第21話 百乃木の提案

 はっと、目を開けると、愛理は自分がベッドの上に横たわっているのを確認した。周りを見渡すが、見覚えのない部屋だ。


「目を覚ましたようですね」


「ええと、私はまた……」


「そのようですね。時間を売った人には良くある現象ですよ。それで、今回も見たのですか?」


「彼女の思いを知ることができました。ですが」


「ですが、何ですか?」


 愛理は、今回の依頼者の目的を知ってしまい、言葉にするかどうか口をつぐむ。しかし、百乃木は愛理に言葉の続きを促した。


「あんなこと、許されるはずがありません。だって、それはまるで」


 まるで、彼女が命を削って彼らのことを生かしているみたいだ。


 実際に言葉にしてみて、愛理はあまりの悲劇に涙がこぼれる。彼女が彼らの最期を見て悲しむ気持ちは理解できる。とはいえ、今回の百乃木の提案は、それを面白がるような内容のものだった。


 彼女は他人から時間を買い、自分自身の時間を延ばすことになった。自分の寿命を延ばしてどうしようというのか。答えは簡単だ。彼女自身が自らの時間を使って、彼らに時間を与えることにしたのだ。そんな提案をした当の本人は平然としていた。愛理の言葉に心動かされる様子もなかった。


「私の提案した案はいいと思いませんか?」


「えっ」


「彼女にお金を払うことはできない。ならば、お金をかけずに彼らに時間を与えればいい。彼女が時間を売る側になれば何も問題はない」


 彼女は百乃木の提案を飲むことにした。百乃木の言う通り、彼ら全員の時間を増やすだけの金額を彼女は所持していない。それならいっそ、彼女が彼らに与えればいいのだ。そうすれば、彼らの時間の料金は、彼女が売ったお金を百乃木に支払うだけでいい、彼女の寿命は少なくなるが、彼女も、彼らの懐も痛まない。彼らの時間は増えて、問題は生じない。



「ですが、一つ問題点があるとすれば、彼女が予想以上に速いペースで時間を売っていることですね。だから、とうとう、自分の寿命を超えてしまった」


 今回、愛理が呼ばれた理由は、そこにあった。彼らに献身的な彼女は、すぐに百乃木の言う通り、自分の時間を彼らに売り出した。とはいえ、人間には寿命がある。いくら年が若い彼女と言えど、人の寿命などせいぜい百年ほど。施設の入所者の定員は十八人。一人一年という計算でも、十八年分の時間を削ることになる。それくらいなら、老後が短くなるだけであるが、彼女はさらに多くの時間を彼らに費やすことにした。


 彼女は欲をかいてしまった。彼らの最期を看取ることを拒絶した。彼らに時間を与え続ければ、自分は彼らの最期を看取る必要はない。自分にはそれができると、自分の寿命を度外視して、時間を売ることにしてしまった。当然、無尽蔵にあるわけではない寿命が切れてしまうことは、時間師が気付いてしまった。


「そこで彼女は、彼らに分け与える時間を増やすために、今度は自らの時間を延ばすことにした」


 今回が二度目であるが、こんなことをいつまでも続けることはできない。副作用のリスクもあるのだ。



「トントン」


 病室のドアをノックする音が響く。百乃木が入れと伝えると、ドアが開き、時間売買に携わる残りの二人が顔を出す。


「百乃木さん、彼女はもう限界みたいですよ」


「案外持った方かもしれないね」


「このような結末になることはわかりきっていたのに、あなたという人は」


「これがやめられないんだ。性分かな」


「げんかいって」


 愛理は嫌な予感に身を震わせる。二度しか時間売買を行っていない愛理でも、時間を分け与えた彼らの記憶にさいなまれている。何度も時間を売っている彼女の場合はどうか。入所者全員分の記憶を流し込まれたのだとしたら。おかしくならない方が無理な話だ。


