月夜に貴方を思い出す
月宮紅葉
メアリーの忘れもの
この世界には、魔法が存在している。
だが、魔法を使えるのは一部の才能ある者のみ。
そのため、魔法の才を持つ人間は重宝されている。
ここ、セイリオス魔法学園は、この国で一番の名門魔法学校。
この学園に入学することは、魔法使いを目指す者たちにとっての憧れ。
中でも生徒会のメンバーは、学園で最上位の実力を持つ、生徒たちの憧れの存在だ。
ある日の休み時間、図書室でのこと。
一人の女子生徒が、必死に本棚の最上段に手を伸ばしていた。
だが、どうしても手が届かず、諦めかけたその時。
「……どの本が読みたいんですか?」
現れたのは、もう一人の女子生徒。
腰まで伸びた、淡い桃色の髪。ローズクォーツの瞳。
制服の襟には、生徒会メンバーにのみ与えられる、金色のバッジ。
彼女はメアリー・ローズクォーツ。
この魔法学園の生徒会長だ。
「えっと、その青い背表紙の、水魔法の応用についての本です」
メアリーはさっとその本を取ると、彼女に手渡す。
「これで合ってますか?」
「はい、ありがとうございます」
休み時間の終わりを告げるチャイムの音。
夢中で本を読んでいたメアリーは、時計を見て渋々立ち上がる。
読んでいた本を本棚に戻し、教室へと向かう。
廊下を歩く彼女に向けられる、生徒たちの羨望の眼差し。
彼女はもう慣れているからか、気にも留めていない。
廊下の端からメアリーを見つめ、話している二人の女子生徒。
話題は、メアリーについて。
「メアリー様、いつ見てもステキよね。それに、歴代でも類を見ないほどの魔法の才もあって」
「その上座学も優秀で人柄も良いなんて、まさに完璧よね」
彼女たちはうっとりとした表情を浮かべて言う。
「でも、ここ最近はなんだか悩んでいるらしいわよ」
「そうなの?」
「あくまで噂程度の話だけど、授業中にもため息を吐くことがあるとか。あっ、ほら」
俯いたメアリーが彼女たちの側を通ってすぐ、ため息を吐く音が聞こえた。
「この噂、本当だったのね……」
放課後、生徒会の仕事も終わり、寮の自室に戻ったメアリー。
——私、大切な何かを忘れてる。
なぜかわからないが、数日前からずっと、そんな感覚がしている。
だが、それが何かわからず、メアリーは悩んでいた。
——学園での事?いや、きっと違う。
『ぜったい、大丈夫よ。だって……』
ふと、メアリーの頭の中に浮かんだのは、幼い自分の声。
——いまの声、何か関係があるはず。
机の上に置いたカレンダーを見て、長期の休みが近いことを思い出した。
今回の休みは実家に帰るつもりはなかったメアリーだが、
——実家に帰ってみたら、わかるかもしれない。
そう思った彼女は、すぐに実家に連絡した。
ローズクォーツ家はいわゆる貴族なのだが、爵位は子爵と、あまり地位が高いわけではない。
長期休み初日の今日。メアリーはローズクォーツ家に帰ってきていた。
——本当は、あまり帰ってきたくなかったけど。
門の前でメアリーはため息を吐く。
それでも彼女は、忘れてしまった大切な何かを知りたかった。
「おかえりなさい、メアリー」
「ただいま。お母さま、お父さま」
喜んで出迎えた両親に素っ気なく返すメアリー。
「わざわざ帰ってきたってことは、護衛の件、考えてくれたのね」
安堵したように言われて、メアリーはため息を隠さなかった。
「……私の考えは変わってない。何度も言わせないで」
「でも、あなたに何かあったらどうするの?」
「その時はそれでいい。護衛はいらない。無理矢理従わせるなんて絶対に嫌」
魔法使いが重宝される理由の一つに、悪魔の存在がある。
悪魔は基本人間に干渉しないが、人間を襲う者もいて、特に近年は被害が大きい。
魔法を使う悪魔に対抗できるのは、同じく魔法を使う魔法使いだけ。
だが、魔法使いが狙われることも多く、強い魔法使いならなおさら。
そのため強い魔力を持つ魔法使いは悪魔を従え、護衛をさせる。
生徒会メンバーもメアリー以外は皆、護衛の悪魔を連れている。
大半は互いに信頼関係を築いていくが、最初は無理矢理従わせる。
それこそが被害が増えた原因だろうと考える者もいて、メアリーもその一人。
だが、両親はそんなメアリーを心配し、度々護衛はどうするのかと聞いている。
メアリーが帰ってきたくなかった理由は、この話をされるのが嫌だったからだ。
護衛は必要だという話をまだ続ける両親から逃げるように、メアリーは自室へと向かおうとするメアリーに、抱きついてくる者がいた。
「おかえり、メアリー!」
メアリーの兄、ルークだ。
「お兄さま、離れて……」
メアリーは、優しくて甘やかしてくれるルークのことが好きだが、今のように距離の近いところだけは昔から苦手だった。
渋々離れたルークは、安心したように言う。
「帰ってきたってことは、もしかして……」
メアリーは、自分を心配して両親と同じ話をしようとする兄から逃げるように、今度こそ自分の部屋へ向かう。
「メアリー、待って!僕はメアリーが心配で、」
尚も追おうとするルークの真上にだけ魔法で雨雲を作り出し、驚いた隙にメアリーは逃げた。
「やっぱり、帰ってこなければ良かったかな」
夜、メアリーはベッドの上でぼそりと言う。
あの後、夕食の際にメアリーが帰ってきた目的を話したが、両親にも兄にもわからないと言われてしまった。
手がかりはあの時脳内に響いた、幼い日の自分の声だけ。
——そもそも、本当に思い出す必要のあることなの?
