第1話 依頼人が来た

「はぁ…………お金がない。ほんっっとーっに! お金がない! 頼むルカ、働きに出てくれ。代わりに僕はこれまでどおり家を守る」


 築三十五年を超える二階建て木造アパート『青月荘』。

 歩くたびに床は軋むわ、下の階の住人のくしゃみは聞こえて来るわ、隙間風が年中吹き荒れて髪が乾かせるわ、雨漏りで洗顔できるわで、とても人間様が暮らす住居として最低限度の条件を満たしていないような建造物がここにはあった。


 そんな寂れたアパートの一室にて。悲惨な環境に似つかわしくない、儚げな表情を浮かべる美女(僕)の呟きが部屋に響き渡る。


「いえ師匠。アタシに頼む前に自分から働いたらどうです? いい年した26の女が女子高生捕まえてお前が稼いで来いは社会的にヤバいですよ」


 ちゃぶ台を挟んだ向かい側で僕と同じようにお茶をすすっていたリルリカ・ロスアは半目で抗議。


 座っていると床にまで届く長く美しい茶髪と凶暴な鷹を思わせるような鋭い目付き、筋の真っ直ぐ通った鼻。そして爆弾でも入ってんじゃないかというくらい異様に膨れ上がった胸部が今日もこちらへ圧倒的威圧感を与えて来る。


 くっ、なんだその引き締まった身体の癖に出るとこはとことん出た暴力的スタイルは! こちとら万年AAカップの136センチだぞ!? ケンカ売ってんのかッ!? ああん!?


「ふ、ふふふ……ルカよ。真の引き篭もりに対して、社会からどう見られるかなんて説いても無意味だ。何故なら我々はルールや常識、恥といった概念とは全く別次元に存在するのだからね」


 周りの目なんて気にしていたらプロの引き篭もりになどなれないのだよ。分かるかね。


「というか人の年齢を軽々しく口にするのはやめてもらおう。僕は20歳はたちを最後に自分の年齢を数えるのをやめた! だから永遠に20歳はたちだよ!!」

「いや師匠が数えるのやめても世界は変わらず動き続けてますから。普通に26歳の立派な引き篭もり女ですから」

「やかましい! 次レディーの年齢を口に出してみろ? 破門だからね破門! 分かったかGカップ!!」

「わー、人を胸部のサイズで呼ぶレディーなんて初めて見たー。すごーい(棒)」


 僕達の部屋はアパートの階段を上った先から一番奥の部屋である203号室にある。

 2Kという一人で住むには十二分に広い部屋にて、大学卒業以降悠々自適な引き篭もり生活を維持し続けられたのは今は昔の事。というのも、この目の前にいるリルリカ・ロスアが2年前から押し掛け女房よろしく、押し掛け弟子として強引に居候を始めたからだ。


 数日前に会っただけの女子高生が突然『今日からここに住みます』と布団を背中に背負ってやってきた時の衝撃と言ったらなかった。それはもう驚きすぎて無言で玄関の扉を閉めてしまったくらいである。


「そもそも冷静に考えて、血の繋がっていない現役女子高生と同居してるってなにかしら法律に違反してそうだよね。僕が女だからセーフなのかな?」

「帝国法において、国民は十五歳で成人と見做されますから未成年者略取や誘拐といった類は問題ありません。――……拉致監禁や婦女暴行、結婚詐欺という線から捕まる可能性は否定できませんが」


 そう言って、自身の身体を抱きながらキッとどぎつい視線を向けて来るルカ。普段が殺し屋みたいな目付きと言うならば、今の彼女は国際テロリストみたいな目付きをしている。それはもうおっかない。


 ついつい恐怖の意味でドキッとしてしまう。


「否定できるよ! なに人畜無害な引き篭もり捕まえて、とんでもない凶悪犯に仕立て上げようと企んでるのさ! 僕は無実だ! 手だって出してない! 弁護士を呼んでくれ!!」

「残念です師匠、帝国法によれば師匠は現行犯死刑です。最後に言い残す事はありますか?」

「現行犯死刑なんて聞いた事ないが!? 僕が法律に詳しくないからってテキトー言わないでくれる!?」


「なんと師匠……! 『死んでも愛してるぜ、ルカ』だなんて。恥ずかしいですよ、もう! ……じゃ、来世で会えたら会いましょう、さよなら」

「言っても無い事を最後の言葉にされた上にめっちゃドライ! なにこの弟子、曲がりなりにも2年同居した師匠に情とかないわけ!?」


 なんて僕の叫びを受け止める事もなく、ルカは既に読書を始めていた。表紙を覗き込んだ所、魔法の基本五属性と物理学の関係性について記された本らしい。

 やれやれ、毎度の如く僕をおちょくるだけおちょくって満足したらすぐ勉強に移るのは勤勉だと褒めてあげるべきか、それとも師匠を舐めてるだろと叱ってあげるべきか。非常に悩む所だ。


