷物”なら──もう捨てたよ」
「……なに?」
「分かるさ。お前達みたいな破壊者の思考は。自分の命ごと“道連れ”を仕込むのが定番だろ」
ネクレムの目が細くなる。その表情は悔しさよりも喜びが浮かんでいるように見えた。久我は構わず続けた。
「念のため、仲間に貨物室を調べさせておいたのさ。そして、さっき海へ投棄した。ギリギリだが俺達の勝ちだ。無駄な抵抗はやめておとなしくしろ」
機体の振動も、変化もない。ネクレムの親指は起爆スイッチの上に乗ったまま、微動だにしなかった。
ネクレムの口から音が漏れる。
「……ふ、ふふ」
やがて、彼は目を伏せ──
「……はははは、はーはっは!!」
高らかな笑い声を上げた。それは喜びか、怒りか、あるいはその両方か。
「──なるほど。なるほど、久我悟空。やはり、君は災厄だ」
「もう喋るな」
久我の指がわずかに引き絞られる。
「次喋れば、撃つ」
「勇者は優しいな。問答無用で撃たないのか?」
その瞬間──銃声が響いた。
久我の拳銃が火を噴き、正確にネクレムの胸元を撃ち抜く。警告はした。だから、躊躇はしない。
──だが。
「…………な」
彼は無傷だった。弾は、何か“異質なもの”に弾かれたように、ネクレムの足元に転がっていた。
「どうしたんですか!?」
「一体、何が?」
「どうたしたの?」
四海、アルヴィン、セリスが銃声を聞きつけて、集まってきた。ネクレムは億劫そうに眉間に皺を寄せる。
「その雰囲気。Chaosの住人もいるな。まぁいい。誰が居ようが、爆弾がなかろうが、この世界に入った瞬間から、君たちの命運は決まっている。ここはChaos──私の“領分”だ。」
彼の瞳に、光が灯る。その肌が、粘性を持って波打ち──
「面倒ではあるが、冥土の土産に見ていくがいい。私の真の姿を」
ネクレムの体が歪む。皮膚が裂け、下から現れたのは、濃緑の鱗。両腕は伸び、筋肉が異様に肥大化し、瞳孔は爬虫類のそれに変化していく。
全身を鱗に覆い、指先は鉤爪に。背中の筋肉は異様に盛り上がり、まるで人間の骨格が捻じ曲がったかのように暴れていた。
久我はその姿を目の当たりにして、重力が一段階強くなったような気すらしていた。ネクレムのプレッシャーはそれほどまでに凄まじかった。
久我は迷いなく拳銃の全弾を頭部と左胸に叩き込んだ。それが無力であることを確認すると、久我は飛びかかった。
体術なら弱点が探れるかもしれない。久我は一縷の望みに賭けた。肘、膝、足刀、打点と急所を正確に狙う鋭い連撃。美しさなど微塵も考慮しない効率的に相手を無力化するためのシークエンスだ。
だが、それは飽くまでも人間が相手だった場合の話。
鈍く大きな音が響いて、リザードロードの前腕がただ一閃、空気を払った。その一撃だけで、久我の体は宙を舞い、エコノミークラスの前方まで吹き飛ばされた。
「──がっ……あっぐ……!」
座席が崩れ、アームレストが破壊される音とともに、久我の体が転がる。意識が霞む中、それでも、彼は歯を食いしばって立ち上がった。
久我は血を吐きながら、アルヴィン達に向かって叫んだ。
「──協力しろ!! アイツはお前達の世界の脅威だろ!」
四海の表情が消え、任務をこなすエージェントの顔となった。
「……言われなくても、我々の世界の未来を阻む者は排除対象です。セリス、全員に強化魔法を」
「了解です!」
セリスが詠唱を始め、淡い光が三人の体に染み渡る。
──強化魔法【筋出の
肉体の抵抗力・反応速度・瞬発力が、急速に増幅されていく。
「援護を!!」
四海が跳躍した。踏み込んだ足が床を砕き、久我の横をすり抜けるようにネクレムへ突撃。続いてアルヴィンが魔法で構築した剣で真っ直ぐに斬撃を放ち、久我も割り込むように脚払いを狙った。同時にセリスも攻撃魔法を放つ。
ネクレムは、まるで岩のように動じない。剣の刃は鱗に弾かれ、拳は吸収され、足技は空を切り、魔法は見えない壁に阻まれた。逆に、反撃の爪が一閃すれば、空気ごと押し返される。
「魔力障壁で普通の攻撃は効きません!」
セリスの悲痛な叫びが客席に木霊する。
それでも──戦うしかなかった。久我は全員救うと決めたのだから。
四人は様々な攻撃を見事な連携で繰り出すが、ネクレムには一向に届かない。ネクレムは遊んでいるようにさえ見えた。
「ぐっ……!」
久我の拳が空を裂く。四海の蹴りが鱗を弾く。アルヴィンの斬撃が、爪一つで止められる。セリスの魔法は反射されて、三人に魔法が当たる事もあった。
何か、何かないのか!?