何もかもわからなくて、メアリーは諦めるように目を閉じた。
その後も、ぼんやりと考えていたからだろうか。
真夜中になっても、メアリーは寝付けなかった。
カーテンの隙間から外を覗くと、夜空に美しい満月が輝いていた。
見惚れて、メアリーはしばらく月を眺めていた。
「……そろそろ寝よう」
そう思い、窓に背を向けたその時。
コンコン、と窓をノックする音がした。
——今の、気のせい?
メアリーは恐る恐るカーテンを開ける。
——だってここ、ニ階よ。
窓の外に見えたのは、一人の青年。
バイオレットの短髪。アメジストの瞳。
背中に生えているのは
そう、彼は悪魔だ。おそらく彼の狙いは、メアリー。
だというのに、彼女に怯えた様子はない。
目を見開いたメアリーの脳裏に浮かんだのは、幼い自分の声。
——ああ、思い出した。
だが、寮での時よりももっと、鮮明で、
——どうして、忘れてしまっていたの。
映像のように思い出せた。
先代のかけた魔法のおかげで、一年中薔薇の花が咲き誇る、ローズクォーツ家の庭。
『メアリー様ー!どこにいるんですか!早く中に入ってください!メアリー様ー!』
慌ただしく叫ぶメイドの声。
だが、呼ばれた本人はあまり気に留めていないようで、本を読みふけっていた。
呼ばれたことは気にしていなかった彼女だが、誰かの泣き声が聞こえることにはいち早く気が付いた。
——だれかが、泣いてるの?
辺りを歩くとすぐに、茂みの影に隠れて泣いている少年を見つけた。
バイオレットの短髪。アメジストの瞳から溢れる大粒の涙。
背中に生えたコウモリのような翼には、深くはないようだったが傷があり、血が垂れていた。
——ケガ、してる。
彼が悪魔だということはわかっていたが、それでもメアリーは躊躇わずに近づき、治癒魔法を使った。
みるみるうちに治った傷に、彼は驚いたようにメアリーを見る。
『なんで、助けてくれるの……?』
戸惑うように問う彼に、メアリーはどうしてそんなこと聞くの、とでもいうように答えた。
『だってあなた、なんにも悪いことしてないでしょう?』
そして、持っていたハンカチで、翼についた血を拭いた。
彼は驚きからなのか、一瞬泣き止んだ。
人間を襲った悪魔と、そうでない悪魔には魔力の気配に違いがある。
どこが、と問われたらなんとなくとしか言いようがないその感覚は、魔力が強く、悪魔に狙われることの多い者ならわかるという。
メアリーも度々悪魔に狙われるので、その感覚がわかっていた。
彼は、またぼろぼろと泣き出した。
『これからも悪いことしないって約束してくれるなら、逃がしてあげる』
メアリーは彼の手を掴んで、走り出す。
そして、本を読むのに夢中になっていた彼女は、メイドたちに呼ばれていたことをようやく知った。
途中見つかりそうになっては二人で茂みに隠れ、ようやく裏門の前にたどり着いた。
しかし、鍵がかかっていて、ふたりには開けられなかった。
——せっかく、ここまで来たのに。
鍵を持つのは、メアリーの父だけ。
メイドたち、そしてメアリーの両親の声が近づいてくる。
二人がオロオロとしている間に、両親が走ってきた。
『メアリー!早く逃げなさい!』
娘を心配して叫ぶ両親に、メアリーは即答する。
『やだ!』
『どうして、襲われたらどうするの!』
心配する両親に、メアリーはハッキリと答える。
『ぜったい、大丈夫よ。だって、この子、なんにも悪いことしてないもの。それに、もしそのつもりなら、もっと早くにそうするんじゃないの?』
自分を庇うメアリーに、彼はまた、涙を流す。
『お父さま、門の鍵を開けて、この子を逃がして。そうしたら、この子は何にもしないで帰ってくれるわ』
言い切り、何を言っても動かないメアリーに、彼女の父は渋々、鍵を開け、門を開く。
『さあ、早く逃げて。でも、ひとつだけ約束してほしいの。これからも、人を襲わないって』
まっすぐな瞳のメアリーに、彼は力強く頷く。
『うん、絶対守るよ。ありがとう』
