幕間 ゾンビの増える異世界で
アリシュテルト神聖皇国の皇女ベルティアナは、機嫌の良さそうな表情を見せながら、手にした紅茶のカップを傾けていた。
普段冷静な彼女が珍しく1人笑顔をうかべるほどに上機嫌だったのには、もちろん理由がある。
彼女の最近の一番の懸案事項だった異世界勇者召喚の失敗──その問題がようやく片付こうとしていたからだ。
「少し前のあれが転移罠にはまったという報告は、まずもって素晴らしい吉報でしたね……」
冒険者ギルドからもたらされた、召喚勇者がダンジョン下層への転移トラップにはまったという知らせ。それは、数日内に召喚勇者が確実に命を落とすことを予感させるものだった。
「そして今朝方報告された異世界勇者召喚陣に光が戻ったという報告。それすなわち、この世界から『異世界勇者』という存在が消え失せた証……ダンジョンの中であの穢れものが浄化されたことは間違いないでしょう。危うく女神様の管理するこの世界を穢してしまうところでしたが、なんとか問題を最小限のレベルで解決することができましたね」
ベルティアナは目をつぶり、小さく息を吐く。
やがて彼女は目を開けると、ケーキを口に運び、紅茶を飲み始める。
「これで、安心して次の異世界勇者召喚を行うことができます。今度こそ皇帝陛下にもお喜びいただけるはずですね……ふふっ、今日は紅茶もケーキも、一ランク上の味わいに感じますね」
だが、そんなベルティアナの穏やかな時間はあっさりと終わりを告げる。ドタバタとした足音が彼女の部屋の外から聞こえてきたからだ。
「ベルティアナ様っっ! 大変ですっっっ!!」
「何事ですか、一体……騒々しいです、落ち着きなさいっ」
だが、彼女の部屋に駆け込んで来た初老の男は、ベルティアナに諌められても止まりはしなかった。
「そっ、それがっ、そうも言ってはいれないのですっ……け、穢れものが、ゾンビが神聖皇国内で大発生しておるのですっ!!」
「……なんですって? もう一度言ってもらえますか? あの汚らわしいゾンビがこの神聖なるアリシュテルト皇国内で発生している……と本気で言っているのですか?」
凍えるような視線で男を見つめながら、ベルは男を問い詰める。
「はい……残念なことですが、それが事実なのです。墓所を中心として大量のゾンビが発生しているようでして……」
「……そんなゾンビなど、冒険者にでも狩らせれば良いでしょう?」
「は、はいっ。冒険者ギルドへの要請は済ませておりますが……ですが、幾つか問題が……」
その言葉にベルティアナは眉をひそめる。穢と忌み嫌われるゾンビは、存在自体が厭わしいだけであり、その戦闘能力の方は大したことがないはず。冒険者たちが出ているというのであれば、ゾンビなどこの国にとって大きな問題になるはずはないのだ。
「続けなさい」
「はっ、はいっ! 一つは発生したゾンビが『穢れダンジョン』などに湧く通常のモンスターのゾンビとは違うようなのです。素早く動くゾンビもいれば、武器・魔法を操るゾンビ、知恵の回るゾンビ……様々な異なる特徴を持つゾンビが発生しているのです。それでもそのほとんどは”ゾンビはゾンビ”と言っていい強さではあるようですが、無傷で殲滅するのはそう簡単では無いようです」
「無傷で……ではなくても、結果倒せるのならば問題はないのでは?」
ベルティアナは傷つく民のことなど気にもしない様子でそんなことを言う。
彼女の目の前にいる男も平民に関しては似たような考えの持ち主なのだが、男は彼女へと反論する。
「は、それが実はそこに問題があるのです……その傷を負ったものたちが、一定確率で穢に落ちてしまう、という報告が上がってきています」
「け、穢に落ちるですって!? め、女神様に愛される、神聖なる人間がっ……ゾ、ゾンビになるというのですかっ??」
「はいっ。残念ながらそうとしか見られない現象が確認されておりますっ……」
それはベルティアナにとって恐ろしい報告だった。
神の使徒であるとベルティアナが考えているこの神聖皇国の国民。
国民が死ぬだけならばまだいい。代わりはいくらでもいる。だが、神聖皇国の国民が穢であるゾンビに堕ちる……そんな事態はミディラヌ教を信奉しているベルティアナにとって、決して認められるものではなかったのだ。