「とりあえず、今日の仕事は終わったから、君は帰っていいよ。帰りは運転手に送らせるから、病院の外で待っていな」


 百乃木はこれ以上、愛理に長居をさせることを嫌い、目が覚めて体調に変化がないとわかると、家に帰るよう指示した。愛理は、彼女の限界とはいったい何か気になったが、聞ける雰囲気でもなく、聞いても最悪の結末しか浮かばなかったので、聞くのを断念した。



 愛理が部屋から出て、一人で廊下を歩いていると、あちこちの部屋から人の悲しむ声や泣き声が聞こえた。ここは病院であり、亡くなる人もいるのは知っているが、彼女のことを思うと、彼らに対していろいろな感情が湧き上がる。


「殺してくれ。もう生きていくのは嫌だ!」


 ある部屋からは、女性の金切り声が聞こえた。何事かと気になり、そっと声のする病室に近寄る。声が聞こえた部屋はドアが開かれ、中の様子ものぞくことはできたが、さすがにそこまでする勇気はなく、部屋の近くで耳を澄ませるだけにとどまった。


「どうして、先週、時間を買ったばかりでしょう。生きたいと願ったのはきみだ」


「私はどうして、ああ、殺して、あんな記憶見たくなかった」


 部屋では二人の男女が言い争いをしていた。女性の方が、病気でもう先が長くないのかもしれない。そのために時間売買を行って寿命を延ばしたのだと愛理は推測する。


「ああ、あああああああ」


 女性の声が更に大きくなり、言葉にならない叫び声が、病室や開け放たれた部屋の外に響き渡る。何事かと見回りの看護師が部屋に駆け寄るが、女性が静かになることはない。


 看護師が集まり始めたので、愛理は邪魔にならないように部屋を後にする。部屋を後にしながらも、部屋の音に耳を傾けていると、徐々に静かになっていく。愛理は静かになったことにほっとしながらも、時間売買は人を狂わすこともあるのだと、改めて知ることになった。



 病院の外で待っていると、間もなく百乃木と愛理をここまで運んだ車が、愛理の目の前で停車した。窓が開き、運転手が愛理に家まで送りますと無表情に告げる。無言で車に乗り込んだ愛理に、運転手が声をかけることなく、そのまま愛理を家まで送るために車を発進させた。


 家に送り届けられた愛理は、玄関のカギを開けることにためらいを覚えた。今日は友達と遊ぶと言ってある。車に表示されている時間を確認したら、結構な時間が立っており、小学生が遊んで帰る時間はとうに過ぎていた。両親や美夏に心配をかけてしまったと思うが、家に入らないわけにはいかない。心配されて、怒られるかもしれない。怒られる覚悟して玄関のカギを開け、家に入る。しかし、愛理を待ち受けていたのは、予想外の展開だった。



「あなたは誰?」


「愛理、どうして美夏を一人にしていたの」


「美夏のことを大切に思うのなら、一人にさせるな」


 愛理のことを出迎えてくれたのは、両親と美夏だった。出迎えてくれたのはうれしかったが、帰りが遅い娘を心配するどころか、妹の美夏を一人にさせるなと怒られてしまった。


「すいません」


「まったく、美夏は記憶がないのよ。それを知っていて、どうして一人にさせるの。私が家に帰ったら、美夏が一人で部屋の隅で泣いていたから、心配で心臓がとまるかと思ったわ」


 母親がわざとらしく泣きまねをすると、父親も同意するように母親の方を抱き、同じように泣きまねをする。その様子を見て、おろおろする美夏がいて、愛理は頭を抱える。自分は今日、時間を売って疲れている。その上、時間売買の闇を知ってしまい、精神的にもかなりの疲れていた。


「だから何だっていうの。私だって今日は疲れているの。そこを通して。それから、今日は私に話しかけないで!」


 疲れていて、つい声を荒げてしまった。はっとしたような顔をして、両親が静かになるが、愛理の声に驚いた美夏が泣き出してしまった。慌てて慰める両親にイライラが募ったが、もう怒る気力もなく、愛理は急いで風呂に入り、すぐに寝ることにした。


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