一礼して飛び去っていく彼に、メアリーは見えなくなるまで手を振り続けた。
回想から意識を戻し、もう一度彼を見る。
——やっぱり、あの時の。
だとしたら、何故彼はまた、ローズクォーツ家に現れたのだろうか。
可能性として真っ先に浮かんだのは、メアリーを襲うため……。
——でも、あの時の約束、守ってくれている。
メアリーに怯えが見えなかったのは、この事に気が付いていたからだった。
——だとしたら尚更、どうして。
困惑するメアリーはとりあえず、窓を開けて彼を部屋へ招き入れる。
すると、彼は跪いた。
「……あの、」
さらに困惑するメアリーに、彼は顔を上げて告げる。
「ずっと、ずっと貴女を探していました。……俺に、貴女の護衛をさせてください」
いきなりですみません、と言い、返事を待つ彼。
「どうして、そこまでして私に?」
メアリーがこう尋ねたのは、純粋な疑問から。ただ、それだけ。
「あの時俺を信じて、庇ってくれた貴女に、恩を返したいんです」
震えたその声を聞いて、メアリーは俯いて思案する。
「……私は忘れてしまっていたのに、貴方はずっと憶えてくれていたんですね」
顔を上げ、微笑んだメアリーに、彼も笑顔が溢れる。
「それはつまり、了承ってことでいいん、ですか?」
「はい、むしろ私からお願いします。私の、護衛になってください」
自分から願い出た彼だが、了承してもらえるとは思っていなかったのだろう。メアリーの返事に戸惑っていた。だがやがて、満面の笑みになった。
「ありがとうございます、俺の恩人、いえ、ご主人様」
跪いたままの彼に、メアリーは言う。
「あの、三つ、いいですか?」
「はい、なんでしょうか」
「まず、護衛としての契約と、両親に説明をしに行かないといけない、ということです。二つ目は、貴方の名前についてです……」
長期休みの終盤。
目的を達成し、セイリオス魔法学園に戻って来たメアリーは、寮内での引っ越しのため、荷物の整理をしていた。
その隣には、彼女を護衛をする悪魔の姿があった。
「にしても、護衛を連れた生徒専用の寮なんてあるんだね」
「まあ、
——それにしても、あの後は大変だったな……。
彼をメアリーの護衛にすると、両親と兄に告げた際、三人はものすごく驚いていた。
特にルークは一言も喋らなかったが、訝しむように彼を見つめていた。
『どうして、いきなり』
『護衛はいらないって、あんなに言ってたじゃないか』
『私は、無理矢理従わせて護衛にするのが嫌なだけで、護衛が嫌だったわけじゃない。何度も言ってたでしょう』
どうやら、メアリーの考えはうまく伝わっていなかったらしい。このことに今まで彼女も気が付いていなかった。
『……そうだったのね。とにかく、私の護衛は彼で決まりよ。……これで、次の休みは心置きなく帰ってこれる』
彼に呼ばれ、メアリーは意識を戻し、整理を再開する。
護衛の契約をした悪魔は、主人から名を与えられる。
メアリーは彼に、ユーリという名前を付けた。
「ねえ、
「それはもう読まないし、実家に送るわ」
主人であるメアリーを呼び捨てにするユーリ。
だがこれは、彼女が「メアリー、と呼び捨てで呼んでほしい」と言ったからだ。
これが、メアリーがユーリに話した内容の三つ目だ。
二人の関係は主人と護衛。
だが、できるだけ対等でいたいと、メアリーは思っていた。
そんな異例な主従は、学園でも注目の的となっていた。
だがメアリーは慣れているのもあるのか今までと変わらず、注目されることにあまり関心がないようだ。
主人がそうしているからか、ユーリもあまり気にしていない。
「そろそろ一度休憩しましょう」
「だね。紅茶入れてくるよ」
「ありがとう、お願い」
こうしてきっと、この主従は穏やかに学園生活を送っていく。
月夜に貴方を思い出す 月宮紅葉 @Tukimiya-Momiji96
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