「……神聖皇国騎士団を出しましょう。問題が大きくなる前に穢れものは完全に殲滅するのです。他の都市にも必要があれば戦力を派遣できるように検討してくださいっ」
「はっ! かしこまりましたっ! 手配させていただきますっ!」
ベルティアナの指示を受けた男は、すぐさま彼女の部屋から駆け出していく。
神聖皇国最強と謳われる神聖皇国騎士団。本来であればゾンビなどという下等モンスターの対処に当たることは決してない存在だが……そんな皇国最強の部隊が動き出そうとしていた。
「大丈夫……ですよね」
不安そうに天を仰ぐベルティアナだったが、彼女の元にはすぐにさらなる一報がもたらされる。
「ベルティアナ様っっ! 大変ですっ、皇城の中でもゾンビが確認されたようですっ! 皇族の皆様は一度安全な避難場所にご避難くださいっっ!」
「し、神聖な、皇城の中にまでゾンビがっっ!? わ、わかったわっ、今すぐに行きますっ……くっ、ようやくあの穢召喚者の廃棄に成功したとの朗報が届いたばかりですのにっ! しかし、あのものが消えたとの報告が上がってから唐突に起こったこの事態……念の為、幾つか手を打っておく必要があるでしょうね」
ベルティアナは何かを深く考えこむようにしながら、皇城の避難所へと向かったのだった。
♢ ♢ ♢
「魔王様っ! 大変だっ!!」
部屋に駆け込んで来た筋骨隆々のミノタウルスが、魔王の座る玉座へと近づいてくる。
「……何があった?」
「それがっ、魔国のいたるところでゾンビが湧いてるらしいんだっ!」
「ゾンビ……だと? ゾンビなど、駆逐すればよいだけではないか?」
魔王は不思議そうな顔で、ミノタウルスに問い返す。
「それが、普通のゾンビだけじゃないみたいなんだっ。戦闘種族の魔族の死骸なんかもゾンビ化してるみたいで、そいつらはかなりつええそうだ。もっとも生存時よりはさすがに弱体化しているようだけどなっ。だが痛みを感じなかったりするみてーで、かなりやりづれえっ……」
「ほほう……魔族の能力を持ったゾンビ、とな……面白いではないかっ」
「面白いって、魔王様、笑い事じゃねえよっ。それだけじゃねえんだっ……怪我を負わされた魔族の中には、そのままゾンビになっちまうやつもいるんだそうだっ。そういうやつに限ってまたつええんだよっ!」
「くくっ……それは、一大事だな。戦力を送ればゾンビ側の戦力を増やされてしまう……堂々巡りになってしまうわけか……くくくっ」
魔王は楽しいことが起こった、とばかりに笑いを漏らす。
「笑い事じゃねえよっ、魔王様っ……どうしたらいい?」
「そうだな……とりあえずは四天王を動かしていいぞ。ああ、リリフェノルトは今はいないんだったな、だが3人もいれば都市部のゾンビは問題はないだろうよ」
「それは助かるっ……四天王様なら、怪我を負うこともなくどんなゾンビでも殲滅できるはずっ。って、それじゃあ都市部以外は?」
「くくっ、放っておけばよかろう。もともと強力な魔物が蔓延る魔国の野山だ。そこに今更多少のゾンビが増えたところで大した違いなどなかろう……」
ミノタウルスはきょとんとした顔をするが、やがて納得したのか小さくうなずく。
「わかった! それじゃあ、俺は四天王様のところへ向かうぜっ。魔王様っ、ありがとなっ!」
「ああ……」
ミノタウルスは魔王の居室からバタバタと駆出していく。
静寂の戻った魔王の居室の中で、魔王は楽しそうに笑い続けていた。
「……くくくっ、例の勇者が消えたと報告されたのは、腐系の超S級ダンジョンだったな。もし、やつが最後の超S級ダンジョンを制覇したものとなったことがこの騒動の原因だとしたら……この世界はきっと面白くなるぞっっ! くくくっっ、くくっ、くはーっっはっはっはっはっ!!!!!」
アリシュテルト神聖皇国よりも更に大変な状況になっているというのに、魔王と呼ばれた女性は1人楽しそうに笑い続けていたのだった。
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