 さて、未だ学生の身であるルカとは違い、正真正銘徹頭徹尾引き篭もりである僕には生憎とする事が無い。

 毎日起きて、ご飯を食べて、風呂に入って寝る。人間として必要最低限の営みと趣味である宴会芸の練習だけが僕の人生のほぼ全てと言っても良いだろう。


 引き篭もっているが故に一生参加する事もなければ披露する機会なんて万が一にも訪れない宴会芸。その練習の時間が無駄なのは当然の話として、努力の末培った宴会芸の能力、なんなら本も読まずに独力で練習してるから効率も無駄極まりない。


 我ながらなんと無駄なく無駄している事か。


 僕は人が懸命に限られた人生という時間を大切にしているのを傍目に、これでもかと時間を無駄にしてやるのが最高に気持ちいいのだ。ビバ☆無駄!!


 という訳で今日も今日とて宴会芸の練習をするとしよう。今日のお題は口から炎を吐く芸。


 人は通常杖を補助道具として魔法を行使する。魔力マナと親和性の高い杖の材質と刻まれた魔法式が使用者の体内魔力オドを効率よく引き出し、魔法を構成しやすくしているのだ。

 つまり基本的に魔法とは杖の先から発動されるのが常識。


 しかしこの宴会芸の肝は杖を一切使わずに、口先から魔法を出さなければならないという点にある。

 だって杖を持ちながらいかにも魔法使ってますよーみたいな様相で宴会芸を披露するだなんてプロ意識の欠片も無いじゃないか。真のエンターテイナーとして僕に妥協は許されない。宴会芸の極致に至る為にも、常識くらい軽くぶち破らなければ。


「口元に魔力を集めて指向性を決める。当然使うのは炎属性。……どうせ口から出すのだから息を有効活用しよう。魔力の指向性を削除して口内と肺を満たす酸素に魔力を混ぜる。それから――――」


 僕は考える。真剣に考える。


「僕の肺活量じゃ吐息は一メートルも届かない。ならばここで風魔法も応用しようか。魔力が混じった僕の吐息を三メートルくらい先に流しつつ、周囲の空気も吐息に引き込まれていくように吸引効果を付与。おっと、火災対策で炎が想定以上に大きくなり過ぎないよう、炎の最大値を決めて周囲を水蒸気化した水魔法で覆うべきだな」


 そうして30分程考えに考えた末、僕の口から炎を吐く宴会芸は理論上完成した。あとは実践しつつ微調整を加えて行けばそれなりのモノが出来上がるだろう。そこから先は1%でもクオリティを上げる為に毎日の特訓だ。


 それではいざ実験開始!


「エントリーナンバー1番。ニア・ウェルト、炎を吐きます! よろしくお願いします!」


 宴会会場で芸を披露する場面を想定して、しっかり自己紹介から行うのがプロの作法だ。そして宴会会場いっぱいに鳴り響く拍手喝采を脳裏で感じながら、緊張を胸に芸を披露する。


「3カウントで参ります。ワンツースリー!!」


 ボォオオオオオ


「おっ! ちゃんと出た出た」

「いやっつッ。ちょ師匠! なに考えてるんですか、このアパート木造ですよ!?」

「大丈夫、安全対策はバッチリだよ」


「いやせめて窓から外に向かってやってくだ――ってなにげに高度な魔法ですねそれ。基本四属性を杖無しで同時発動。それも発動しやすい末端神経からでなく口元を起点に完全制御している……!? なんて高度な癖になに一つ意味がない魔法。なにもかも無駄ですねこれ」

「無駄……なんて良い響きなんだ」


 そりゃそうである。無駄至上主義の僕が懸命に作り上げた魔法――もとい宴会芸なんだもの。


 普通に炎を出すのに基本四属性の同時発動と完全制御なんて欠片も必要無いし、もっと言えば口から発動するとかアホの所業である。魔法大学の教授共が見たら気絶するかもしれない。


「ふーん、こんな感じですか師匠」


 読書の手を止めてひとしきり僕の芸を眺めていたルカはそう言うなり天井を見上げる。そして、


 ボォオオオオオオオオオ


「なっ!? ぼ、僕の努力の結晶をいとも容易く真似しただと!?」

「ふふ。魔法の腕ならば師匠にも負けませんよ」


 したり顔で笑うルカは、いつもの落ち着いていて思慮深い彼女にしては珍しく年相応で可愛いらしい雰囲気が纏っている。――が、それを愛でていられるほど僕の心境は穏やかではない。