久我は思考の隙を突かれ、左脇腹に鋭い爪を食らった。吹き飛ばされた身体が通路を転がり、壁に叩きつけられる。
「──が、ッ……!」
血が口から噴き出す。意識が霞み、視界が歪む。ネクレムがトドメの一撃を放つために久我との距離を詰めようとした
──そのとき。
銀の閃光が、空気を切り裂いて飛来した。
一直線にネクレムの顔面に向かったそれは、直前ではたき落される。
「……チッ」
ダメージを与えることは叶わなかったが、その
エコノミクラスの入口に立つNINJAに視線が集まる。
「エイミー……!」
久我が呻くように声を漏らす。その隙を、ダグの通信が貫いた。
『今だ! 全員、掴まれッ!!』
機体が急旋回する。重力が狂い、床が斜めになる。警報が鳴り響き、荷物が転がり、座席が軋む。
通信を聞いていないネクレムの体がふわりと浮き、天井へと叩きつけられた。鱗に覆われた巨体が激突し、鉄骨が軋む。
「──ッ……く、貴様ら……!」
ネクレムが呻きながら体勢を戻そうとしたその瞬間、ひときわ目立つ光の筋が差し込んだ。その発生源はエイミーだ。
「なんか、光ってたから持ってきたでー」
正確にはエイミーが器用に背負って大剣が、強く発光していた。それを見た久我の記憶がフラッシュバックする。
あれは確か、荷物検査で揉めていた代物。四海が無理やり載せたのか?
まるで呼吸するように輝くその刃を見て、セリスが立ち上がった。
「──そ、それ……!」
声が震える。
「聖剣……!? 鍵に……反応してる……!?」
光はネクレムに向かって伸びているのではなく、その先にいる久我宛だったのだ。大剣がふわりとエイミーの背から浮き上がると、まるで意思を持っているかのように──久我の掌に吸い込まれた。
「……ッ!」
握った瞬間、脳裏を焼くような熱が走る。光景が、記憶が、過去とも未来ともつかぬ“何か”が、一瞬で駆け巡った。
そして、自分の不運の原因を久我は理解した。それは異世界Chaosからの干渉。勇者になるための試練あるいは魔王の妨害。その二重の干渉が、類稀なる運の悪さを生み出していた。
しかし、久我はその悉くを乗り越え、今、勇者として覚醒する。
──声。
──誰かが叫ぶ。
──名を呼んでいる。「悟空」と。
「っ……ぁあ……!」
全身が震える。だが、それは恐怖ではなかった。脊髄が、心が、魂が応える感覚。
──これは、俺の剣だ。
聖剣が、一層強く輝いた。
その光に、ネクレムが、咆哮する。
「貴様ああああああああああッッ!!」
怒声とともに、ネクレムの手に黒い光が収束する。魔力の奔流が渦を巻き、空間そのものが軋み始める。
「広域圧縮魔法──《ファング・ストーム》!!」
振り下ろされたその爪が、空間に亀裂を生んだ。その亀裂が久我を断裂しようと襲い掛かるが、聖剣の光によって相殺される。
次の瞬間──爆発音。
機体の左側壁面が、吹き飛び機体に大穴が開いた。
急減圧、強風、飛散する座席と荷物。悲鳴が押し流され、構造材が剥き出しになる。
「うわっ──!!」
「壁が──っ!?」
久我は咄嗟に剣を床に突き立て、四海と魔法使い、そしてコスプレ剣士を押さえ込むように支えた。
だが──その穴の向こう、彼の視線が捉えたもの。
「……あれは……!?」
空に、浮いていた。
黒く、巨大な翼。
蛇腹のようにうねる尾。
赤熱するような眼孔。
──ドラゴン。
この空に、翼を広げて滞空する異形の存在。久我が息を呑んだその横で、セリスが呟いた。
「……あれが、この飛行機を召喚した“もうひとつの目的”です」
「……は?」
「この機体は、“あのドラゴン”にぶつけるために召喚されました」
言葉の意味を理解する前に、全身が強張った。
──前には、リザードロード。
──背後には、空を睥睨するドラゴン。
久我の覚醒も束の間、今この機体は、まさに前門の魔族、後門の怪竜という地獄に囚われていた。
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