 ただ真似をされただけならば……良い。僕も魔法の腕には自信があるがそれでも天賦の才を持つ者には敵わないと、まだ胸に希望を抱いていた学生時代に骨身に染みるほど分からされている。


 だがこの短時間で僕のコピーどころかそれを昇華されとあっては内なる高貴なプライドがズタズタのボロボロだ。


「僕の炎は赤色。ルカの炎は青色……」

「少々気合を入れてみました」


 炎の色というのはその温度によって変化するらしい。赤色が最も低く千五百度以下、黄色の三千五百度以下、白色の六千五百度以下、そして――青色の一万度以上。

 僕の炎が一体どの程度の温度だったのかは知らないが、少なくとも温度に七倍以上の差がある事は確かだ。そしてこの差を実現する為にどれほど魔法の出力と制御に大きな隔たりがあるかも。


 ……なんと末恐ろしい十七歳だろうか。


「ふ……ふっふっふっふ。流石じゃルカ。もう貴様に教える事はなにもない。思う存分宴会芸の道を往くが良い。宴会王の称号が貴様を待っておるぞい?」

「いえそんなふざけた道に入ったつもりは一切ありませんが……? わざわざ宴会芸を師事するために師匠に弟子入りしている訳がないでしょう?」

「ええ!? つまり僕の身体だけが目当てだったの!?」

「ヤバいですねこのアホ師匠。宴会芸除いたらもう身体しか残ってないのですか貴方には……」


 まぁそんな冗談はさておき。

 才能の壁という絶望に打ちひしがれた僕は出力の向上以外のアプローチから芸を昇華させようと再び頭を働かせ始める。


 しかしその思考は長く続かなかった。


「――誰か来たね」

「――誰か来ましたね」


 僕とルカ双方が、魔法による感知によってこの部屋への来訪者を察知した。

 現在このアパートの二階に住んでいるのは僕とルカのみ。つまり階段に仕掛けていた魔法が反応したという事はこの部屋に何者かがやってきている事の証左。


「大家さんかな? マズいなぁ、お金無いよ」

「そろそろ家賃回収に来てもおかしくありませんからね。ここは居留守を使いましょう」


 来訪者の気配はやはり僕らの部屋――203号室の前で止まる。そして扉を叩く音。


 コンコンコン


 僕らは息を潜める。必死になって気配を押し殺す。


 果たして根っからの引き篭もりである僕達が共に外出しているだなんて奇跡みたいな状況を来訪者は信じてくれるだろうか。……いや無理じゃない? 無理だと思うよ、うん。


 コンコンコン


 居留守を使い続けても尚、扉を叩く音は止まらず来訪者が去る気配はない。


「ねぇ、これもしかして大家さんじゃないのかも?(小声)」

「そう言って三カ月前扉開けたら大家さんだったじゃないですか(小声)」


 コンコンコン


「そもそもさ、家賃払えないほど困窮してるのルカの食費が原因だからね? 今月分くらい君が家賃払ってくれてもバチは当たらないと思うよ(小声)」

「っはぁあ~!? なに言ってるんですか師匠!? こんな美人女子高生と同居できるなんてこの上ない幸せですよ? それが金払わせる!? 寝言は寝て言ってください(小声)」


 コンコンコン


「いやそれ言ったらルカだってこんな美女お姉さんと一緒に暮らせるんだから、おあいこだからね? その上、毎晩寝付くまでヨシヨシしてあげてるんだから膨大な食費くらい払いなよ(小声)」

「ちょ、ヨシヨシは今関係ないじゃないですか! というか師匠が美女お姉さん? 寝言は寝て言ってください、どう見ても小学生ですよ。美少女なのは認めますけど……(小声)」


 この弟子の師匠評がどうにもおかしい。

 美女もお姉さんも否定した上で小学生だと? 


 よろしい、今夜は戦争だ。ベッドの上で僕という絶世の美女お姉さんの力を味合わせてやる。


 具体的に言うと、『ごめんなさいお姉ちゃん』と謝るまで無限こちょこちょ地獄だ。


 そうして二人仲良くちゃぶ台の下に身を潜めながらコソコソ話していると、ノックし疲れた来訪者が諦め半分で口を開いた。


 コンコンコン


「すみませーん、ウェルト探偵事務所に用があって来たんですけど。……はぁ、やっぱこんなボロ屋に名探偵がいるなんて眉唾だったかしら」


 部屋中に響き渡る、澄んだ若い女の声。

 それを聞いた僕とルカは揃って顔を見合わせて口を開いた。



「「お客さんだ!!」」

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